146話 遺宝の館(フォールクヴァング)
私──フリンは震えているしかなかった。
目の前のヴィーザルとテュールは上級第一位の中でも、最強の部類に入る存在。
下手に手を出しても足手まといにしかならないと、なまじある程度の強さを持ってしまったために感じ取れてしまう。
「さぁ、残る戦力はフリン、キミだけになったわけだが──」
「ひっ」
いつものヴィーザルの笑みが恐ろしかった。
普段と変わらないという事は、普段からこのヴィーザルだったのだろう。
「どうか、この特等席でフェンリルと一緒に殺戮ショーを見学して欲しい。逃げるという自由意志は尊重するが、その場合はそこの人間──風璃とやらが死ぬ事になる」
風璃は、オタルを抱きかかえたままだ。
普通の人間など、この場では一瞬で殺されてしまう。
……もうどうしようもない。
ヴィーザルの言う事を聞くしか無いのだ。
「フリンちゃん、あいつの言う事なんて聞くことはないよ」
「風璃……やめてっ!」
風璃は、強い意志でヴィーザルを睨み付けた。
「こんな奴、きっと映司お兄ちゃんが──」
「それは無理ですね。ユグドラシルか、私の意思でも無い限り、この疑似空間エーデルランドは座標すら分からない状態でしょう。ここに直接の到達など夢物語ですよ」
「そ、それくらい! いつもの映司お兄ちゃんなら一人で何とかして……」
ヴィーザルから膨れあがる黒い靄。
それはエーテルのはずだが、次元の違う何かが色を付けている。
「では、教えておいてあげましょうか。この私には、原初の二神とも呼ばれる最も古き神──黒き神と呼称される存在の加護が与えられています」
「それがどうしたって言うのよ!」
「白き神と黒き神は、ユグドラシルを創った存在。つまり、この世界のルールとも言える世界樹に命令する権限を持っているのですよ。時間魔法はまだ難しいですが、黒き神が得意分野とする空間魔法はこの通りです」
現実世界のエーデルランド住人全てを疑似世界に強制転移させ、私やフェリだけを招き入れる事が出来たのはそのためらしい。
「それでも信じてる! だから、今はあたしがフリンちゃんを守る!」
「はぁ……もうその虚勢すら愛らしい存在ですね、あなた達は」
震えて立てない私の前に、風璃がかばうように両手を広げて背中を見せる。
「風璃……無理だよ。殺されちゃうよ……」
「そうですよ。第一、あなたはフリンより弱いじゃないですか。立場が逆ですよ」
戦力差は歴然だ。
上級第一位の存在と、下級第三位の風璃。
人は神にあらがえない。
「確かに、あたしは力が弱いかも知れない! 知識も知恵も無いかも知れない! でも、だからこそ! あたしより小さな子供は死んでも守る!」
「風璃……」
私の震えは止まった。
「すごい! すごいよ人間! 嗚呼、正に神の寵愛を受けし最弱にして愚かな存在……。これは今殺してしまうのが惜しくなりましたね。メインディッシュとして最後に殺したいです」
一際大きな笑い声のヴィーザル。
狂気をはらみ、間違いなく普通では無い。
「良いでしょう、もっと絶望させてあげましょう。ねぇ、ランドグリーズゥ?」
「分かりました、ヴィーザル様」
「え?」
風璃が驚いた声をあげた瞬間、装着していたランドグリーズの鎧は光となって分離して、ヴィーザルの元へと人型で降り立った。
「ランドグリーズ、お前の主は誰だ?」
「ヴィーザル様、貴方が……ご主人様です」
風璃の両腕は、戦意を失って真下にだらりと──。
「嘘でしょ、藍綬……」
「いいえ、風璃。私が今回の計画を知った上で、あなた達を誘導しました。そう、意図的にです」
ランドグリーズの表情は俯いていて見えず、風璃も背中しか見えない。
だけど、二人ともその声は辛そうだった。
「ねぇ、藍綬……あたし、気が付いていたよ……本当の藍綬だって……」
「……ッ。私は……ヴィーザル様に仕えるランドグリーズです」
そんなはずない! と風璃はかぶりを振って否定した。
「ついこの間だって、映司お兄ちゃんのためにグングニルと鎧の相談をしたりとか──」
「映司様は、このエーデルランドで戦乙女となってから利用していただけです……」
「じゃあ! 戦乙女じゃなくて、あたし達が三人一緒に遊んでた頃はどうなの!? それもッ、それもなの!?」
「……全て、全てが嫌いでした。惨めな私に中途半端に手を差し伸べて、結局は助けられないあなた達兄弟が大嫌いでした。……大嫌いでしたよッ!」
「……藍綬」
私は覚悟を決めた。
立ち上がり、今度は風璃の前に。
「フリンちゃん……?」
「風璃が──人間が弱ってしまったら、今度はそれを助けるのが神様ってもんです! いつもはた迷惑とか、傾国幼女とか、そりゃもう普段は映司から色々言われてますが、私は女神です! 二代目フレイヤなんです!」
いつも後ろから私達を支えてくれた風璃が、こんなに弱っている時に私は何をしている。
そういう気持ちが沸き上がってきて、ヴィーザルへ立ち向かう意思が、闘志が作られていく。
「フリン、今のあなたになら分かるでしょう? 戦っても無駄だと」
「分かる、分かりますですヴィーザル! でも、それでもやるんです! 何かに繋がると信じて!」
戦力になる味方はいない。
敵は三人。
戦乙女ランドグリーズ、軍神テュール、黒き加護のヴィーザル。
「絶望……はしない!」
「そうですか」
まだ外の世界にはおじいさま──初代オーディンもいる!
「お爺ちゃん子のあなたの事ですから、もしかして初代オーディンの事を考えていましたか?」
「そ、そんな事っ!」
「既に、その愛しい主神は消えていますよ」
ヴィーザルはにこりと笑った。
「ここに来る前、謁見中に私が殺したという事です」
「……な、なにを。おじいさまは神々の中でも一番強くて……」
「孫のあなたが心配で、完全擬態で付いてこようとしていたのですよ。ですが完全擬態は最強であり最弱という諸刃の剣。その最中に後ろから我が神器『蹂躙せし黄昏の跫音』で蹴殺しました」
おじいさまが……そんな……。
「残念ながら、皮を剥いでくる時間が無かったのが残念です」
ヴィーザルが何を言っているのか分からない。
「靴の素材として丁度良さそうだったんですよ。今使っている、フリンの両親の革ともマッチしそうなので」
何を言って……。
私は呆然と立ち尽くしていた。
「あれ? 分からないのですか? この靴は昔、あなたの両親を殺して──その生皮を剥いで加工した革靴の神器ですよ?」
「お父様……お母様……」
お父様とお母様の記憶はおぼろげだ。
覚えているのは優しかったという事を辛うじて。
だけど、おじいさまとおばあさまから色々と聞かされた。
二代目オーディンであるお父様は、人間であったお母様と恋に落ちた。
二人は幸せだった。
その間に私が生まれた。
最初は次代の主神が人間と交わるなど、と神々は反対していたが、それを必死に実力で認めさせようとするお父様の努力のかいもあって、家族三人は祝福された。
神々は名字という概念が薄いため、私はお母様からもう一つの名を受け継いだ。
少し照れくさいので普段は名乗っていない。
たぶん、幸せだった。幸せに過ごしていた。
私だけになってしまうまでは。
──ある日、事故が起きた。
異世界の一つが消滅した。
お父様とお母様と一緒に。
原因は、主神最大の権能である『死者の館』を暴走させたためだと聞いた。
信頼する者を生贄として、大量の魂を力とする。
初代オーディンでもその半分しか使えないという。
お父様は功を焦って失敗した。
そう神々は責めた。
異世界一つを死者の館の生贄にした大罪神とその妻。
生き残った私も冷たい目で見られた。
頼れる者は、おじいさまとおばあさま、ヴィーザルと言った片方の血の繋がりがある存在だけ。
おばあさまは厳しかった。
おじいさまはいつも一緒にいてくれた。
私は、おじいさま一人だけ居れば良いと思った。
ずっと、おじいさまと一緒に居られれば良いと。
だけど、おばあさまはそれではいけないと言った。
急遽、エーデルランドの管理神としてあてがわれた。
おじいさまと離れるのは寂しかったけど、その管理の仕方は見ていたので平気だろうと思っていた。
だけど、誰にも頼らないで何かをしてみようという、子供じみた考えでは……どうにもならなかった。
様々なサポートをしてくれていた人々は去って行き、また私はひとりぼっちになった。
どうせ、おじいさま以外には頼らないし……と思っていたけど、異世界管理はそこで行き詰まってしまった。
そこで、おじいさまからもらった変なダーツを使う事にした。
一人だけ、自分が望む存在を絶対命中で連れてこられるという物。
物凄い適当に投げたら、それは地球の尾頭映司という、ただの人間に当たった。
面白い感じの人だったけど、まったく頼りにはならなかった。
開幕からエーデルランドを半壊というより、全壊にしたり、私から力をいつの間にか奪っていたり。
本当に頼りなく、頼りなく、それはもう頼りなく……。
でも、優しくて、近くに居ると懐かしい気持ちになって安心出来た。
その内、私も一緒に何かしなくちゃと思った。
一生懸命に何かしようとするけど、いつも失敗してしまう……けど、何回でも頑張ろうと思った。
一緒に居てくれる映司のために、映司が繋げてくれた友達──みんなのために。
──強くなろうと思ったです!
「おや、フリン。黙ってしまってどうしました? ここにはあなたが恋しがっている両親がいるのですよ?」
ヴィーザルの靴から、確かに私に近いエーテルを感じる。
「フリン。私に身をゆだねなさい。頼りなさい。寂しさを愛で埋めてあげましょう」
「……らないです」
「んん?」
「いらないです! お父様、お母様、おじいさまの愛はここに! 私が愛の結晶です!」
私は構えた。
「私はオーディンとフレイヤの孫で有り! 半神半人の娘! そして──」
今の私では勝てない。
強くならなければいけない。
おじいさまに、お父様に、映司に釣り合う強さ──それが──。
「二代目フレイヤです! オーディンと対になる最高神フリン=シュラインです!」
「ふん、あの女の名字を語るか。神が名字を語るとは片腹痛い!」
世界の理を覆す黄金の首飾りに呼びかける。
「全てを作り出す創世の首飾りよ、死の美しさを照覧せしセイズの座よ──」
詠唱とは理解。
媒体と成る物への畏敬の念。
「炎のような情熱を以て、今ここに──」
今、私は──私の中にある全ての愛を込めて、冥界とも違う、魂の門へ呼びかける。
「遺宝の館の門を開け! 世界盤の頚飾!」
『起動確認。モード白紙』
0:運命のルーンをセイズ魔法で使えた。
練習では一度も出来なかったのに。
でも、理由は何となく分かっていた。
お隣に住んでいる少年──眞国から聞いた事がある。
授業参観日は、いつもより張り切ってしまう、──って。
父親である徹さんが来たときは、それはそれは嬉しかったそうだ。
そう、そんな単純な理由だ。
「発動対象──世界!」
『了解しました、フリン=シュライン』
ブリシンガメンは姿を変えず、ただただエーテルを広げる。
白、白が世界を──疑似空間が疑似空間を塗り潰す。
「これは……死者の館と対になる世界魔法を無理やり発動させましたか」
「やっぱり半分以下が精一杯……でも!」
白に塗り潰された世界、私の背後に荘厳なる彫刻が施された黄金の門が現れ──開いた。
「お父様、お母様、おじいさま──力を借ります!」
白いシルエットが三体。
二体はその手にグングニルを持っている。
それだけで誰か分かる。
「このエーテル……コピーしましたか」
「ええ、おじいさまはもういない! そして、お父様とお母様はヴィーザルの神器にいるかもしれない。でも、私の方にもいるんです!」
疑似空間を生成し、そこを館としてエインヘリヤルを呼び出す。
それが死者の館と、遺宝の館の能力。
死者の館の方が生命体をコピーしやすいのに対して、私の遺宝の館は無機物など──つまり武器などをコピーしやすい。
「──絶対勝利、ただ其れだけの為の楔と成れ。フリン=シュラインの名において──いっけぇー!ダブル『必中せし魂響の神槍』!」
お父様とおじいさまのシルエットがグングニルを投擲。
「死したその場にいたのでもなく、遺品も手元に無いというのに呼び出せるとは……よっぽど愛されていたんですねぇ」
一直線に、絶対命中の効力を秘めてヴィーザルへ向かっていく。
「ですが、残念です。私の能力は運命を操作する」
ただいつものように笑い、その場に立っているだけのヴィーザル。
グングニルはそれを避けるように逸れた。
「なっ!?」
「私の黒の加護は、どうやら全て私の都合の良いように運命を書き換えてしまうらしいのです」
「……運命なんて! 映司ならきっと、本気で笑い飛ばしてくれるです!」
私は、飛翔中のグングニルへ命じた。
「幾千幾万の楔と成れ!」
二つのグングニルは、二万本の光となってヴィーザルへ収束していく。
「んん~? これは……そうか、シュラインの血が遺宝の館発動で、白の加護を微弱ながら宿して、黒の加護を中和しているのか」
光の槍がドーム状に迫る中、ヴィーザルは余裕の表情を見せていた。
「では、私の神器を披露しようか──『蹂躙せし黄昏の跫音』」
ヴィーザルの革靴が黒く輝き、感じた事の無い強いエーテルを生み出した。
「中途半端なコピー相手なら、詠唱すら必要ないくらいに、ただ単純に強いんですよ、これは」
ヴィーザルは目にもとまらぬ早さで、全ての光を蹴り落とした。
それも無傷で。
「そんな……お父様とおじいさまのグングニルが」
「力を付けるのなら、もっと生贄を捧げるべきです。そう、君の父親にも勧めたのですが、途中で壊れてしまってね。人質としていた君の母親と一緒に死んでしまいましたよ」
ヴィーザルは一瞬でこちらに近付き、私の頭部を横方向へと蹴った。
「あっ」
直前で、お母様のシルエットが私をかばうも、簡単に貫通した。
崩れるシルエット、転がる私。
一瞬、意識が飛んで白の疑似空間が解除されてしまう。
「う、うぅ……もう一回……何度でも……」
「残念ながら、未熟なあなたでは多大なるエーテルの消費に耐えられないようですね」
「出てよ! 出てよ……!」
「もう希望はどこにも無い、お終いです」
徐々に崩れていく白い世界。
元の疑似空間のエーデルランドの姿が見えてくる。
ヴィーザルはいつものように笑っていた。
私は悔し涙を流しながら目をつぶった。
次の瞬間、聞こえてきたのは何かが砕けるような音、生肉を千切る音。
「え?」
でも、私は痛みを感じていない。
恐る恐る目を開くと──。
「隙あり♪」
ヴィーザルの頭部が笑みを携えたまま潰れ、飛び、地面へと転がっていた。
その背後には──血の付いたメイスを構える戦乙女。
深淵を宿した瞳は誰よりも狂気を孕んでいた。




