第135話 薄明に
黄昏時の街中を、羆のように大きな影がのっのっしと歩いていた。
その正体は、類稀な肉体に恵まれた魔人の少女。白い羊のような特徴を備えている。
「カナンちゃんすごい力持ちだったメェ~」
そんな恵体の少女の肩に腰かける、蝶のような羽を備えるとても小さな女の子。
「確かにね。少し、羨ましいような……」
一見真逆と言える二人は、同じ制服を着ている。彼女たちは同じ学校に通う友達なのだ。
「何か言ったメェか?」
「なんにも言ってないさ!」
小さな少女は大きな少女の大きな耳に向けて言い放った。
小さい方の少女、リースリングは小さい故に通行人に気づかれず踏まれそうになったりぶつかられがちなのだ。
だから安全のため、同じ寮に住む一際大きな同級生のパラヒメの肩に乗せてもらっているのである。
リースリングは内心ではとても感謝しているのだが、なかなかその気持ちを伝えられていない。
自分は持っていないものを、パラヒメはたくさん持っている。それは生来の種族としての特性で、努力でどうにかなるものではない。
だから、彼女に憧れていた。惹かれていた――
『助 け て』
ぴくりと、リースリングの長耳が反応する。
空気中の魔力を伝導して、【風察知】が誰かの悲鳴をリースリングへと伝える。
「どうしたんだメェ?」
『や め て』
聞こえているのは自分だけ。
『死 に た く な い』
――助けなきゃ。
あたしが、助けてあげなくちゃ。あたしが今度こそ――
リースリングの脳裏に、忌々しき業火の記憶が浮かび上がる。
「んメっ!? どこ行くんだメェ!?」
小さな体に人一倍の正義感。
リースリングは、いてもたってもいられずに悲鳴の元へと飛んでいってしまった。
パラヒメはただ、見失ってしまったリースリングの姿を探す事しかできなかった。
人気の無い路地裏の奥の奥――
「へへ……俺はなぁ! ここのエリートのガキどもを、16人も殺してやったんだ! す、すげえだろ?」
「嫌だよ……やめて、こないで……」
真っ黒なマスクで顔全体を覆った男が、桃色の髪をした少女にナイフの切先を向ける。
「ひ、いひひ……お、お前で17人目だ! 俺様は最強なんだ! そうに決まってる! この力に選ばれた俺様は特別なんだ! この力でアイツもどいつもこいつもねじ伏せてやった! あの生意気な女もバラバラにしてやって……クソ、なんで俺様の誘いを断ったんだよぉ……! クソクソクソクソ、どいつもこいつも俺様を見下しやがって!」
少女は脚からどくどくと血を流していた。更に腰も抜け、股からは温かいものを流し、涙を浮かべて男へと懇願する。
「ころさないでください……ごめんなさいごめんなさい……」
「同じ事ばっか喋ってんじゃねぇクソが……!」
涙でぐしょぐしょになった少女の顔に、男はナイフを振り下ろす。
欲求に従って、男は万能感に浸る。
あと少しで少女の無垢な顔にナイフが突き立てられ――といった所で救世主は現れた。
「させないのさ!!」
バシュッ!
突如として、男の背中に衝撃が走った。
それに驚いた男はナイフをうっかり落としてしまう。
「な、なんだぁ?」
パタパタと蝶のような羽で空を駆ける、小さな小さな少女。
すんでの所に駆けつけたリースリングが、風魔弾を飛ばしたのだ。
「あんたが例の切り裂き魔か。あたしがぶっ飛ばしてやるのさ!!」
「うお、虫が喋ってる!」
「うっさい!」
リースリングは小さなつむじ風を何個も作り出し、男に向けて放った。
男はマスク越しに嫌そうな表情を浮かばせる。
「クソ、なんだこれっ!?」
男はがむしゃらに短いナイフで周りを払う。すると、いくつもあったつむじ風が掻き消されてしまった。
「あ、あれ? は……はは、どうだ! これが俺様の力だ! 虫ごときが勝てる訳ない、だろうっ!?」
「な、なにをしたのさ!?」
男は短いナイフをがむしゃらに振り回す。
リースリングは男の間合いよりもはるかに高い場所におり、当たるはずもない。
「つーか卑怯だぞ! 降りてこいクソガキ!!」
「卑怯なのはどっちさ!!」
しかし――
リースリングの羽に、一条の線が走った。
「え? あれ……」
視界がぐるぐる回る。
まっ逆さまに、墜ちてゆく。
リースリングは、地に墜ちた。
「むぐ……!」
小さな少女を、男はがさつに拾い上げる。
そして無邪気な子供が虫を弄ぶように、リースリングの体を――。
「へへ、よくわかんねーけどざまあみろ。しっかしこんな小さな魔人がいるのか。すげぇや」
「や、やめて……」
手足をつまんで引っ張って、頭にデコピンを打ち付けたり。
「はは、抵抗してら。無意味なのに」
リースリングがどれだけ抗おうとしても、圧倒的な力の差の前には無力だった。
「――飽きた。踏み潰してやろ」
「う、うぅ……」
リースリングは無造作に地面に叩きつけられた。そしてその頭上から無慈悲な影が迫ってくる……
その一瞬。
「いひひ……は?」
「メェ~~~~!!!!」
男の頭上から、更に大きな影が落ちてきた。
「リースリングちゃんっ……メェ、ひどい怪我……!」
「な、なんだこの化け物っ!?」
男よりも遥かに図太く威圧感のある巨躯が、踏み潰されようとしていた小さな少女を優しく拾い上げる。
「パラヒメ……どうして、ここが分かった……のさ」
「リースリングちゃんが助けた子が教えてくれたんだメェ」
「あの子、良かった……」
男に殺されそうになっていた少女が、いつの間にかこの場を脱していた。
男もリースリングも気づかぬ内に。
一体どうやって? という疑問を抱く事は、今はしなかった。
「次から次へとどうなってんだよ……! どいつもこいつも俺の邪魔ばかりしやがって!」
「リースリングちゃんを、よくも……」
パラヒメの顔から、優しさが消えた。
ゆっくり口を開くと、ノコギリのようにギザついた歯列が顕になり――
ガチンッ!
「うおっ!?」
男のいた空間に、パラヒメの大きな顎が齧りついた。
一歩下がって避けた男だったが、次もその次もパラヒメの大きな口が追いかけてくる。
「く、クソっ! なんなんだよ、聞いてねえよこんなのっ!」
男は背を向けて走り出す。
しかし、すぐに行き止まりに追い込まれた。
「食べ、殺す……メェ」
「ぱ、パラヒメ……?」
「メェ……メェァァ!!」
パラヒメは、追い詰められた獲物へ牙を立てる。
噛みつき、引き裂き、獲物を屠るために。
パラヒメが踏み込むと、衝撃で地面に亀裂が生じる。
その顔は、鬼神のように醜く歪んでいた。
「パラヒメっ、だめ……戻って、きて」
「め、メェ……」
リースリングの言葉に、パラヒメは理性を取り戻した。
しかし、その一瞬が隙を産んでしまった。
「今だ! し、死ねぇっ! ははは!」
男はパラヒメの脇腹を斬りつけた。
短く粗悪なナイフで、屈強なはずのパラヒメの体が紙のように切り裂かれた。
「メェっ……!」
「パラヒメ……パラヒメぇっ!」
痛みで再び理性を失いそうになる。しかし手の中にいるリースリングを守り抜くという意思が、それを留まらせた。
「死ね、死ねぇっ! さっさと死ね!!」
何度も、何度もパラヒメの体に攻撃する。
短いナイフなのに、まるで剣で斬りつけられたような傷がつく。
そもそも剣でさえ、パラヒメの肉体を傷つける事はままならないはずなのに。
「メェ……大丈夫メェ?」
「あたし、より……パラヒメのほうが」
「ぼくは大丈夫だメェ」
男の攻撃を耐えつつ、パラヒメは手の中で心配するリースリングに笑って見せた。
いくらか耐えれば助けが来る。
けれど、それまでパラヒメの体が持つかどうか。
たとえどんなにタフだとしても、リースリングにとってパラヒメがこれ以上傷つくのは耐え難かった。
「おねがい、パラヒメ……もういいのさ。これを……」
瀕死に近い重傷のリースリングは、僅かな魔力を振り絞って小さな風の魔法の弾を作り出した。
それをゆっくりと、パラヒメの顔の前へ飛ばす。
そしてパラヒメは、それを口に含み飲み込んだ。
「はぁっ、はぁ……は、はは、こんな化け物に勝てる俺様こそ最強だぁ!! どうだぁ!!」
――とどめだ。
男が後ろからパラヒメの心臓めがけてナイフを刺しこもうとした時だった。
突然、パラヒメの巻き角が淡く青く光だした。
「な、なんだ!?」
「メェ……!」
そして角と角の間から、渦を巻く風の柱が男へ向けて放たれる。
「うごぉぉっ!!?」
突風に巻き込まれた男は、大きく吹き飛ばされて何処かへ消えていってしまった。
「パラヒメ……パラヒメぇっ、ごめん、あたしが勝手な事をしたから……」
「悪くないメェ……。リースリングちゃんのおかげであの子は助かったんだメェ」
自分とて重傷なのに、リースリングへの笑みを絶やさない。
真っ白でふわふわだった髪は紅く濡れ、その面影は無い。
出血が止まらない。
意識を保つことさえままならなくなり、やがてパラヒメの体は力なく崩れてしまった。
またカナンちゃんが激怒しちゃう




