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随筆 AI小説時代に考える非テンプレ小説のススメ

作者: 卯月らいな
掲載日:2025/11/24

はじめまして。卯月らいなです。


小説投稿サイトでは、テンプレ小説から脱してオリジナリティを追求したい作者さんが、たくさんいらっしゃるんじゃないかなと思います。


筆者もその一人なので、それについて思うことをつらつらと書きつづりたいと思います。




小説投稿サイトではテンプレ小説が大人気です。


異世界転生してチートしたり、悪役令嬢に転生して愛されたり、ダンジョン配信してバズったりと。


テンプレを守ったほうがどうやら読まれやすい、外したものは読まれにくい傾向は、現実問題として、ありそうです。


しかしながら、昨今はAIが小説を書くようになり、大量投稿が運営から弾かれるようになったにせよ、供給量が多くなって、競争率が上がって、そう簡単には評価されにくい、ビジネス用語でいうところのレッドオーシャンになる傾向にあるのは、大きくは変わらなさそうです。


それに、AIがなくとも、過去の人気作のアーカイブの蓄積量が積み重なりに積み重なり、新作だけでなく、「転生したらスライムでした」のような往年の人気作も競争相手であり、年月が過ぎれば過ぎるほど競争相手が増えて、厳しくなるというのは変わらなさそうです。


昔ほど、果実が取りにくくなり、競争が熾烈になればなるほど、作者さんは闇落ちしやすくなるのかなーなんて思います。


経済においても、就職難の時代に新卒を迎えた人たちは、使えるお金が少なくて苦しいだけじゃなく、人間同士の関係もギスギスしがちで、他人を良いところを見つけるよりも、減点方式で値踏みされて、本来の実力とはかけ離れた値引きを迫られ続けて、心身ともにジリ貧で生きる局面が増えるので、自分の価値がすり減ったのではないかと悩みながら、精神的に疲れ果てたりするんじゃないかと思います。


それを思うと、得られる果実が減っている場所より、増えている場所で勝負したくなるのが人情ですよね。




果実を増やすとなるとやるべきは、一つはマルチプラットフォームの展開。Aサービスでは評価されなかったのがBサービスでは評価される。日本語圏ではそれほどでもなかったけど、英語圏なら意外と評価されるとかですね。これは、比較的、流れ作業のような努力をするだけで、実りやすいんじゃないかなーと思います。




そして、もう一つは、本題のテーマ、テンプレに頼らない新境地の開拓です。


テンプレじゃない小説にチャレンジすることをおすすめするわけですが、そこで出るのは孫子の兵法の一節「彼を知り己を知れば百戦殆からず」です。


なぜ、軽薄だと批判されながらもテンプレはなくならないのか。テンプレの人気の秘訣を考察する必要があります。


筆者が思う、テンプレの人気の秘訣、読者に提供している価値は,「品質の安定」です。


ここでいう「品質」とはなんでしょうか?


取材に基づいた考証、語彙や表現力、ロジックが破綻していない、誤字脱字がない、世界観やキャラの設計?


どれも、小説において重要な品質だと思います。出版社に評価されて、メディアミックスなどに羽ばたいていく作品を目指すのであれば、どれも磨くべきものだと思います。


ですが、アマチュアの小説が大量に投稿されるサービスに対して、一般読者が期待する「品質」とは、それらとはもう少し違うものだと思うのです。


「喜怒哀楽の感情設計が適切になられている」です。


当たり前と思うかもしれないですが、アマチュア、いや、プロで名作を残した巨匠の作であっても、技術偏重な職人気質な人が書くものだと、時にこれがいとも簡単に置き去りになるのです。




Web小説のテンプレが提供しているのは安定した喜怒哀楽を誘導する導線です。


色んなテンプレがありますが、究極的には


①社会的に認められないと思って落ち込んでいた僕がこんなに評価を高めるなんて嬉しい


②愛される資格がないと思って落ち込んでいる私が愛されて幸せ


のようなところに収束されるのではないでしょうか。


そして、その眩しいまでに欲に直情的なところが、心情的に批判の眼差しを向けて、軽いジャンルのように思われがちなところではないでしょうか。




では、軽くないジャンルはどうでしょうか? 格調高いと思われている作品群です。どんな作品があるでしょうか。


執筆している2025年現在、話題になる映画「国宝」ですか。名画「アマデウス」ですか。歴史をさかのぼるとシェークスピアの「ハムレット」や「マクベス」でしょうか。ゲーテの「ファウスト」「若きウェルテルの悩み」ですか。手塚治虫の「火の鳥」、日本の古典「源氏物語」、「平家物語」、「忠臣蔵」でしょうか。グリム童話の「白雪姫」「シンデレラ」でしょうか。


これらの作品のどれでもいいですが、知っていたら、話の筋を思い出してほしいのです。


認められると嬉しい、認められないと悔しい人たちがわんさか出てきて、認められたり認められなかったりして、ものによっては命の取り合いになり激しい感情を振りまくお話ではありませんか?


一つ言えることがありそうです。数多の古典作品の中で、後世に残りやすいものは、人間の欲と欲から出る生の感情を書くことから、どうやら逃げていないのです。




エンタメを供給する人たちが、テンプレやマンネリを打破したいのは普遍の悩みです。型なんてつまらないと思ったら、どんどん打破すべきだと思います。ただ、型を破ろうと頑張った時に一つ大きな落とし穴があるわけです。「感情誘導の設計がないものを作ってしまう」です。




テンプレが提供する激しい喜怒哀楽。それは時に軽く見てしまう。だから、テンプレを外したくなったときに、一緒に感情を揺さぶる仕掛けも外してしまう。これが、脱テンプレをやろうとしたときに、最もやってしまいがちな失敗です。


テンプレエンタメは散々書いたから、違うものを書きたい。他のものと差別化したものを書きたい。新規性のあるアイデアを形にしたい。創作者の本能に根ざした欲求です。


だけど、その本能に従うときにこそ、テンプレから外すときこそが、読者に向けて、どんなプライドや欲に縛られた登場人物がどういう運命をたどり、読者はそれに対してどう感じるかの感情の導線は、テンプレを書くとき以上に緻密に設計しなければならないのです。


起承転結の中で最初に考えたら話が組みやすいのが転。どんな感情を持って生きてきた人がどんな境遇に変化するか。そこさえ設計できれば、後は、あとは話が自動的に組み上がります。



想像してみましょう。アマチュアの人を舞台に上げて、こういうお願いをします。


「1分漫才をしてください。自由に表現してください」


きっと、ものすごく期待値は低いはずです。まず、面白い会話がなされることは期待できないと思います。


じゃあこれはどうでしょうか?


「お笑い芸人の小梅太夫のネタを1本ものまねでやってください」


フリートークよりかは、若干、期待値あがりませんか?


「◯◯と思ったら〜 △△でした〜  ちくしょー」


変数を2つ埋めるだけです。◯◯の予想と△△の結果を埋めて、組み合わせをすれば、ネタなんて考えたことがない人間がやっても、大爆笑まではいかなくても、最低限、オチのあるエンタメとして成立します。


このフォーマットだと、毎週、テレビでネタをやらなくてはいけなくなっても、芸人さん本人の知恵だけじゃなく、そんなに交流のない放送作家さんとかにも、お願いできそうですよね。




読者の立場に立ってみましょう。なぜ、テンプレを読むのか。それは、テンプレが面白いからでしょうか。いや、テンプレを外したものの面白いものの割合が、すこぶる低いからではないでしょうか。テンプレをなぞって書かれていたものであれば、どんなに作者の技術が荒くても、感情の導線が勝手に敷かれている、最低限の品質が保証されるのです。


もちろん、テンプレを外して面白いものは書くことはできます。感情設計ができるあなたの手にかかれば朝飯前でしょう。だけど、読者からしてみれば、感情設計があるテンプレ外し屋の割合が、少なくてつまんなそうに見えているのです。


テンプレを外す人は読者からすると、壊すのが目的のただの壊し屋に見えているのです。


インドの神様は、創造/維持/破壊の3つがセットだと古来より伝わっています。


破壊をした後は、創造のビジョンをセットで持たなくてはいけません。


ただのテンプレ壊し屋ではなく、その後に「怒り」「悲しみ」「嫉妬」「笑い」「赦し」など深い感情のあるものを創造しなくてはならないのです。


そして、創造を続けて、読者に感情の構造を作れる人間だという信頼を勝ち取らないといけないのです。



補足1:


音楽だって、ドドドドドドドと同じ音を弾き続ける曲なんて、下手くそに感じて誰も聞きたくありません。


ドイツ民謡のカエルの歌のようにドレミファミレドと感情誘導した音階なら、楽しめそうです。


安定した音から、緊張感のある音、不安定な音から安定した音に戻ってきて感情を揺さぶる。これが音楽の基本です。


カエルの歌には起承転結の転あたりのパートで「ドドドド」と単調な音が続くパートもあります。


これも、他の音階の変化が豊かでリラックスできるパートに対して緊張を強いるパートになっているという役割があるわけです。


お笑い芸人さんもミュージシャン出身だったり、あるいはお笑い学校出身でもダンスのレッスンを受けている人が、感情設計がうまかったりします。


音楽をやれとは言わないですが、コード理論を使った感情の揺らし方は物語の構成のヒントとしてちょっとだけ勉強してみてもいいと思いますね。


あなたの物語が、誰かの心の音階を揺らす一曲になることを願って。


補足2:


感情の導線が敷かれている小説とはどんなものでしょうか。少し見ていきましょう。



短編でも、長編小説の第1話でもいいですし、このエッセイを読んでいるあなたが書いた小説がいいですが、他の人が書いた小説でもいいです。


1000文字とか2000文字の短めのサイクルで、小さな起承転結があるお話を一つ持ってきてください。



持ってきましたか? では、その小説をテキストファイルに貼り付けてください。そして、一文ずつピックアップしていきましょう。その文章単体ではどのような感情を引き起こしますか?


感情にも色々ありますが、ここでは大きく分けて2種類、安心と不安にわけましょうか。文章の末尾に(安心)(不安)のマークをつけます。



①むかしむかし、おじいさんとおばあさんがいました。(安心)


②おじいさんは芝刈りに、おばあさんは洗濯にいきました。(安心)


③おばあさんが、川で洗濯していると、大きな桃が、どんぶらこ、どんぶらこと流れてきました。(不安)


④「おやおや、大きな桃だこと。持って帰りましょうか」(安心)



こんな感じですね。では、安心⇔不安の間に変化があるところだけに着目しましょう。


①→②は安心から安心なのでスキップして、②→③ですね、ここが感情が動くポイント、たぶん「驚き」ポイントですね。


③→④は、きっと「喜び」じゃないかなと思います。


この短い文章には、「驚き」と「喜び」2つの感情が動くポイントが仕掛けられています。


このように安心と不安の行き来があるところには、必ず感情が仕掛けられていて、そして、その感情の仕掛けの頻度が多く、種類も多彩な文章であればあるほど、感情設計が優れていると見ていいでしょう。



感情設計ができる人は、小説がうまく書けない場合であっても、落語や漫才のような話芸やゲームシナリオなど、何らかのストーリーテリングの才能を発揮できるフィールドがどこかにあると思います。


世間で重要視されていなくて、でも、ものすごく大事な能力なので、持っている人は、小説じゃなくても、どこかの世界で活躍してほしいです。


応援しています。

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