義弘のセイロン島攻撃その三 セイロン統一
義弘はセイロン北部のジャフナ王国の軍をほぼ壊滅させ、キリスト教に改宗した王からヒンズーの王族へと首をすげ替えた。
そして義弘は一向宗の下間頼廉、下間頼旦ら一向宗の坊官へ告げた。
「ヒンズー教とやらの神は仏教の仏に近いようであるし、うまく丸め込んで改宗させてしまうのだ。
それとこの地における治水開墾を率先して行うようにせよ」
「かしこまりました。
必ずやその命成し遂げてみせましょう」
一向宗の坊官たちは嬉々として命令を果たすべく動き出した。
セイロン島では北部のジャフナ半島のタミル系であるジャフナ王国はヒンズー教なので当然だが、シンハラ系のキャンデイ王国及びシータワカ王国は大寺派と呼ばれる上座部仏教であるが、インド由来のカースト制が独自の形で根付いている。
インドのカーストは基本的にはバラモン(僧)クシャトリヤ(貴族)ヴァイシャ(市民)シュードラ(奴隷)の4つに分かれるがそれに含まれないアヴァルナ(不可触賤民)が存在し、そして国外から来たものはすべてアヴァルナ扱いである。
それは中国の明などもそうなので鄭和と戦って負け、それにより王の権威が大きく損なわれた。
そしてそれによりキリスト教のつけ入る余地ができたとも言えた。
そしてポルトガル勢力を追い出し、タミル系であるジャフナ王国を屈服させたことでシータワカ王国とキャンディ王国は島の東西を二分する事になり、後はどちらが島の主になるかということになる。
「そして戦うとなると、場所はこのあたりか」
キャンデイ王国のものより手に入れた地図でラワンウエラと書かれた都市を義弘は指し示した。
首都キャンデイから山間部を降りきって平地となった後にシータワカの首都に至るまでの大きな道が合流する場所であり、大軍を展開するに十分な広さのある場所でもあった。
問題は義弘の直属の兵の数は1万程度しかおらず、キャンディ王国の兵が主力となることであった。
「シーターワカとの決着は我々自身でつける。
そちらは遊軍として動いてくれればいい」
「そうか、ならばそうさせてもらうとしようか」
こうしてラワンウエラの会戦が始まることになる。
キャンディ王国の兵数は3万に義弘の1万を加えて4万。
対するシーターワカ王国の兵数は2万。
2倍の兵を持ってキャンディ軍はシータワカ軍を包囲して殲滅するつもりであった。
キャンディ王は兵を1万ずつわけそれを持ってシーターワカ軍を包囲するべく動き出した。
「包囲するのは良いが兵を分けるのは良くないな、こちらも準備をしておくか」
義弘は兵をわけキャンデイへ戻る道の脇の林や草むらなどに兵を伏せた。
そしてシーターワカ王国のマヤ・ドゥンナイは2万の兵でキャンディ王のいる中央軍へと突撃を開始した。
「ふむ、もし俺が同じ立場であったとしてもそうしたであろうな」
これによりキャンディ王国の中央軍は大きな損害を出して潰走しキャンディ王は戦死する。
義弘はシーターワカ軍の前にあえて姿を晒し、一当てするとこれはかなわんとばかりに逃げ出した。
「よし俺たちも逃げるぞ」
シーターワカ王国のマヤ・ドゥンナイはジャフナ軍の敗北がどのような経緯によってその様になったかは聞いていた。
だが、キャンディ軍の潰走は偽装ではないのも事実ゆえ、マヤ・ドゥンナイは追撃を命じた。
「よし! かかったな」
義弘は兵を伏せた道へ逃げ更にその先まで敵を引き込んだ。
「さてそろそろ反撃と行くか」
道へと引き込まれたシーターワカ軍は横合いからの鉄砲の銃撃、矢を射掛けられて足を止めた。
「それ突っ込め!」
そして逃げていた集団が反転して逆撃を行うと完全に足が止まり、これはたまらんと逃げ出そうとするところを追撃する。
そして分散していたキャンディ軍の別働隊が戻ってくるとシーターワカの軍は包囲されマヤ・ドゥンナイは戦死した。
そしてそのままの勢いで義弘はキャンディの軍を吸収し、ライガム・バンダーラの治める土地へ攻め込むとライガム・バンダーラは降伏した。
ここに畠山義弘によるセイロン島統一はなったのであった。




