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尼子の制圧にはまだ時間も掛かりそうだし牡蠣などの貝や海苔などの海藻の養殖も手がけようか

 さて、又四郎は畠山に養子になる際に将軍義輝より偏諱され畠山義弘と名を変え従四位下の参議となることになった。


 そして将来的に俺が畿内に入ったら九州の統治や諸外国への対処は畠山義弘に任せようと思っている。


 九州は朝鮮・琉球・明だけでなく高山国・ルソン・アユタヤなどのやり取りもあるしやがてはスペイン・ポルトガルだけでなくオランダやイングランドもやってくるだろう。


 江戸幕府の統治方法は老中などの譜代の大名に大きな石高を持たせぬことで鎌倉幕府や室町幕府のように側近に大きすぎる軍事力を持たせないことで、相対的に将軍の権威を保ち続けるということに成功したという点では素晴らしいと思うが、諸外国への対処に対してはあまりうまく対処できていなかったと思う。


 特に欧州はオランダだけに限定したことで入ってくる情報が偏ったしな。


 やはり九州に対しては直接的な管理が大事だと思うのだ。


 あ、ちなみに九州・四国・中国の従った国人達などには相応の官位を授与させている。


 やはり僭称よりはちゃんとした官位をもらったほうが当人たちにも気持ちが良いらしい。


 畠山義弘となった弟は畠山尚誠を使って将軍と三好の仲立ちに入ったり、興福寺の学閥である近衛系の一乗院と九条系の大乗院とそれぞれの下についている筒井と古市の争いや学侶方と行人方の争いを調停したりもしているようだ。


 応仁の乱の原因の一つである畠山家中の争いにはそれぞれに対しての一乗院と大乗院の後押しが有ったりもしたようでこのあたりは面倒くさいこと極まりないがなんとか上手くやってくれるだろう。


 今は島津という武力の後ろ盾もあるしな。


 伊賀に関しての調略は上手く行っているようで名目上は伊賀仁木氏を頭にして服部・藤林・百地などの有力国人の取り込みに成功したようだ。


「では、六角に従っているわけでない甲賀衆も伊賀衆をつてにこちらへ引き込んでおこう」


 甲賀と伊賀は敵対しているように思われることも多いが実はそんなことはなくその仲はむしろ良い方だからな。


 一方で伊勢の北畠に関しては流石に長年伊勢を統治していたことも有って結構手強いようだ。


 北畠具教きたばたけとものりの弟である木造具政こづくりともまさなどは寝返っているが北畠の支配下の国人の団結はかなり強い。


「伊勢南部は無理に力攻めする必要はない。

 北伊勢の国人の調略を優先せよと伝えよ」


 本来長島一向一揆に対して直接的な被害が出ているわけでもない俺達がそこに手を突っ込む必要もないわけだしな。


 最も北畠は軍事的な意味合いでも家名的にも侮れんもの事実だが。


 中国地方においては尼子との戦闘は継続中で出雲の月山富田城の包囲も継続中だが、その間に美作や備中、備前方面の尼子側国人の調略もしくは制圧はほぼ終了している。


 備中の荘為資そうためすけ石川久智いしかわひさともら備中守護代らを傘下にくわえてその他の国人も下し、美作も尼子の重臣で美作を与えられていた宇山久兼うやまひさかねや有力国人の後藤勝基ごとうかつもと、菅原道真で有名な菅原氏から派生した美作国の氏族の美作菅家党みまさかずがわらとう、備前では松田元輝まつだもとてる浦上政宗うらがみまさむねなどを下している。


 最も備前で浦上政宗と対立している弟の浦上宗景うらがみむねかげは赤松の支援をうけて対立したままでその下の宇喜多直家も元気だがどうしたものかね。


 それはともかく出雲や伯耆産のたたら鉄の流通が滞っているから島津の持っている鉄を山口まで買い付けに来るものも増えている。


 雑賀はもともとそうだが堺や近江国友などの鍛冶師からの注文が増えてるな。


 本来はポルトガルから入ってくるインドの南蛮鉄も入ってこないからなおさらだ。


「鉄は日本では貴重な鉱物資源だからな。

 せいぜい高く売りつけるとしようか」


 製鉄を行っていると言うのは貴重な資源を握ってるということだからな。


 ある意味金や銀よりも鉄や青銅真鍮のほうが実用的だからこそ重要だとも言える。


 そして安芸を手に入れたことで俺は牡蠣養殖についての話を聞くことになった。


 牡蠣養殖の歴史は意外と古く”天文年間(1532年〜1555年)安芸国において養殖の法を発明せり”という記録が残っている。


 この頃の養殖方法は地蒔ちまき式といって牡蠣の稚貝を干潟の砂の上に直接置いて大きくなるのを待って収穫したり、石蒔いしまき式と呼ばれて満潮時は海水に浸かり干潮時には干上がる干潟に小石を並べてそれに牡蠣を付着させ、牡蠣が大きくなったら剥がして収穫するという方法。


 石蒔式はそんなに取れるわけではないが、地蒔式に比べれば風波の影響を受けにくくて小石を字面へいっぱい置くだけだし収穫も簡単だったので、この方法は長く続けて使われたらしい。


 地蒔式の場合は波に持っていかれることも結構あったろうし。


 とは言えこれではたいして牡蠣の取れる量が増えるわけではないし育成に時間もかかりすぎる。


 なので最初は干潟に高さ1mほどの高さの竹を使った紐をぶら下げる棚をつくり、これに貝殻と竹の管を交互に通した連をぶら下げて、牡蠣を付着させある程度育ったら、竹で作った筏に、牡蠣などの貝殻と竹の管を交互に通した紐をぶら下げて、それを少し沖合に杭を打って流されないようにし、貝殻に牡蠣を付着させ成育を待って収穫する方法をつかう。


「このような方法で牡蠣が増やせるのですか?」


「ああ、多分うまくいくはずだ」


 水中に吊るしっぱなしにするより干潟で海水につかったり空中に出されたりしたほうが、大きくなりすぎたり温度差などの環境の変化があっても死ににくくなるはずだ。


 そしてこうした方が成長も早いらしい。


 同じようにして海苔も養殖する。


 海苔の場合は最初からずっと水につけっぱなしにするけどな。


 さらに同じようにして緋扇貝ヒオウギガイや鮑の養殖も試してみる。


 緋扇貝は貝殻が美しいのでそれだけでも加工すれば高く売れるし中身もうまい。


 鮑は干しアワビが重要な輸出品になるし、上手くいけば真珠も取れるかもしれない。


 対馬、宇和島、天草などは真珠のアコヤ貝の養殖にも適していたはずだから真珠を取るためにアコヤ貝を同じように育てるのもいいかもしれないな。

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