義弘のセイロン島攻撃その一 コーッテ王国滅亡
義弘はセイロン島の東部を抑えるキャンデイ王国と盟約を結んで、その後東海岸の港町バティカロアの港へ入って食料と水の補給を行った、もちろんそのための代価は共通の貨幣はないので生糸で支払っている。
「戦うためには飯は重要だからな、船に乗っている時は水がもっと大事ではあるが」
バティカロアから西へずっと道を歩き山を登っていくと首都キャンディにたどり着く。
キャンデイ王国の使者に話を聞くと少し前までは西海岸のコーッテ王国のドン・ジュアン・ダルマパーラはポルトガルの武力を背景にスリランカ島西海岸の王として、その名を知られるようになっており、一方のシーターワカのマヤ・ドゥンナイとライガム・バンダーの兄弟は度々敗北していた。
だが、徐々に内陸での武力による勢力拡充をしており、1563年にマヤ・ドゥンナイはコーッテ王国を攻め、コロンボ要塞が一時陥落しポルトガルは植民都市であるゴールへ一時撤退 、さらに1565年には首都コーッテを攻撃するとドン・ジュアンはコーッテを放棄、ポルトガルが奪還して守っているコロンボへと逃れ 、シーターワカ王国が西部の内陸をほぼ制圧した状態になっていたようだ。
「ふむ、そうなるとシータワカのマヤ・ドゥンナイとやらとも対ポルトガルで一旦同盟を結ぶべきか、伴天連に乗っ取られた北のジャワナ王国とやらはとっとと滅ぼすべきかね」
ポルトガルはセイロンの西海岸のネゴンボから南のマタラまでを押さえており、どこかを落としても他の場所に逃げ、インドのゴアやコーチン王国などに支援を要請して落とされた場所をまた取り返すということをくりかえしているらしい。
「ふむ、となると一つの町だけを潰しても駄目ということかね」
義弘は予定を変更し首都キャンデイに向かい一度シータワカとの同盟を結ばせることにした。
「ふむ、では使者として赴いてくれるか?」
「うむ、わかった」
キャンディ王国とシータワカ王国はもともと仲は良くない。
なので、義弘が同盟の話をまとめろということらしい。
キャンデイからシータワカへ通じる南西の道を歩いて言って義弘はマヤ・ドゥンナイと会うことになった。
「ふむ、お前がキャンデイからの使者かね」
「うむ、そうだ。
まずはお互い争うのをやめポルトガルと伴天連共を島から追い出し、その後雌雄を決してはどうか?」
「ふむ、ポルトガルと戦うために背を気にせずに済むのはこちらとしても都合が良いが信用していいのかね?」
「奴らがろくでもない事は知っていよう。
海側の補給はこちらが断つ、陸での補給を断ち切る役割はそちらがしてくれればいい。
そうすればお互い接触せずに同士討ちも起こらぬであろう」
「ふむ、それならばよかろうか」
「そうしてくれるか」
「うむ、キリストの宣教師がろくでもない連中なのは確かゆえな」
「では、同盟成立で良いか?」
「うむ」
「では都市を包囲したら回りにある田畑はすべて焼き払い徹底的に飢えさせるが良いぞ」
「そうだな、そうするとしようか」
まずはポルトガルとキリストの宣教師を駆逐するという目的のために手を結ぶことは成功した。
地理的に挟まれていて不利なのはあちらであるし、海岸の港がないためにポルトガルがいくらでも港町を取り返せたからであるが。
義弘は早速キャンデイに戻り王に結果を報告した。
「ふむ、当座は同盟成立で良いか」
「うむ、故にポルトガルをおいだすまではシータワカへの攻撃は厳禁だ」
「ふむ、わかった」
そして義弘はバティカロアの港に戻り部下たちに指示を出す。
「これよりコロンボを干し殺しにする。
ポルトガルやコーッテ王国の旗を出している船はすべて沈めるか捕獲せよ。
その他のキャンデイやシータワカの旗の船でも怪しければ乗り込んで確認せよ。
従わぬなら沈めて構わぬ」
「わかりました!」
マヤ・ドゥンナイは2万のシンハラ兵をコロンボに集結させ、周囲を包囲し陣地を構築し、田畑を焼き払った。
ポルトガル兵は最初はマヤ・ドゥンナイの兵をあざ笑ったが、田畑が焼かれ、補給のための船はまったく港に入らずにいたことで、マヤ・ドゥンナイの目的は力押しの戦闘ではなく、ポルトガルの要塞を兵糧攻めにすることにあったと気付かされた。
「くそ、どうなっている」
ポルトガル軍は戦死した兵士の肉を塩漬けにして飢えをしのいだが、コロンボ駐留のポルトガル軍に援軍は来ず、士気がガタ落ちし、やがて要塞攻撃に取り掛かるとあっさり陥落し、ポルトガル総督とドン・ジュアン・ダルマパーラとその家族はマヤ・ドゥンナイによって要塞の壁の中に生きたまま埋め込まれた。
「なかなか酷いことをするものだな、見せしめとして必要なのかもしれぬが」
コロンボが陥落するとマータラ、ゴア、ネゴンボなどのポルトガルの駐留都市も次々に陥落していくことになった。
インドからの支援がなければそれぞれの都市の兵力はたいしたことはなかったからだ。
「まずはコーッテを滅ぼしたことだしつぎは北のジャフナ王国からも王族とキリスト教を駆逐せねばな」
ジャフナ王国のある位置はセイロン島と南インドの間のポーク海峡を押さえるためにも重要であった。




