157話 黄昏の運命(ラグナロク)
ずっと旅をしてきたのかも知れない。
終末の予言によって縛られ、無慈悲に苦しめられ、世界から恐れられ。
再び自由を得たあの日から、旅をしてきた。
見てきた、だから目指すべき旅の終わりは知っている。
* * * * * * * *
「映司お兄ちゃん、こっちにいきなりランちゃんとテュールが……」
気を失っている藍綬を見て、不安げな風璃。
俺は一つの事を除いて、みんなに向こうでの出来事を話した。
ランドグリーズは最初から自分が消えることを覚悟していた事。
本当の藍綬をずっと守っていた事。
テュールが偉大な軍神であった事。
贈り物である全身神器によって、ヴィーザルを倒した事。
「藍綬はたぶん目覚めても、戦乙女になった後の記憶は失ってると思う。……もしかすると、それ以前の記憶も」
「そっか……。何となく二人の藍綬の事は気が付いていた」
風璃の勘の鋭さの前には、如何に戦乙女とはいえ隠しきれなかったようだ。
「ありがとう、ランちゃん。ありがとう、軍神テュールさん」
風璃は静かに、祈るように感謝の言葉を告げた。
遠く──どこまでも遠くに届くように。
「さてと、フリン。大切な話がある」
「はい」
フリンは、次に何を言われるのか分かっているように、真剣な表情だった。
「ヴィーザルのエーテルを完全に消し飛ばして、身体も瀕死にしておいた。しばらくは考える時間もある」
俺も、フリンに合わせるように、慎重に言葉を選ぶ。
「もうフリンも難しい何かを判断出来るくらいに成長したと思う。だから、ヴィーザルを生かしたまま連れて来た」
フリンはこくりと頷いた。
「いつもフリンの前では避けてきた事柄だ。でも、今は敢えて委ねる」
俺はとても残酷な決断を強いているのかもしれない。
フリンは強くなった、けど……まだまだ身体は幼い。
言うか、言わないかここで若干の迷いが出る。
すると、フリンはじっとこちらを見据えてきた。
それは既に覚悟が決まっている眼。
そんなものを前にしては、俺も年上として頑張るしか無い。
「ヴィーザルを殺すか、殺さないか。フリンにはそれを選ぶ権利がある」
生殺与奪。
それを目の前の少女に委ねた。
俺は絶対的な平和主義者でも無い。
最初の失敗以来、フリンの前では誰も殺さないようにしてきた。
だけど、俺自身は……本当に殺さなければ誰かが殺されるような状況なら、躊躇無く殺しをしていただろう。
生だけの完璧な善にはなりきれない、死も司ってしまう主神の傾向かもしれない。
「そんなに心配そうな顔をしないでくださいです、映司」
逆に気を遣われてしまった。
「私は、映司を今まで見てきました。だから、この答えを選べると思います。……選択します、私は──」
──フリンが提示した選択肢は、殺さないという事。
どんな気持ちでそれを選んだのかは分からない。
大切な家族を殺されて、それでも選んだのは誰でも無いフリン自身だ。
例え、復讐として殺す事を選んでも、俺はそれを止めないつもりだった。
その死を否定も肯定もしない。
「──分かった」
「あ、でも、復活したらまた悪いことをするですし、どうしますですか……」
確かにそうだ。
まだまだエーテルの回復は先とはいえ、こいつが改心するとは思えない。
「話は聞かせてもらったのじゃ!」
「お、スリュム久しぶり」
転移陣が開き、そこから小さな霧の巨人の王が出てきた。
「黒妖精の国から帰還なのじゃ。いやぁ、あそこは踏みつぶしてしまう物が少ないから楽だったのじゃ」
「ところで、話を聞いてたって……」
「のじゃ? ヴィーザルの影響が無くなって、ユグドラシルによる封鎖も解けたからのぉ。全異世界序列がここを注目、覗き見しておる」
まじか~……テレビ映りとか平気だろうか。
「それで、ヴィーザルをどうするかじゃろう?」
「ああ、そうだったな」
「トールとロキすら手玉に取った、もう一人の巨人の王──ウートガルザロキの力を借りれば容易い事よ。奴の城の装置で封印するのじゃ」
たまにスリュムの口から出ていた巨人の名だ。
確か実質的な巨人の国の支配者だとか。
「平気なのか……?」
「神の天敵はフェンリルのみにあらず。ワシ達、巨人もまた天敵。積年の恨みの成果を、じゃな!」
「そ、そういうものなのか」
「それに、依代さえ封じてしまえば、第二のヴィーザルが出現する可能性も低いしのぅ。現に今まで同時に複数の依代がいた事は無いのじゃ」
若干、スリュムが言うと嫌な予感がしまくる。
どちらかというと大不安だが、うぅむ。
本当に大丈夫かよ……。
「しょうがないので、しょうがないので……任せる」
「大船に乗った気でいるのじゃ!」
「お前が言うと泥船を通り越して、ただの鉄塊で即沈没しそうだけどな……」
「宇宙なら重さは関係ないのじゃ、質量大正義!」
頭脳担当らしいウートガルザロキに祈ろう。
「さてと、後は……」
俺は、鎖に繋がれたフェリを見つめる。
それはいくつもの概念を材料に作られた、黒い鎖。
グレイプニール。
まず力任せで壊すのは難しいだろうし、壊せたとしても『概念素材』というエーテルとも違う物は、多大なる世界への影響もあるかもしれない。
「イーヴァルディの息子、そこにいるんだろ」
「チッ、分かってたのかよ」
「じゃ、後は頼んだ」
たぶんそれだけで通じる。
物陰でこちらをうかがっていた小男。
イーヴァルディの息子。
若干、というかかなり外見が変化していてスリムだが、その魔力で何とか認識できた。
「それじゃあ、やらせてもらう。ママを超えるラストチャンスだ」
そう、イーヴァルディ──つまりこいつの母親もまた、ヴィーザルによって殺されている。
見た目は小さいが中身はいい大人なので、泣き言は言わないのだろう。
「ママの作品は完璧だけど、完璧じゃ無いのが特徴なんだ」
イーヴァルディの息子は、フェリの鎖をいじり始めた。
「例えば、ママ代表作の一振り──相手の身体を蝕む絶対呪毒の魔剣。エーテルさえ競り勝っていれば、きっかり一日で死に至る。だけど、作品の特徴として絶対に逃げ道を作っておく」
工具箱を開けて、適切なものを取り出していく。
「剣にかけられた呪いを誤作動の時のため、ママ本人が複雑な手順さえ踏めば解除できるようにしてある。このグレイプニールもきっと同じような機構が組み込まれている」
完璧な一品だけど、本人が完璧じゃないトリガーとなっている。
だからヴィーザルは、イーヴァルディを殺したのかも知れない。
「ずっと、その最高の職人の背中を見てきたんだ。その息子だってやれる、超えて見せる」
自ら言い聞かせるように、イーヴァルディの息子が呟く。
俺はそれを見守る。
完全擬態を使えば、同じ事が出来るかも知れない。
だけど、そこまで無粋な真似は出来ない。
そんな感慨深い表情の俺に向かって、シィが話しかけてきた。
「ねぇ、尾頭映司。あの鎖を本当に解除していいの?」
「ああ」
「本当に何もかも失うわよ。だって、あなたはもう……既に大切な……」
「それだけは話してなかったのに、知ってたのか」
シィは浮かない顔で、やっぱりと言った。
「あなたの結末すら見た事があるのよ。今回の向こうでのヴィーザルとの話、最初に渡り合えたという部分につじつまが合わないもの」
なるほど。
確かにあの事を抜かしていたら普通は、開幕でヴィーザルと拮抗せず圧倒されていただろう。
「捧げたんでしょう? 大切な物……」
「ああ、味覚を捧げた」
「予想はしていたけど、辛いわね」
みんなには隠しておきたかったが、いつかはバレる事だ。
「映司お兄ちゃん、それどういう事──」
「悪い。もう左目と味覚が無いんだ」
謝るのは早い方が良いかもしれない。
「嘘、ですよね……」
風璃とフリンが深刻な表情をしている。
本人としては覚悟しての事だけど、周りはそうもいかないようだ。
「いやー、ごめん。もう料理を作れなくなってしまった」
「そ、そっか……でも、あたし達を守るために仕方なかったんだよね……」
いつものような軽い言い方で察してくれたのか、風璃は色々な気持ちを飲み込もうとしているようだ。
「……よーし。帰ったらあたしが代わりに、腕によりをかけて料理を作っちゃうから!」
「そうですね……。これでエーデルランド、いえ、ラグナロクの危機は去って、異世界序列すべてを救ってくれた映司、四人目の主神の凱旋です……! そのために自らの大切な物を生贄に捧げてくれたのですから、きっと神々も祝福を──」
フリンも気を遣ってくれているようだ。
だけど、違う。
違うんだ。
「──ごめんな。最初から力を得るために、こうするつもりだったんだ」
イーヴァルディの息子が、フェリの鎖──グレイプニールを解除した。
拘束を解かれた存在。
こちらを振り向く。
「エイジ──いや、現存する唯一のオーディン。お前を殺す」
──黄金の瞳──。
「フェリ。俺も──お前を倒す」
──藍いエーテルの左眼──。
交差する視線。
そして、フェンリルとオーディンは戦う。
それがラグナロクに至る、変えようのない運命なのだから。
* * * * * * * *
ワタシはずっと旅をしてきたのかも知れない。
終末の予言によって縛られ、無慈悲に苦しめられ、世界から恐れられ。
再び自由を得たあの日から、旅をしてきた。
ワタシは見てきた、だから目指すべき旅の終わりは知っている。




