17
『ヤンデレ』
なんて単語を、まだ知りもしなかった頃の話。
その日も透璃はいつものように仕事を終え、アパートの階段をゆっくりと登りながら鞄から鍵を取り出した。だがそこで一瞬足を止めたのは、壁沿いにある自室の窓に明かりが着いていることに気付いたからだ。
おかしい、今朝出掛けた時にはちゃんと消灯したはずだ。そう半日前のことを思い出すも間違いなく自室の窓は煌々と光っていて、その明るさにゾワリと背が震えた。生ぬるい汗が伝い、心臓が締め付けられるように早鐘を打ち出す。
誰か居るのか? 誰が居るのか?
誰にも言わずにここに来た。
友人も何もかも全て断ち切ってここに来た。ここまで逃げてきた。
だから誰も居るはずがない、そう自分に言い聞かせるも窓から漏れる光が中に居る誰かの存在を感じさせる。鍵を取り出す手が震え、鍵穴に差し込もうにもガチガチと揺れて無様な金属音をたてて鍵穴を傷付けるだけだ。
扉を開けて、そこに居たらどうしよう。脳裏にこびりついて消えてくれない姿がそこにあったらどうしよう……。
だがそれを確認せずに逃げることも出来ず――逃げられる場所なんてあと一つしかない――透璃がゆっくりと鍵穴に差し込んだ鍵を捻った。
ガチャン、と簡素な音が響く。そっと扉を開ければ隙間から明かりが差し込む。
窺うように玄関を見ても他者の靴はないが、それでも中からは確かに人の気配がする。いや、それどころか開錠の音に気付いたのかこちらに近付く足音が聞こえてくるのだ。
いったい誰が。いや、いったいどうしてあの人達が……。
そうグルグルと回る思考に吐き気さえ覚え、透璃の脳内で逃げてしまえと警報が掻き鳴らされた瞬間……。
「透璃、おかえりー!」
と、能天気な声と共にピンクのエプロンを纏った見知らぬ男が姿を現した。
……見知らぬ男である。
「……え?」
「おかえり透璃、お風呂にする? ご飯にする? それとも……お・れ?」
「……お?」
「オレオ? ごめんな、ビスコしかないや」
そう告げてエプロンのポケットから菓子を取り出すこの青年に、透璃がわけが分からないと目を丸くさせつつとりあえずビスコを受け取って頬張った。美味しい、いや、そうじゃないか。
なにせ自分の部屋に見知らぬ人物がいるのだ。やたらめったら見目の良い彼はその見目に似合った低すぎず高すぎずな美声で、それでも平然と「言っただけで風呂は沸かしてる途中で料理もまだ完成していない」と中途半端具合を語っている。その言葉こそ日本語ではあるが、銀色の髪に深い紫色の瞳はとうてい日本人とは思えない。
どこかよその国から来たのか。『異国の王子様』と言われたって納得しそうな美貌である。もちろん、だからといって人の部屋にいることの理由にはならないのだが。
そんな青年を前に透璃はしばらくのあいだ圧倒されるように呆然としていたが、はたと我に返るや慌てて彼に詰め寄った。
「ど、どなたが存じませんが、どうして私の部屋にいるんですか」
「そんな、恋人が出迎えるのは当然だろ」
「恋人? 何の話ですか、そもそも私は貴方が誰かもしらないんですよ」
「俺はレム、透璃の恋人!」
「そうですか。いや、そうじゃなくて、貴方が誰であろうと関係ありません、さっさと出て行ってください!」
声を荒らげる透璃に、レムと名乗った青年が「そんな……!」と表情を強張らせる。傷付いたと言いたげなその表情は元の見目の良さもあって見る者に罪悪感を感じさせるが、それでも透璃はお構いなしに彼へと詰め寄った。
部屋から漏れるテレビの音が切り替わったようにノイズを流してくるのが聞こえてくる。鞄の中に入れておいた携帯電話がしきりにバイブレーションで着信を訴える。だが今気に掛けるべきは目の前の正体不明の男だ。ひとの部屋に入り込み恋人だなどと、怪しいことこのうえない。
それになにより、彼は……。
「ひとの部屋に土足で入り込んで、部屋が汚れるじゃないですか!」
そう透璃が強い口調で咎めれば、言われたレムがキョトンと目を丸くさせた。
「ど、土足?」
「どこの国から来たかは知りませんが、日本ではひとの部屋にあがるときは靴を脱ぐんです」
「そ、そうなんだ。ごめんな、俺まだこっち来て数日だから知らなかった」
「あぁもう、床が汚れてる」
「ちゃんと拭いておく。あ、風呂沸いたから入ってくるか?」
慌てて靴を脱ぎ玄関に揃えるレムを前に、透璃が溜息をつきつつ頷いて返した。
そうして脱衣所に向かい、衣服を脱いで、体を洗い、湯船に浸かって改めて考える。
「誰だろう、あの人」
と、そうポツリと透璃が呟けば、タオルの上に置いておいた携帯電話がヴーと唸りをあげた。
湯船に落とさないように気を付けて携帯電話を手に取れば、画面には見たことのない番号。それも、しばらく眺めていても切れる気配はない。
いったい誰からだろうか、そう首を傾げつつ、携帯電話をタオルで包みながら濡れないようにと少しだけ距離をとって耳に当てた。
そうして聞こえてきた音は騒々しく、まるで夏祭の花火真っ最中のような派手な音があがっている。そこがどこかは分からないが随分と賑やかな場所のようだ。
「もしもし?」
『やぁ透璃、こんな時間に申し訳ない』
そう告げてくる男の声に、透璃が眉間に皺を寄せた。
聞いた覚えのない声だ。それに今は『こんな時間に』と謝罪するほどの時間でもない。
それでも電話の向こうでは『寝てたかい?』と案じてくるのだから、もしかしたら日本ではないのかもしれない……と透璃が考えつつ「大丈夫です」と答えておいた。
電話の向こうがどこで何時かは分からないが、今透璃がいる日本はまだ寝るには早く電話をかけても失礼には値しない時間なのだ。
「それで、どちらさまですか?」
『俺はディー、レムの保護者みたいなもんさ』
「保護しきれてないようですけれど」
『放任主義なんだ』
そう電話先の相手、ディーと名乗った男がクツクツと笑う。
楽しげなその笑い声に透璃が困ったと言いたげに肩を竦めた。レムはもちろんのこと、ディーを相手にしても相変わらず話が分からないのだ。
『ところで、申し訳ないんだがこちらにも理由があって、君のことを調べさせてもらっている』
「はぁ、そうですか」
『戸籍や出生届、銀行口座の番号、保険証や赤十字の登録番号、ここ数十年の寝言とテレビ番組の視聴傾向と携帯電話の使用履歴。まだここらへんしか調べてないんだけどな』
「ここ数十年の寝言は私も気になりますね」
『こちらも秘密裏に調べることは出来るんだが……ほら、日本人は恥かしがり屋っていうじゃないか。勝手に調べて、君がそれに気付いて恥ずかしい思いをしたら申し訳ないと思ってさ』
「もはや恥ずかしいのレベルを超えた調べようだと思いますが。まぁ、別に良いですよ何を調べたって……でも」
チャプン、と張ったお湯を僅かに揺らし、透璃が電話先のディーに話しかける。
いったい何が起こっているのか分からないが相変わらず電話の向こうでは花火のような轟音が続き、その合間合間に聞こえてくるのは歓声……だろうか、悲鳴にも聞こえるが微妙なところだ。
なんにせよ賑やかなところに居るディーに、そこがどこかは分からないが透璃が聞こえやすいようにと口元を寄せて話しかけた。
「何を調べたって構いませんが、私がここに居ることを本来であれば知っているはずの人に教えるのだけはやめてください」
『うん?』
「それを知られたらまた私はどこかへ行かなくちゃいけなくなる」
そう呟きつつ、部屋の片隅に置いてあるトランクケースを思い浮かべた。
いつだってこの場を離れられるようにと一通りの荷物を詰め込んで常に手の届く場所に置いてある。もしも万が一のことがあれば、それを掴んで今すぐにこの部屋を出てどこかへ姿を消すのだ。
それを繰り返してこの場所に来た。だからこの場所を去ることも迷いはない、後ろ髪引かれるものなんて何一つない。
だけど……。
「私のお金も尽きてきましたから、行ける場所もあと一か所です」
『あと一か所?』
「えぇ、そこに行けば全部終わるんでしょうけど、私はまだそこには行きたくないんです」
『……そうか。分かった。君の情報はあくまで俺達の中だけにしておくよ』
「そうしてもらえるなら、きっと私達は良い関係を築けますよ」
そう呟いて透璃が携帯電話に触れる。通話終了ボタンを濡れないように指の先で軽く弾き、タオルの上へと戻す。
そうして深く息を吐き……チャポン、と音を立てて湯船に潜った。肺の中の空気はもとより吐き出しているため、すぐに息苦しくなってくる。お湯の暖かさもあってか脳味噌が溶けそうな錯覚を覚え、試しにと口を開けば口内に残っていた空気が泡になって湯の中に逃げた。
このままボンヤリとした思考に任せれば……。そう透璃が考えた瞬間、脱衣所の扉が開く音が湯を介して聞こえてきた。
「透璃! ズボンのポケットにティッシュ入れたままで洗濯機に入れるなよ!」
と、その言葉に透璃が水中で眉を潜めた。
確かに、今日は帰り道でポケットティッシュを貰い、そのままズボンのポケットに入れて取り出すことなく洗濯機に入れてしまった。そのまま洗うと他の洗濯物にまでティッシュが絡みついて大変なことになってしまう。
それをチマチマと取る面倒臭さを思い出し、透璃がザバッと音をたてて湯船から顔を出すと、
「すみませんでした」
と素直に謝った。
「透璃! おい透璃!」
数度繰り返すように名を呼ばれ、そのうえはたはたと目の前で手を振られ、透璃が我に返って目の前の人物に焦点を合わせた。
首を傾げて銀色の髪を揺らし、紫色の濃い瞳で不思議そうにジッとこちらを見ているのは……。
「……レムさん」
「突然回想シーンが始まってビックリしたんだけど、どうしたんだ?」
「回想……? なんの話ですか?」
「……ん? よくわからない、俺もなんか口を突いて出た。ヤンデレだからかな」
自らの発言に対して不思議そうな表情を浮かべるレムに、透璃も同じように不思議そうに彼を見て返す。互いに頭上に疑問符を浮かび上がらせ、レムは右に透璃は左に首を傾げる。
レム曰く、彼の発言を切欠に透璃が黙り込み、しばらくは声を掛けても肩を揺すっても口にオレオを突っ込んでも無反応だったらしい。言われた透璃が壁掛け時計を見上げれば、確かに十分近く時間が進んでおり、口の中がオレオでパサパサになっている。
そうして次いで思い出すのは、十分近く前に聞いたレムの発言。思考が混濁することになった切欠……。
『透璃は、なんで旦那さんから逃げてるんだ?』
あぁそうだ、それを聞かれたんだ。
そう透璃が一連の流れを思い出し、改めてレムに向き直った。
どうやら随分と心配させてしまったようで、彼は不安そうに眉尻を下げながら「大丈夫か?休むか?オレオもう一枚いっとく?」と聞いてくる。
そんなレムを宥め、透璃が彼の名を呼んだ。聞かれたことに答えなくては……。
「レムさん、私が逃げてる理由は……」
「うん……」
「私は母親似なんです。そして私より母の方が女としての機能に優れていたんです」
そう告げる透璃に、レムが小さく「うん」とだけ返した。
驚くでもなく尋ね返すでもないあたり、きっと本当は全てを知っていたのだろう。なにせ保険証の番号も赤十字の番号も調べつくせる彼なのだ、実母に夫を寝取られた哀れな女の惨めな話など本当はとっくの昔に調べ上げていたはずだ。
だからこそ透璃も詳しく説明をすることなく「それだけです」と告げて話を終いにした。
だが次いで透璃が目を丸くさせたのは、目の前のレムがニンマリと笑みを浮かべたからだ。
紫色の瞳を細めて、形の良い唇で弧を描く。その笑みは悪戯気でありながら美術品のような美しさをもち、老若男女問わず見惚れそうなほどである。それでいてこの話の流れにはまったくそぐわず、その空気の読まなさも含めてなんとも普段の彼らしい。
「レムさん?」
「つまり透璃は旦那に未練はない。それすなわち、俺がこっそり透璃の戸籍をいじって結婚の手続きをしてしまっても問題はない! こっそり手続きして結婚するのはヤンデレの見せ所!」
「ヤンデレっていうのはそういうものなんですか?」
「そういうものなんだ」
深く頷いて返してくるレムに、透璃が「そういうものなんですね」と返した。
どうやらヤンデレというのは相手の戸籍をこっそり弄って勝手に婚姻届を出してしまうものらしい。そしてそれはヤンデレにとって一つの山場らしく、なるほどどうりで普段より意気込んでいると透璃が納得して頷いた。
彼の瞳がキラキラと輝き「どうやってこっそりしようかな!」と声が弾んでいる。それほどまでのようだ。
あいにくと透璃はヤンデレだった試しも無ければ、勝手にひとの戸籍を弄ったこともない。婚姻届けだって正式に出したし……。
「あ、でも私不受理申請してますよ」
「そんなもので俺が諦めるとでも?」
「そうですね。レムさん相手じゃ意味ないですね。でも……」
口にしたことが光の速さで覆され透璃が肩を竦めた。今更な話だ。
それでも「問題があります」と食い下がれば、レムが不思議そうに首を傾げた。珍しい、とでも言いたいのだろう、この会話をどこかで聞いていたディーも疑問に思ったのかバツンとテレビの画面が切り替わり、
『:O』
と記号の組み合わせを映しだした。これは多分驚いているのだろう。
それを察して、改めて透璃がレムに向き直った。彼はいまだ「なんで駄目なんだ?どうして?」と不思議そうにしている。
「良いですか、レムさん。勝手に戸籍をいじられたら流石の私も困ります」
「でも透璃、ヤンデレはこっそり戸籍をいじるものだし……」
「考えてもみてください、私が市役所とかで旧姓で届を出したら『この人、間違えて旧姓で書いてるプークスクス』って笑われちゃうじゃないですか」
「プークスクス」
「プークスクスですよ。戸籍をいじられて勝手に結婚させられるのは構わないけど、プークスクスと笑われるのは嫌じゃないですか」
そう透璃が訴えれば、レムがしばらく悩んだのちコクンと一度頷いた。
どうやら理解してくれたらしい。これには透璃もホッと胸を撫で下ろした。
テレビ画面ではディーが『:)』と笑っているし、問題解決である。テレビに関してはいい加減チャンネルを戻してもらいたい所ではあるが。
「それじゃ、俺がこっそり戸籍をいじったことを透璃が気付かずそれでいて察するようにすればいいんだな」
「えぇ、それなら一切の問題はありません」
「わかった、それじゃこっそりする!」
パァ!と音がしそうなほど表情を明るくさせ、レムがこっそり戸籍をいじる宣言をする。
それに対して透璃も「頑張ってください」と彼を鼓舞し、風呂に入るべく脱衣所へと向かった。
それから数日後、透璃が一人でテレビを見ているとバツンと画面が切り替わった。
といっても心霊現象だの家電の故障だのといったものではなく、透璃も慣れた様子で画面を見続けていた。が、どうにも今日に限っては普段と調子が違う。普段であれば英文が――あいにくと透璃は英語が読めないのでいまいち何が言いたいのか分からないが――映し出されるか、もしくはディーの顔文字が映し出されるかなのに、今夜は普通のニュース番組に切り替わってしまったのだ。
これには透璃も驚いて、ひとまずテレビを一発叩いてみようと腰をあげた。
だが次の瞬間足を止めたのは、テレビに映るニュースの見出しに目が留まったからだ。
『ナスカに新たな地上絵現る』
と、随分と俗物的なタイトルではあるが、綺麗なアナウンサーが現地の写真と共にこの不可思議な事件を説明している。
曰く、本日未明突如ナスカに地上絵が現れたらしい。元より地上絵自体が謎の出来事であり、それが更に一つ増えたとなればなるほど確かにニュースで取り上げられてもおかしくない。
そのうえ新たな地上絵はまるで日本語のようで、日本人が見れば誰もが口を揃えて、
『こっそり』
と読み上げてしまいそうなデザインなのだ。
果たして誰がどうやって描いたのか、日本人が関与しているのか、テロの予告かそれとも天変地異の前触れか、もしくは宇宙からのメッセージか……。考えれば考えるほど謎は深まるようで、気難しそうな学者がこの件について小難しく語りだした。
それを眺めつつ、透璃がふむと小さく呟いた。と、同時に台所からカタンと音がする。
「俺は何も関係ないよ」
そう台所の扉から半身覗かせているのは言わずもがなレム。いつから居たのかとかどこから入ってきたのかとかは今更な話、もちろんデザートとして買っておいたプリンを彼がちゃっかり手にしているのもこれまた今更な話だ。
そんな彼の得意気な顔と言ったらない。口元がムニムニとまるで猫のように曲がり、ムフーと得意げにしている様は悪戯が成功した子供のようである。元より美しい顔つきが更に子供のような愛らしさを漂わせ、仮にここに――まっとうに玄関から入ってくるような――第三者がいれば胸を焦がすあまり卒倒していたであろう。
「レムさん、これはレムさんがやったんですか?」
「俺は何も関係してないよ、こっそりなんて知らないよ」
「ならディーさんですか?」
『:X』
「あらま黙秘権」
口元がバッテンになっているあたりどうやらディーも知らぬ存ぜぬを貫くようだ。
ならばと透璃が肩を竦め、再びニュース番組へと視線を向けた。
映し出されるナスカの地上絵は、日本人から見ればやはり『こっそり』である。
「それなら、これはどっかの誰かが描いたってことなんですね」
「俺は何も関係ないから、そういうことになるな」
うんうんと頷きつつ、レムが透璃の隣に腰を下ろす。
そんな彼を眺め、透璃がならばと携帯電話に手を伸ばした。軽く画面を弄り、とある番号を表示させる。並んだ数字の下に映し出されるのは通話ボタンだ、これを押せば一瞬にして繋がる。……繋がってしまう。
触れようとする指先が震える。
画面までの距離はあと数ミリ……。
そのわずかな距離をゆっくりと詰め、透璃が携帯電話に映し出された通話ボタンを押した。
コール音が鳴る。
それが数度繰り返され、プツと途切れる。
聞こえてきた声は男の声。しきりに呼んでくる声……。
それに対して透璃は一切答えることなく、ただ一言、
「さようなら」
と告げると、呼び止めようとしてくる声を無視して通話終了のボタンを指で押し……。
勢いよく携帯電話を壁に叩きつけた。
それはもう全力投球で。壁にぶつかった携帯電話が哀れな音をたててひしゃげる。
「しまった、またやってしまった……」
「透璃の通話終了はアグレッシブだな」
「どうも条件反射で……あぁ、これ完璧に中身がいっちゃってる、また変えにいかなきゃ」
無残に散った携帯電話の亡骸を拾いながら透璃が嘆く。
それに対してレムが「透璃の電話番号を一番に知るのは俺!」と意気込むあたり、またハッキングだの何だのして契約した瞬間から電話番号を入手しようと考えているのだろう。別にハッキングなどしなくても教えてあげるのに、そう思いつつ透璃が携帯電話の亡骸を拾い上げる。
メモリーカードは……駄目だ。画面も駄目だ、見事に割れている。試しに電源ボタンを長押ししても光一つ反応しない。
その無残さに透璃が小さく溜息をつき……パッと顔を上げた。
「レムさん、私のデータとってますよね」
「勿論! ヤンデレたるもの、恋人の携帯電話は常に把握するべし! 通話履歴もSNSも写真もゲームアプリのプレイ履歴も猫のあつめ具合も、なんだったら指紋の付き具合まで管理してるからな!」
「ヤンデレっていうのはそういうものなんですか?」
「そういうものなんだ! 透璃が新しい携帯電話契約したらその瞬間に送ってやるから」
だから大丈夫、と笑うレムに、透璃が良かったと頷いて返す。聞けばID管理していないゲームアプリもきちんと再現してくれるらしい。その方法こそ透璃はさっぱり見当がつかないが、それでも有難いことに変わりはない。せっかく集めたねこのお尻コレクションは失うには惜しいのだ。
そうして携帯電話の亡骸を一か所にまとめ、透璃がレムの隣に座り「ヤンデレっていうのは凄いですね」と告げた。
「生憎と私はヤンデレというものが良く分からないんですが、とても凄いものなんですね」
「あぁ、ヤンデレっていうのは何でも出来るんだ!」
「そんな凄いヤンデレのレムさんは、私なんかで良いんですか? 私みたいな……」
病んでる女で。
そう透璃が尋ねれば、レムが一瞬だけ紫色の瞳を丸くさせた。次いでその瞳を細め、ゆっくりと両腕を開いて透璃を抱きしめてくる。
今まで幾度も言葉を交わしてやれGPSを埋め込むだのなんだのされたが、抱きしめられるのは初めてだ。そんなことを透璃が考えれば、背に回った彼の手がポンポンと頭を叩いてきた。
透璃がそれを受けて深く息を吐く。不思議なことに彼が優しく頭を叩いてくれれば、自分の心の内に渦巻いていたドロドロをした黒いものが流れ落ちていくように思えたのだ。これもまたヤンデレ効果なのだろうか。だとすれば随分と偉大なものだ。
「ヤンデレっていうのは、恋人の……妻のどんなところも受け止めるんだ」
「そういうものなんですか?」
「あぁ、そういうものなんだ!」
ハッキリと断言するレムに、透璃が「そういうものなんですね」と彼の腕の中で小さく笑って瞳を閉じた。
どうやら、ヤンデレとはそういうものらしい。
……end……
『ハイスペックでイケメンなヤンデレに愛されて今日も夜しかグッスリ眠れない』これにて完結です。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!




