42話 完全擬態(オーディンズミミック)
「さてと、ワシはどのくらい手加減すれば良いのじゃ?」
ユグドラシルによって展開された疑似空間。
前回と同じで、風景は変わらないが、そこにいた生命は俺とスリュムだけになっていた。
「全力で来い、それが俺の望みだ」
「ふむ、命は助けてやると言っておるのじゃぞ? それをむざむざと捨てるのじゃ?」
スリュムは、嘲りではなく、哀れみの表情で告げてきている。
──舐められたものだな。
「スリュム、お前が……俺からフリンを奪って喧嘩を売ってきた。俺はその喧嘩を買った。ただ単純にそれだけだろ?」
「喧嘩か。くふふ、ワシもそういうのは好きじゃて」
「じゃあ、やろうぜ。自分全てを賭けた喧嘩って奴をよぉ! 手加減無しで!」
スリュムは、いつもの傲岸不遜な笑みに戻った。
心底楽しそうな、戦に狂う──霧の巨人の王のスリュム、その表情に。
「言うのぉ! では、ワシの本当の姿を拝見させてやるのじゃ!」
周囲の空間が歪み、物理法則がねじ曲がる不協和音が響き渡る。
歪みは見渡す限り広がり、視界全てを埋め尽くすような巨大な両腕が──右の地平と左の地平に現れた。
出現した手の平部分だけで押し潰され、粉砕されるスリュムヘイムの都市群。
その腕を支えるかのように、山脈の数倍は大きく盛り上がった肩、機械のような硬質な顔、大地を思わせるような厚い胸板──そして、最後に脚が現れ、軌道エレベーターのようなフォルムでゆっくり立ち上がった。
「想像以上にでかいな……」
俺は、首を上に向けるが、角度的にも視力的にも頭が見えない。
これは間違いなく成層圏突破クラスだろう。
「もう1度聞く!!」
鼓膜が破けそうになるエーテル経由の轟音、かろうじてスリュムの声だと分かるレベルだ。
衝撃波で雲がいくつか弾けている。
「これでも、まだやるのか!?」
圧倒的に上から目線での言葉。
たぶん、登場時に俺が吹き飛ばないような位置調整すらしてくれたのだろう。
だが──それでも俺は抗わなければならない。
抗わなければ勝てない。
「ああ、もちろんだ。俺は、全力のお前に勝つんだからな!」
「その心意気や良し! ワシの一撃を食らって生きていたら、腹心としてやろうぞ! そしてもし──お前が勝ったら、ワシをくれてやるのじゃ!」
どっちも俺にとってマイナスじゃないか、それは。
といっても、この惑星兵器みたいなスリュムを相手に一発まともに食らったらアウトだろう。
俺の手持ちの武装は棒状の、閃光手榴弾、煙幕手榴弾、電波欺瞞紙手榴弾、オタルの特製愛情手榴弾のたった4本。
攻撃できるものは1本も無い。
「では、異世界序列第二位ヨトゥンヘイムが霧の巨人の王──スリュム、参るのじゃ! 死んでくれるなよ尾頭映司!」
スリュムの腕は高く高く掲げられ、巨大な隕石のような拳が光り輝き頭上遠くに見える。
──まず、疑似空間に入る前の布石、成功──。
小さく見えたはずの拳は、摩擦によって空気を赤く染め上げて巨大になっていく。
──次に、疑似空間内でスリュムが乗ってきそうなセリフで誘導しての布石、成功──。
空一面の雲が天使の輪っかのように広がり、地獄のような振動音を発生させながら拳が落ちてくる。
──最後に、計4本の手榴弾を五指の間に挟み、ピンを引き抜く……布石はこれにて、終了──!
アダイベルグ特製で、エーテル以外の全ての情報をシャットアウトするモノだ。
ギリギリまでこれの調整をしてくれたオタルを、俺は信じる。
その希望を天高く放り上げ、爆発させる。
周囲は音、即効性の煙幕、仕込まれた多彩な金属片、巨人第六感封じのパウダーによって満たされた。
その直後──天から大地と見間違うような、巨人の拳が降ってきた。
地面との激突。
周辺は有り得ないエネルギー量によって爆散し、地殻が砕かれ、天変地異を発生させた。
そして、第一スリュムヘイムという都市は消滅した。
「──ワシ以外のエーテルが消えたのじゃ」
スリュムは少しだけ悲しそうな顔をした。
それは、相手が弱すぎたための落胆か、死者への手向けか。
戦闘終了を迎え、元の少女の身体に戻り、雷雲渦巻き塵舞い上がる第一スリュムヘイムの跡地へと降り立った。
「目くらましをした後、もしやとは思ったのじゃがな……この2人だけの世界でエーテル反応が無くなるという事は、つまり──」
「見事でした、スリュム様」
戦闘が終了したからか、現れるお付きのメイド。
スリュムに近寄って、いつものように心配そうな顔を向ける。
「大変、首の後ろにかすり傷が。今、治療致します」
「お前は昔から心配性じゃのう」
そう言いつつ、スリュムは後ろを向いて治療を任せようとする。
そう──いつもの行動なのだ。
このメイドはスリュムの事をいつも心配し、何かと尽くそうとする。
俺にはわかる──メイドに『完全擬態』をしている俺には。
「では、回復魔法をおかけしますね。ゾンビ状態のままのスリュム様──」
「なっ!?」
ついに訪れた、最大限にスリュムが油断する時──それは勝利直後。
俺の手が触れ、回復魔法が発動した瞬間、さすがにスリュムも気が付いたらしい──まだ俺とスリュム2人しかいない疑似空間内だという事に。
時、既に遅し。
俺は偽っていたエーテルを全解放──あの時から得意魔法になり、蘇生すら兼ねる回復魔法を全力で叩き込む。
無防備だったスリュムは獣のような悲鳴をあげながら、メイドの姿を解除した俺から距離を離す。
「ぐぅぅ……。どういうことだ……お前のエーテルは完全に消失していた……あの程度の目くらましではエーテルの反応は遮れないはず──」
「だから言っておいたぞ。俺は『完全擬態』を使えるってな」
スリュムは眼を見開いて驚くが、すぐ心の底から楽しそうに笑った。
自らを嘲笑うかのような大声で。
「そうか、本当じゃったか! 『天上の階位』最強の上級第一位でもロキ、初代オーディン2人しか使えぬ完全擬態を!」
完全擬態──いくつかもらったスキルの中で、現状まともに使えるのは基本的な魔法と、コレくらいだった。
今はまだ慣れていないため、生きている本人に直接触れて読み取り、その直前の2人程度に擬態出来るというだけの能力。
だが、本人の外見はもとより思考パターンや、個人を識別するエーテルまで完全にコピー出来る。
つまり、相手の力その物を手に入れる事が可能である。
といっても、あまりに力が離れている場合は無理らしい。
フェリに試そうとしたが、見事に相性の問題もあるのか失敗した。
さっきはこれを応用して、空気に完全擬態するというカメレオン的な使い方をしてみた。
色々と練習をしてみたのだが、触れるモノが空気という曖昧なものなので、どうしてもぼやけた透明人間くらいが限界なのであった。
そのため、エーテル以外の情報を遮断する必要があり、オタル特製の隠蔽手榴弾セットに賭けたのだ。
今回はスリュムが全力で拳を撃ってきて、俺が死んだと思わせなければいけない部分や、手榴弾でエーテル以外を隠蔽しきれなかったり、回避し損ねて死亡という様々な可能性もあった。
布石を撒いていたとはいえ、分の悪い賭けだったが──良く成功したものだ。
「短期間でそれだけの力──我が同胞ミーミルの奴じゃな。どれだけのモノを供物として捧げたのじゃ? 親族全員かの? いや、エーデルランドごと地獄の釜へ落としたか?」
一瞬、答えるかは躊躇した。
一言一言から、何かを読み取られて不利になる可能性もある。
だが──。
「フリンが悲しむことだけはしていないと言っておく」
「そうか、それは良かったのじゃ」
それだけは告げておく。
こいつが、フリンを好きな気持ちには嘘偽りはないとメイドに完全擬態した時に分かったのだ。
といっても、今はまだ記憶自体は探れないため、何かぼんやりとした感覚だけだが。
「さてと、次にお主がしたい事は分かるぞ。このワシに触れた、つまり化けようというのじゃろうて」
「ご明察」
「じゃが、2人のエーテル量は差がありすぎる。完全擬態でもそれは化けられないはずなのじゃ。残念じゃったの」
スリュムは、再び周囲の空間を歪ませて本体を出現させようとする。
「ああ、さっきまでならな」
俺も、目の前の少女の姿に完全擬態し、同じように空間を歪ませた。
「なっ!?」
「ゾンビ状態になってるお前に、完全擬態のための接触と同時に、回復魔法をかけてエーテルを削いだ」
星を破壊しながら聳え立つ──霧の巨人の王が二体。
俺のスケール感がおかしい巨人足は、湖を踏みつぶして海と繋げてしまっている。
「さぁ、喧嘩を始めようぜ!」
俺とスリュムは、一歩踏み出して互いストレートに拳を放つ。
ただそれだけで足下は、大海が天高く持ち上げられ、モーゼの十戒のように一瞬底が見えてしまっている。
上も上でスケール感が狂っている。
両者ともガードせずに顔面で受けるのだが、衝突エネルギーが大きすぎてエーテルで物理法則を書き換えきれず、表面で多連的な爆発やプラズマが発生している。
それを二撃、三撃と次々行っていく。
数分もすると巨人の国ヨトゥンヘイムだった星はボロボロで、そこに聳え立つ巨人ふたりもボロボロだった。
それにしても、この巨人の表皮である対エーテル装甲と呼ばれる物は高度な作りとなっている。
内部から装着者のエーテルを当てて、外部でエーテルを相殺、受け流し、書き換えて攻防一体の装備になっている。
いや、この装甲自体が巨人の一部と言って良いだろう。
ケイ素生物──機械巨人という分類。
「どうしたのじゃ、尾頭映司。ボロボロじゃぞ?」
「鏡を見ているだけだろ、スリュム」
へこみ、ひしゃげている各パーツ。
だが、不思議と痛々しさよりは、誇るべき傷として見える。
俺の感覚としても、完全擬態でなりきっているためか、痛みですら心地よくなってきている。
……いかんいかん。
俺自身の意思を働かせ、自分に回復魔法を──の前に、ゾンビ状態を解除か。
「我が状態を正常に戻せ、リカバリー! からの、我が傷を癒せ、ヒール!」
「む、お主。ワシと違ってそんな魔法を使えるのか」
輝き、修復される姿を見て、驚きの声を上げるスリュム。
「殴られても回復させる事が出来るお前と、そうではないワシか……」
お、これは諦めてくれるのだろうか。
戦闘を早期終了出来れば、俺としては嬉しい──。
「滾るのぉ! ワシ自身と戦えるだけではなく、さらに強いワシと戦える! サイコーなのじゃ!」
そうだ……全身擬態している俺も薄々は感付いていた。
自分の方が不利とかそいういうのは関係無く、戦いを楽しむ馬鹿なのだ。
「尾頭映司、お前に感謝するのじゃ!」
再び殴り合いが始まる。
数メートルから、数キロの細かい破片が舞い散り、踏み荒らされた星は火山からの噴火で生命が住めない環境へ一直線。
足の踏み場に緩急を付けるため、エーテルで疑似足場を作りだして踏み台にしたり、重力制御によって上手く身体のバランスを取ったりもした。
まさに神──いや、霧の巨人の王と呼べる存在だった。
それが互いにひたすら殴る。
一時間殴る。
十時間殴る。
百時間殴る。
──そして信じられない事に、それが七日間続いた。
「なぁ、もう止めにしないか……」
「何を言う……まだワシは立っておる……こんな楽しい事を止められるか……」
聳え立つ二体の巨人。
片方の巨人は、疲労はしているがまだ原形を保っている。
もう片方の巨人は、顔は潰れ、片腕は取れて大地に刺さり、見るも無残な廃棄品のようになっていた。
「……心ゆくまで戦える、楽しい! 楽しい! 楽しい! 楽しいぞ……!」
スリュムは、残った片腕で打撃を放つが、俺への決定打にはならない。
また、俺が放つ打撃も決定打にはならない。
お互いに頑丈すぎて、回復魔法が使える俺に部はあるものの、根比べに近い状態になっていた。
加えて、この身体は追い詰められれば追い詰められる程、頑強になっていく。
窮地に陥った方がエーテルが燃え上がるのだ。
だが──。
ひたすら殴り合って分かった。
霧の巨人の王は、身体が強いから、強いのではない。
魂が強い存在であるから、強いのだ。
自分がいつか負けると分かっていても、一歩も引かない精神力。
このままマトモにやっていたら、あと何日──何ヶ月かかるのだろうか。
さすがに食事当番をサボりすぎだし、フリンを心配させてしまう。
「悪いがスリュム、そろそろ決めさせてもらうぞ」
俺は、スリュムの巨大な質量を、重力制御とアッパーカットの合わせ技で無理やり打ち上げる。
広大な宇宙空間、月に似た星をバックに、スリュムはさして効いていないように返してきた。
「くくく……ワシを完全擬態した状態、その力はワシが一番よく知っておる。そんな一撃は放てまい。勝敗はまだまだ未確定なのじゃ、尾頭映司!」
「いや、スリュム──」
俺は傲岸不遜に笑う。
激しく、雄々しく、心底楽しく──スリュムのように。
「──お前は、俺を本気にさせる二つの内、片方に手を出しちまった──その時点でアウトだ」
今まで俺とスリュムの間に一つしか無く、スリュムが真似できないような事。
それは、今立っている異世界序列第二位──巨人の国ヨトゥンヘイムにある。
俺は、大地に巨大な拳を撃ち込み、全エーテルを内部と外部に流し込んで物理法則を書き換えた。
プランターに根付く植物のように、エーテルで一体化させて今や俺の拳だ。
状況を察して、スリュムのエーテルが乱れるのが見えた。
頑強なものほど、1度崩してしまうと元に戻すのが大変だろう。
「な……そんな常識外れな事をする奴が……」
さすがに質量差を書き換えきれず、腕がちぎれそうになるが──たぶんやれる。
今までだって、やってきたじゃないか。
「や、やめるのじゃ! いくら疑似空間とは言えワシの異世界を──」
「異世界をぶっ壊すのは二度目なんでな!」
後は宇宙にエーテルで足場を作り──徐々に助走を付けて……ぶん殴る!
「星と共に砕けろォーッ!!」
放たれたひとつの星。
避ける事をしないスリュムは、そのままヨトゥンヘイムを受け止めながら吹き飛び、月のような天体へと衝突した。
* * * * * * * *
勝負は終わった。
外の世界は、さっきまでの戦いが嘘のように都市部が残っていた。
ちょっとだけ、罪悪感からか住人達には目を合わせにくいが……。
「映司! おかえりです!」
出迎えてくれたフリン。
ボロボロの俺は、さらにボロボロのスリュムを肩から下ろした。
そして、いつもはた迷惑な幼女様に向かって──。
「ただいま、フリン」




