本拠地を山口に移動しよう、そして女真族との交流を開始するぜ
さて、無事に陶を打倒して長門と周防を制圧し山口の街も焼けることなく無事制圧できたし関門海峡などの重要な海上航路も無事押さえた。
そして、大内が明の職人を金にあかせて日本に連れてきて得た灰吹法や硫化鉱物の精錬方法、高品質な生糸の製造方法などの技術を持つ職人を押さえられたのは僥倖だったし、大内が押さえていた明との勘合貿易の木印も入手してある。
尤もこれを使っても勘合貿易の再開はできないだろうが、押さえてあるというのが重要なのだ。
また石見で吉見正頼と争っていた益田藤兼や安芸で毛利と争っていた弘中隆包も島津に下ることになった、実質的に石見と安芸も支配下に入ったし備後や備中も毛利や三村の勢力圏を押さえられている。
「神輿とは言え大内の正統な当主を擁立しているからには益田藤兼や弘中隆包なども陶とともに滅ぶ道を選ぶ必要はなかったのだろう」
山口などの陶の支配地域であった場所の新たな統治者に抜擢した新納忠元が頷く。
「弘中隆包はもともと毛利と仲が良かったようでありますしな」
そして俺は本拠地を鹿児島や大宰府から山口に移すことにした。
陶晴賢自身が大寧寺の変以降極度のノイローゼでまともな判断能力が無くなっていたことで統治にも支障をきたしていたようだし、大寧寺の変以前の陶晴賢は、大内義隆の最愛の恋人であり、みたものは思わず唾を飲むほどの美男子だったがストレスが原因の過食による肥満で馬にも乗れないほどにまでなっていたわけだから陶の統治のほうが良かったと懐かしがるものも現在ではいない。
陶は山口が荒れた元凶だし、大内で一番の侍大将も晩節を汚してしまったわけだ。
また、山口がこの時期の日本で2番めの大都市であったのは土地の利便性も有ったろう。
「早速山口へ本拠を移すようにしようか。
防衛や物資集積用の砦や城の普請をしたりする必要はあるが、こちらのほうが尼子や三好の情報も薩摩や筑前の大宰府にいるよりはずっと早く手に入るしな」
島津の執事である伊集院忠朗も頷いた。
「うむ、その通りですな。
三好と同盟している限りは瀬戸内に安全な航路も保てましょう」
「それとここいらで金の後裔である女真と手を結びたいところだな」
島津の内政担当奉行の樺山善久が首をひねった。
「ふむ、女真が治める地域に特に交易に値するものが有ったようには思えませんが」
「たしかに女真族の特産品は馬や動物の毛皮、薬用の人参くらいしか無いと思われてるが金、鉄、鉛に石炭は彼らの住んでる地域でも豊富なはずなんだよ」
「ほう、高山国と同じということですかな」
「ああ、そういうことだ。
明から見れば極寒の僻地も僻地だから放って置かれてるんだろうけどな」
「では、山口や博多の商人も用いて女真族と交易のための連絡を取ってみるべきですかな」
俺はうなずく。
「うむ、そうしてくれ。
こちらからは米などを提供すればよかろう」
現状北九州の統治は吉弘鑑理、戸次鑑連、角隈石宗ら大友重臣に任せている。
吉弘鑑理だけは外交官として連れてきているが。
それはともかく商人共ならば多少危険があっても利益があれば食いついてくるだろう。
朝鮮半島の北、いわゆる満州のあたりに住んでいる女真族はかつては北宋から北半分の領土を奪い取った金の末裔であるが南宋が滅ぼされるずっと前に元によって滅ぼされていて、元やその後を継いだ明に服従をさせられていた。
明は女真族を細かくわけて分断統治していたが、現在では建州女真・海西女真・野人女真に大まかにはまとめられてきているはずだ。
後に清の太祖となるヌルハチの属する愛新覚羅は建州女真族に含まれていてその祖父ギオチャンガや父タクシは女真族の内部抗争に明け暮れていたが明の李成梁に服属していたため比較的有力な氏族では有ったはずである。
また、朝鮮半島の李氏朝鮮が半島北部の女真居住地域を征伐したが、その土地を奪い返すために満洲最南部の朝鮮に接する鴨緑江や豆満江流域の女真人たちは、たびたび李氏朝鮮に攻撃を仕掛けてもいた。
朝鮮半島北部から満州にかけては金や鉄・鉛・石炭が結構豊富なのでこのあたりの資源はぜひ輸入できるようにしたいものだ。
尤も女真族とのやり取りは琉球と同じように私貿易にとどめておいたほうがいいんだろうけどな。
さて周防・長門・石見と毛利の持つ安芸と備後に備中の一部を島津の勢力圏にしたら、二条晴良・一条兼冬・九条稙通・近衞前久・西園寺公朝らとともに三条実教や貧乏公家200名ほどやらが山口にやってきた。
そしてまずは二条晴良が俺に話しかけた。
「うむ、我が父や弟を惨殺した逆賊を見事討ち取り、西国に平和をもたらしたことを今上様はとてもお喜びである。栄誉に思い給え」
今上陛下である後奈良天皇陛下は”史上最も貧乏で最も偉く、皇室が最も難渋した時の天皇で、この方ほど、乱世における自分の役割を深く思索し、行動した帝はいない”と言われていたはずだ。
天文八年(1539年)には諸国が大洪水に見舞われて大凶作となり、翌年には飢餓と疫病がまん延し、無数の餓死者や病死者が出た時に「今茲天下大疾万民多阽於死亡。朕為民父母徳不能覆、甚自痛焉。窃写般若心経一巻於金字。庶幾虖為疾病之妙薬」 訳すならば 「今年の天下大疫で万民が多く死亡した。朕は民の父母として徳が十分でなかったことに甚だ心が痛む。ひそかに般若心経を金字に写し、これを供養させる。これが疫病の妙薬となることを願う」と嘆かれている。
さらには天文14年(1545年)8月の伊勢神宮への宣命には「大嘗祭を行わないのは、私の怠慢ではなく国力の衰退によるもの。今、この国では徳のある賢者もおらず、私利私欲にとらわれた下剋上ばかりが盛んです。
このうえは神のご加護にすがり、上下和睦して民の豊穣を願うばかりです」と民の豊穣を祈願するなど、権威しか無いお飾りの天皇であっても責任感がとても強い方だった。
将軍や管領は陛下の爪の垢でも煎じて飲んだほうがいいんじゃないかとも思うが、今上陛下が自分の徳が足りないばかりになどという悩みが少しでも晴れ国家安寧につながるならそれに越したことはない。
尤も天災ばかりはどうにもならないのではあるが。
しかしながらいろいろな儀式にカネがかかりすぎるのはもう少しどうにかならないものだろうか?
今更ながら践祚大嘗祭を行って差し上げたいと思うものの今更すぎてちょっとなと思ってしまうよな。
「はは、誠にありがたく思いまする」
三条実教も礼儀正しく俺にいう。
「私の養父の敵を取っていただき感謝します」
「うむ、三条実教殿も山口でゆっくりなされるがよかろう。
この町では鮑や牡蠣がよくとれますので宴の際には食べていただきたく思います」
「それはありがたいですな、ありがたく馳走になりましょう」
三条実教は今年で早逝するはずだが牡蠣のような栄養の豊富なものを食べればうまくすれば死なずに済むかもしれぬ。
牡蠣といえば牡蠣の養殖も山口ではこの時代に始まっていたのであったな。
牡蠣だけでなく鮑や緋扇貝のような真珠を生み出せる貝の養殖も行って真珠の養殖にも取り掛かりたいものだ。
そして近衞前久が俺に対していった。
「この度の逆賊討伐の成果を鑑みそなたには正三位・兵部卿・右馬寮御監・権大納言・長門守・周防守・石見守・安芸守を追認するものとするとのお言葉を賜っておる。
謹んで拝命せよ」
正三位といえば北畠や姉小路といった公家から武家になったものでないと本来はもらえぬようなものなのだが……大内義隆が従二位の兵部卿になってるからかね。
あと問題は……。
「はは、ありがとうございます。
つきましては私の家臣や従属した者への官位の奏上もどうか賜りたく」
「ふむ、それは当然ではあるな。
紙にしたためてくれればこちらで検討しよう」
「ありがとうございます。
旧大友や大内の重臣や毛利などを取り込むために必要な措置でございますゆえよろしくお願いいたします」
「ふむ毛利なるものは大江の血統であったか。
まあ、よかろう、そのように取り計らうことにする」
「ありがとうございます」
「それとこれは正式に決まったことではないのではあるが、そのほう鷹司の家を継ぐつもりはないかね?」
「鷹司家を私がでございますか?」
「うむ、鷹司忠冬殿が亡くなられて鷹司家は途絶えてしまっておるのでな」
俺は少しだけ考えたふりをしてから答える。
「申し訳ございませんが今の俺などが五摂家である鷹司の名を継いでもあらゆるところからの反発が大きいかと。
それ故に今回はご辞退させていただきたく思います」
いや、現状俺が鷹司つまり公家になったら足利、細川を筆頭に三好、六角、畠山らを始めとして幕府方の守護代である武家などが全部敵に回る可能性があるし大友や大内の家臣だってどう思うかわからんぞ。
俺は将軍と喧嘩をするつもりはないんだがな。
どうせ俺に鷹司の名を与えて朝廷の儀礼費などを出させたいんだろうが、今そんなことを言われても無理だって。
「そうか、それもそうではあるな。
それはともかく今回今上様より与えられた御恩に報いるべく一層の寄進を期待しているぞ」
「……はは、朝廷の運営に支障が出ないように近衛家の執事として全力を尽くさせていただきます」
やれやれ俺は公家のための集金装置じゃないのだがな。
ともかく今夜は宴だな。
彼らには牡蠣と豆腐の豆乳鍋でも振る舞うとしようか。
貧乏公家達は山口の街の復興に協力してもらうとしよう。




