第210話 遥か彼方を抗いしもの
助けなくちゃ。僕が、今度こそ――
誰を?
どうして助けなくちゃいけないんだっけ?
――夢幻に囚われたジョニーの意識は、必死に抗おうとしていたが、【夢見るもの】の力は強く夢の世界に完全に取り込まれてしまっていた。
『ぼんやりしちゃって、大丈夫ジョニー?』
「えっと、大丈夫だよお姉ちゃん」
檻の中にいる最愛の姉が、心配そうにジョニーに話しかける。
何かしなくちゃいけないと思っていたけど、思い出せない。
やがてジョニーは、自らも檻の中にいたことを思い出した。
お姉ちゃんと一緒にピアノを弾きたかったんだ。
お姉ちゃんに、ピアノ教えてもらいたかったんだ。
――それが、ジョニーの夢だった。もはや叶わぬ夢は、幻の世界で叶えられた。
ずっとずっと、こうしていたい。
何もかも忘れて、最愛の姉の隣でピアノを弾き続ける。
ただそれだけで、幸せだった。
他はもう何もいらない。
何時間も、何日も、何ヵ月も。あるいは何年もずっと続けていたかもしれない。
顔が黒く塗り潰された、姉の形をした偽物に気がつくこともなく。
ジョニーは叶わぬ夢の日々を何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、繰り返す。
『ずっと一緒にいようね、ジョニー』
「うん、お姉ちゃん――」
無限に続く、夢幻の牢獄。
一人ぼっちの演奏会は、終わらない。
数えきれないほど演奏を繰り返した、あるときの事だった。
『ジョニーさん……』
「へ?」
檻の向こうに、三つ編みの少女が立っていた。
『思い出して……正気に戻ってよジョニーさんっ!』
「君は誰?」
「アタシはね、エスペランサだよ。ジョニーさん……」
*
これはなに?
私を封じるために作った檻?
けれど残念、閉じ込められたのは世界のほう。
この世のすべてを囲むように、大きな大きな檻をこしらえた。
この世の中で自由の身なのは私だけ。
あはっ、あはははははは!!!!
カナンの内より解き放たれし破滅の意思が、この研究施設をめちゃくちゃに破壊してゆく。
一見少女のような人形の身体は、その実不定形であり、銃は効かず魔法も効果は薄い。
しかし逃げどもこの天空島に逃げ場などない。
追い付かれれば貪り喰われ、永劫の地獄に囚われてしまう。
『あはははっ!!!』
――
脱け殻、と形容できようか。
カナンの骸の中には、まだ彼女の魂が残っていた。
そもそもカナンは『生きた肉体を持つ不死者』だ。
肉体の生死とカナン自身の死は必ずしも直結しない。
――ドクン
カナンの胸の内で、再び鼓動が動きだす。
『主様……』
誰かが呼んでいる。
思考能力を奪われても尚その感情はカナンの中で原動力となり、僅かながら思考できる程度に脳を動かしてゆく。
名前も声も何もかも思い出せない。
けれど、愛しい愛しい大切な人。
愛しき闇が、連れ去られてしまう。
このままでは遠くへ行ってしまう。
――もう2度と失ってたまるものか。
「か、えせ……返せ……」
*
『あははははっ! あひゃひゃひゃひゃ!!!!!』
ゲラゲラ笑いながら、目につく全てを破壊してゆくエレボス。
そんなエレボスの目の前に、一人の少女が現れる。
水色の髪に狼の耳。
彼女は『シオノネ』と呼ばれていた人造複合魔人の成れの果て。
現在は意思なき兵器として再利用されており、その力は魔王をも凌駕する事さえある。
『……水魔十束剣』
『あはっ?』
思考も感情も介在せず、シオノネはエレボスを水の剣で斬り放つ。
物理攻撃も魔法もほぼ効かないエレボスだったが、極めて高い干渉力を持つシオノネの攻撃には多少のダメージを受けざるを得ない。
『広域水魔撃』
『あははははははははっ!』
エレボスを畳み掛けるように水の檻へと閉じ込める。
高い水圧でエレボスを圧死させんと、シオノネは更に魔力を込めてゆく。
『あはぁっ!!』
しかしエレボスの身体は物質的な制約を持たない。
次の瞬間、水玉の中にあったエレボスの姿が消えた。
認識の範囲から消えたエレボスを探そうと、視覚と聴覚を無機質に活用するシオノネ。
しかしエレボスは、そんなシオノネの死角をついた。
――影の中。
シオノネの死角たる影の中から液状となって接近し、そして――
『あっはははははは!!!!』
あえてカナンの姿を模倣した上で、シオノネの腹部を極めて強く殴った。
衝撃は近辺の建物のガラスにヒビを入れるほどで、普通なら胴体が消し飛ぶ破壊力だった。
しかし頑丈に作られたシオノネの肉体はこの一撃を耐えつつ、遥か遠くへと吹き飛ばされてゆくのであった。
『あはっ! あはっ! あははははっ!!!』
カナンにそっくりなシルエットで高らかに嗤うエレボス。
全ての世界は囚われている。
この世の全てを嗤い、そして慈悲深く解き放たんとする。それだけが行動理念の存在――。
否。
その中で僅かに生じた、バグのような存在がいた――
「かえせ……返せっ……!」
エレボスの背後に、蘇ったカナンが立っていた。
だが、今のカナンの戦闘能力は皆無。
『あは……あ、ああああっぁぁぁぁ!!!!???』
しかし、エレボスに対してのみこの世界の何者よりも上から抑える事ができる。
エレボスの不定形な影の身体に噛みつき、カナンはそれを喰らい飲み込んでゆく。
最愛の闇を取り戻す。
ただそれだけの感情が、単なる肉人形と化していたカナンを突き動かしたのだ。
檻から解き放たれていたエレボスは、再びカナンの内へと封じられ――いや、完全にカナンに吸収され、その糧となった。
エレボスに取り込まれていたおーちゃんの意識も、やがては戻るだろう。
しかし、当のカナンにかけられた忘却と能力の封印は未だ解けていない。
『水魔十束剣』
カナンの背後から、水の剣が3本飛来し背中を貫いた。
痛みに悶える感情も感覚そのものさえも、今のカナンには存在しない。
シオノネはカナンを脅威と同じ存在であると認識し、フルムの命令通り排除に乗り出すのであった。




