154話 盾の破壊者(ランドグリーズ)
「俺の、心が……黒く染まっていく……」
「ふふふ、どうやら直接触れたのなら効果があるみたいですね……」
精神の余白から、徐々に侵食されていく感覚。
気持ち悪く、吐き気がするものだが、確かにそれは俺自身の黒い感情。
『悪い、やっぱりアタシは既にいじくられていて……もう助からない、どうしようもない状態だったみたいだ』
鎧から聞こえてくる、少しだけ申し訳なさそうにしているが、達観しているような声。
「最初から心が壊れていたランドグリーズには簡単に仕込めましたよ。……さぁ、映司。心が壊れる直前だとしても、夢を見るように──少しずつ私好みになっていきましょう」
野郎から言われる台詞としては心底嫌だが、実際に蝕まれていく感覚は抑えきれない。
この感覚、懐かしい。
あの三度目の巫女の予言というやつの──。
「そうだな、ヴィーザル。これはお前好みかもしれないな」
完全に黒くなった全身鎧、神槍。
左目は黒き焔を纏い──右目は絶望、破壊を求める。
ただ世界を、生きとし生きる者を穿てと俺が──俺に呼びかける。
だが──だが──。
「そう! だが! ──俺が黒い衝動を向けるのはお前だ! ヴィーザル!」
何もかも壊したい、恨みしか無い心。
それを目の前のヴィーザルのみに向ける。
「そこまでして私に、黒き神に抗いますか」
「ああ、気にくわないね! お前の中にある黒き神の存在ごと粉々に砕いてやるよ!」
破壊衝動のみになった今では、ろくな魔法を行使できない。
でも、ただ単純に破壊するというパワーはトールにも匹敵するかもしれない。
「だから──死ねよおおおおォォォオオ!!」
俺の口から発しているのか分からない獣の叫び。
それと共に、黒い神槍を構えながら突貫。
破壊目標──ヴィーザル。
「これは……直接受けたらまずいですね」
こちらを直線的な動きと見たのか、素早く真横へ回避。
俺はそれを瞬時に判断し、最適壊のためだけの行動へ。
神槍を地面に突き刺し、地面をスライド移動のように削る。
しなる反動を利用して、半回転の後に方向転換で──ヴィーザルに飛ぶ。
「なっ!?」
「よぅ、ヴィーザル」
その超高速に肉の両腕は耐えられなく、丁度良いところで千切れてくれた。
俺は表情変えずに血液をまき散らしながら、、そのままヴィーザルに頭突き。
「この私が──ぐううぅッ!? 痛い痛い痛い!!」
次に首筋に噛み付き、エーテルごと肉を喰らった。
瞬時に両腕を再生させ、神槍を戻して、振りかぶる。
「ひ、ひぃッ」
何故か恐怖するヴィーザル。
可笑しいな。
だって今の俺達は同類のはずだろう?
俺は心の奥底から楽しそうに昏く嗤っていた。
「く、来るな! やめろ!」
「お前をハンバーグにしたら喰いながら考えてやるよぉ……!」
必死に神槍の刃先が届かぬよう、両手で握りしめて抑えるヴィーザル。
俺はそれを滑稽だと思いながら、がら空きの腹を踏みつける。
「ゲホォッ」
「断末魔は最高のスパイスだ。もっと、もっと、もっと、もっと──いや飽きた。消滅しろ」
気が付いた。
こんな矮小な精神をいたぶっても楽しくない、と。
そう、もっと高尚で犯すことの出来ない心を、エーテルを蹂躙したい。
疑似の世界で無ければ、いるだろう。
それに当て嵌まる、俺の大切だった存在達が。
さぁ、目の前のゴミを消してから向かおう。
「──絶対死歿、ただ其れだけの為、我が罪の証と成れ。殺戮主神の名において──我放つ──」
俺は、ヴィーザルの顔面から数センチの距離で神器を発動させようとしている。
「『必罰せし魂響の黒神槍』」
発動──させようとした瞬間。
「黒き加護よ! 対主神拘束具よ! 映司の動きを止めろ! 止めろおおおおおおお!」
その情けない絶叫と共に、本当に俺の動きが止まってしまった。
あと一歩でミンチならぬ、焦げ付きすら残らない料理が仕上がったというのに。
「味気ない。くくく……味覚を失った俺が味気ないと言うのだぞ。笑え、ヴィーザル」
「映司……お前は、もはや操る事も出来ない領域で生命の天敵となっている。私とは若干の思想の違いがあるようだ……」
「思想? そんな邪魔なもの、生贄にでも捧げちまえばいいだろう」
後ずさるヴィーザル。
「ふ、ふふ……この拘束すらいずれ破られてしまいそうなくらいに変質していっている。もしや、あなたは白と黒の両方に適性が──いや、だからこそ、その前に」
ヴィーザルの神器にエーテルが集まっていく。
「動けないまま、殺して差し上げましょう!」
力を溜めきったら、その蹴りで俺を殺すつもりだろう。
このまま朽ちてしまうというのか。
まだ、やり残した事があるというのに。
……やり残した事、本当にやりたかった事、それは何だっただろうか。
黒く染め上げられてしまって、思い出せない。
* * * * * * * *
『映司、聞こえるか映司?』
「ランド、グリーズ……。ここは──」
『お前の中だよ』
8割ほどが黒く染まっている空間。
なるほど、確かに俺の現状を表すに相応しい場所だ。
そこに、少女の姿のランドグリーズが立っている。
『もう残ったお前は、表層意識として出ることも無理だろうな』
「今出て行っても、動けなくてやられるけどな」
笑い出すランドグリーズ。
『いやぁ、楽しい。本当に楽しい。アタシは元からこうなる事を、何となくわかっていたのさ』
「そういえば、そんな感じだったな」
『お前なぁ……』
ピタリと笑いを止めて、俺に詰め寄ってくる。
そして足りない背で、俺の襟首を掴んで締め上げようとしてくる。
『少しは怒らないのかよ?』
「どうだかな」
『っこの!』
俺を突き飛ばす。
……だがあまりに力が弱く、よろめいたのはランドグリーズの方だった。
『昔からお前はそうだ! 最初に出会った時もそうだ! 自分の事は気にせず、他人のことばかり!』
「出会った時って……」
『お前は知らないかもしれないな! アタシは、藍綬を助けたいというお前の願いを叶えたんだ!』
藍綬を……助けたいという願い?
それは、いつだっただろうか。
『そうだよな、そうだよ。映司は覚えていないだろうな。なんせ──その時、存在の半分を生贄に捧げていたんだからな!』
「ちょ、ちょっと待て。それは本当なのか」
『その後、生きる屍のようになった映司は、一生そのままを過ごすはずだった。五感や精神まで不安定だっただろう?』
そういえば、確かに自分では無いような、そんな気分が続いたと思う。
『そのツラは理解したようだな。つまりだ、あたし──ランドグリーズは、ほぼ映司と藍綬の魂で構成されていたんだよ』
うーん、と俺は考えてしまう。
前の話と合わせると、弱っていたランドグリーズが地球付近で流れ星として目撃されて、俺がそれに生贄を捧げて、藍綬の魂を救うように頼んだという事だろうか。
そして元のランドグリーズの魂、俺の魂の半分、藍綬の魂が混じって今の存在となっていたと。
……それは見方を変えれば。
「おお、娘よ~?」
『なわけねぇだろ! 気持ち悪ぃ!』
「反抗期か」
『薄れたとしても、元々のアタシの性質は年中反抗期、享楽家だからな! 悪いことは大体やってきた!』
「ヤンキーの売り文句か」
『チッ、これだからお前と喋ると調子が狂う……』
藍綬との娘かぁ……。
知らない内にとはいえ、色々と複雑な気分になってしまう。
でも、責任は取らなければいけないのだろうか。
高校生にしてパパ。
『いいか? アタシはアンタを陥れて楽しんでいたんだ』
「そっか」
『恨むか?』
「いいや」
当たり前のように答えた。
「だって、藍綬のために色々やってくれたランドグリーズが悪い奴なわけないだろ」
『悪い奴なんだよ! ヴィーザルの側にもいたから、結局はこうなっちまうのを知っていて、こうやって動けなくなるのも予感してたって言っただろ!』
「ふむ、おしりペンペンくらいした方がいいのだろうか」
『舐めてんのか……。ああ、いいさ! アタシはお前が嫌いだ! だから──』
「俺は好きだけどな」
ランドグリーズの言葉が一瞬止まった。
『アタシは嫌いだ! だから、映司が一生勝てない事をしてやるよ!』
「勝ち負けなのか?」
『ああ、そうさ! お前が最強の存在だったとしても、絶対に勝てないランドグリーズになるのさ!』
* * * * * * * *
力を溜め終えたヴィーザル。
「──絶対破滅、ただ其れだけの為、白き目覚めを踏み付け礎とせよ。終焉狼の殺し手の名において──我放つ──」
助走を付けて、こちらへ神器を放ってくる。
「『蹂躙せし黄昏の跫音!』
足先に黒き炎を纏わせ、全力突進による跳び蹴り。
それはまるで一条の黒き流星の如く。
このまま直撃したら、間違いなくエーテルごと身体が弾けて、燃やし尽くされてしまうだろう。
『しっかりと目に焼き付けて、誰がアンタ達を一番楽しませたか覚えておきな! アタシは──戦乙女、盾の破壊者だ!』
俺は、この光景をどこかで見た事がある。
強烈な記憶。
黒の加護に侵食されていようが、思い出してしまう後悔の映像。
「なんだと!? 私の神器が弾かれる!?」
悪夢のように繰り返される。
砕け散る鎧。
それはランドグリーズ。
キラキラと、辺りに舞い散っている。
自らを犠牲にして、一度だけどんな攻撃からも守るという最後の手段。
やめろ、やめてくれと言えなかった。
身体が動かない、ただ見てるだけしかなかった。
『映司、本当にお前の事は嫌いだった……』
僅かに残ったエーテルの残滓、そのランドグリーズの声を聞いているしか出来ない。
『無事だったのが残念だ。腕の一本でも吹っ飛んでりゃ良かった』
苦しげに憎まれ口を叩かれている。
『藍綬の夢、お前と家族になるってやつ……そりゃお前が叶えたのかも知れない。でもな、最後……最後はアタシだ……』
ああ、ランドグリーズが消えていく……。
『お前を恨みながら死んでいく、これ以上の事は無い楽しさだ』
その元気だった声は、もう擦れていて、今にも途切れてしまいそうで。
『この苦悩を与えることが出来るのはアタシだけだ。他の誰でも無い、本当のランドグリーズ』
俺の中に、何かが流れ込んでくる。
とても懐かしい、失っていたはずの何か。
『やっぱり、こんな気色悪い魂二つは返す。一緒に言い合ったり、喧嘩し合ったりなんて御免だ』
俺に戻ってきた、半分の魂。
『チッ……。なんで最後に、こんな無駄な事を言っているんだろうな』
少し離れたところに淡いエーテルの光が集まって、人型に構成されていく。
それは、見間違いもしない……藍綬だった。
『アタシの最後のエーテルで、藍綬のひ弱な身体を作っておいた。まぁ、カスみたいなエーテルだ、すぐに消えちまうかもな。たったの許容年数90年程度だ』
ランドグリーズ、お前……。
『良いか! それでも、藍綬を最後──最後に救ったのはアタシ、このランドグリーズだ! これで一生アンタは、アタシに勝てない! ざまぁみろ!』
彼女を救う方法……何か。
ランドグリーズを救う方法は──そうだ、ある。
今なら、違う道を歩んできた今なら使えるはずだ。
『アレを使おうって思ってるんだろう? 良いぜ、アタシはそれも見越して、ワザとヴィーザルのやつの策にハマってやったようなもんだ。使って盛大に後悔しろ!』
ランドグリーズの魂が消える直前、俺は門を開いた──。
『あばよ! アタシは世界を! 大嫌いな映司を恨みながら……』
──神槍を鍵代わりに、俺の胴体に突き刺して。
「開門、『死者の館』」
ランドグリーズの微かに残ったエーテルは門の奥へと吸い込まれた。
そして──。
「あなたは、だぁれ?」
扉の先で出会ったランドグリーズは、全てを失っていた。




