141話 神をも掴む魔女の数式(イージス)
新たに出現した敵は三種、十二体。
ミストルティンでやっと倒せた中級第三位の疑似能天使と──。
「く、発動する前に破壊されたか!?」
死刀、死弓を茨の鞭で破壊した存在は、美しい女性をかたどった人形。
身体から生えている薔薇を嗅ぎながら、冷たい無表情をこちらに向けてくる。
「中級第二位──疑似力天使……」
死の六柱は残り三になってしまった。
だが、やるしかない。
「生者必滅、無敵を無にせよ──『最弱の若枝』!」
二つを同時に撃ち放つ。
瞬間的に発生する光。
それで、現時点で一番格上の相手を打ち抜く。
……はずだった。
「天上の階位が違いすぎる……か」
打ち抜けなかった。
狙った相手は疑似主天使。
天上の階位で中級第一位──神の領域に片足を踏み入れている。
光と見間違うような炎を身にまとい、何者にも干渉されないという揺るぎない瞳。
身長二メートル程度の若い男性に見えるが、その計り知れない威圧感は確かに神々を思い出す。
これが人間では持ち得ない、エーテルというモノなのだろう。
渾身の一撃に近いミストルティンを二発も直撃させたが、疑似主天使が着ているロングコートのようなものに傷すら付けられなかったのだ。
その神の使徒とも言える十二存在が、同時に飛び道具を撃ち放ってきた。
魔力、炎、光、エーテル──複雑すぎて理解できないような飛翔物がいくつも、いくつも高速で向かってくる。
残念ながら、回避は不可能という事だけは理解できた。
「死扇! 守れ!」
眼前、設置盾のように大きく展開。
数発衝突しただけで亀裂が走り、崩れていき、そして爆散。
これで武器──死の六柱全てを失った。
「うぐっ!」
その衝撃に巻き込まれて、ボクは地上まで猛スピードで落下した。
速度を軽減、軽減、軽減!
祈るように魔力を浮力として操作し、即死を避けようとする。
だが、先の戦闘で急激に魔力を使いすぎてしまっていたため、反動でうまく操作ができない。
遠い空がさらに遠くなり、空が落ちているのか自分が落ちているのか分からない。
人間としての三半規管では、空中戦なんて無謀なのだ。
地面に叩き付けられて死んでしまうのだろうか。
一瞬そういう不安がよぎる。
いくら呪われし魔術師とか呼ばれていても、身体はただの脆い少女。
……だけど信じた。
後で全てを何とかしてくれるであろうオズエイジと──。
「うおぉっと!? 重くなったか、シィ?」
落下地点で待ち構えてくれていた、今を助けてくれるリバーを。
「あんな上から落ちたんだから、その分で重く感じただけでしょ!」
「何か最近、食べ歩きとか聞いたような……」
ボクを受け止めてくれたリバーの顔が近い。
お姫様だっこというやつだろうか。
女子会の時、話には聞いていたがこれは恥ずかしい。
かなり恥ずかしい。
「も、もう馬鹿! おろして!」
ボクは飛び降りるように逃げた。
今回もリバーはガサツで、ボクの事を女の子として気遣いもしない、いつもの釈然としないパターン。
でも……最後にちょっとだけ幸せだったかもしれない。
「肝心な時は、いつも助けてもらってたね」
リバーに背を向け再度、飛翔魔法の呪文を唱える。
「シィ……お前。やめろ、行くな……」
何かを感じ取られたのかもしれない。
悲痛な声が耳に響く。
「リバーに逃げてっていっても、言う事を聞いてくれないから、ボクが離れるしかないじゃない」
リバーは知らないだろうが、ボクはこれから未来を救うための行動をする。
たぶん死ぬだろう。
でも、間に合わせなければならない。
それには、このタイミングしか無い。
バッドエンドの未来になる前に、彼を──オズエイジを導く予言の巫女として。
こちら側と、あちら側で同時に特殊な力をぶつけて、未来への道を切り拓く。
「さよならリバー。ボク──いや、わたしは……あなたの事を……」
背を向けている今なら、顔を見なければ言える──。
「……とても大切な者と想ってる」
言え、なかった。
そのとても大きな存在に背を向けていても、その優しくも悲しそうな顔を見なくても、結局は愛してると一言の呪文すら言えない。
何が人類最強の魔術師だ。
結局、人類最弱の女の子のままじゃないか。
「──ッ!」
飛翔するために風が巻き起こり、最後のリバーの声はかき消された。
これでいい。
これ以上聞くと、もっと涙が溢れてしまいそうだから。
未練を振り払うかのように空へと舞い上がった。
天使が空を飛ぶように──では無い。
未来を邪魔するクソッタレな天使共を! 後悔させてやると大罪を背負った悪魔の如き形相で!
「主兵装、神式解放!」
ローブを脱ぎ去り、その下から出てきた格好は以前買った勝負服──大きなリボンが付いたノースリーブのブラウスに、短めの革スカート。
あらわになった右腕の包帯を魔力の炎で焼き切る。
右指先から肩までの表皮にかけて浮かび上がる、おぞましい数のルーン文字。
これは表面から書いたものではない。
直接、内部──神経、骨まで入れ墨のように刻み込んだのだ。
それによって筋肉は血にまみれ、神経は汚染されている。
とても好きな人には見せられないくらいに青黒く変色し、腫れ上がっていた。
歪な形をした金具もいくつも突き刺さっていた。
「接続──……う、ぐっ!?」
敢えて、今までは神経などを切り離していた右腕。
感覚が戻った瞬間、激痛が襲ってきた。
爪を剥がされるような痒みを伴う痛み。
皮膚を引っ掻かれ、引き裂かれ、押し広げられるような痛み。
骨を握りつぶされるようなショック死レベルの鋭い痛み。
常人には耐えられない絶痛が一斉に、何もかもを侵食する。
「……さすが、禁呪ね。……こんなの、誰も使わない、わけだ」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い──。
今すぐに右腕を切り落としてしまいたくなる。
痛みを最大限に引き出す拷問というものすら、これに比べれば生ぬるいだろう。
神経だけでは無く、魔力まで蝕む禁呪。
デメリットが酷すぎて、全てがそれに持って行かれてしまいそうになる。
でも、わたしはもう泣かない。
わたしは──『ボク』では無く、女性としての『わたし』として、リバーのために泣いた後なのだから。
それを情けない痛みの涙で汚すなんて、女が廃る──!
「来い! 三下の疑似天使共が!」
空に舞い戻ってきたわたしを攻撃対象と見なし、十二体の中級疑似天使達が再度の飛び道具を放ってくる。
さっきと同じで、とても避けられたものではない。
「わたしを倒したいのなら──」
禁呪に塗れた醜い右腕を前へ突き出す。
手の平を広げ、精一杯の気合いで震えを止める。
そこへ突き刺さるように光が飛んできたので──。
「上級存在でも連れて来なさい!」
──握りつぶした。
未完成版『神の数式』を展開。
一瞬にして、直接触れた魔術、魔法、エーテル、物理、全てを解析。
それを反転させてカウンターに転じる事が出来る。
「反射!」
四散、吸収した相手のそれを再形成、腕の周りからリボルバー式拳銃のように円を描き──連続射出。
改竄反射されたエーテル弾によって、対消滅のように中級疑似天使を撃ち払っていく。
同じように他の攻撃も、全パターン取り込む。
これなら、いくらエーテルで身体の不死性を保てる相手でも、同じ力によって自らの纏うエーテルを吹き飛ばされて身体の維持も難しいはずだ。
「いける!」
ぶっつけ本番だが、中級の相手くらいならこちらが、その場で死んでしまう反動はなさそうだ。
カウンターによって一気に数を減らしていく相手。
さすがに攻撃は悪手と悟ったのか、知能が高い中級の疑似天使達は攻撃の手を止めた。
そして──。
「ついにお出ましね」
わたしが待ち望んでいた、最後の時が近そうだ。
天に空いた穴の色が、また一段階深くなった。
「まるで人体が抗体を段階的に作るような働き……」
次元の狭間から、ゆっくりと出現する山のように巨大な存在。
神々と同等の力を持つ、天上の階位で上級第三位──疑似座天使。
その姿は、一言で表すのなら角張ったクジラのような戦艦。
巨人族が所有する、宇宙を走る鋼鉄の船と似ている。
だが、これはそれ自体が生きている。
表面に張り付いているギョロリとした複眼達が蠢き、先端の部分に口の切れ目がギザギザに入っている。
「これなら……」
疑似座天使はこちらに狙いを付け、その巨大な口をガパッと開けた。
異様な力場が形成され、凝縮されていく。
おそらく、エーテルによる砲撃だ。
これが望むに値する威力なら、わたしはここで死ぬことになる。
そして、きっと……いや、絶対に成功する──させる。
覚悟を決めて、禁呪で道具と化した右腕を突き出す。
これまでの人生全てを賭けた勝利への一手を掴むため。
命を捨ててもリバー達に生きてもらうための捨て石になるため。
四回目の巫女の予言ですら見えない、この先──運命に縛られない世界へと導くため。
それで十分だ、わたしの命の使い道としては。
「このタイミング、転移の揺らぎが一致してる! 奴が来ない内に! 運命をねじ曲げられない今だけの──最後のチャンスなんだ……!」
巨大な疑似座天使から撃ち放たれた何か。
それを躊躇無く、一片の迷いすら押し殺して手の平で受ける。
指の先端が少しずつ光となって消えていく。
死の恐怖は無い。
あるのは狂気にも近い頑強な意思のみ。
この瞬間のためだけに用意してきたツミイシのようなもの。
「これで──! これで──!!」
肉眼での解析は不可能だが、直接この手で握れば神のエーテルすら解析は可能だ!
──だが。
──瞬間、気が付いてしまった。
「あ、これ……ダメ、だ……」
失敗。
反射魔法として発動するも、それは意図せぬ方向へ飛んでいってしまった。
「まだ──……と調整が……足りなかった……」
身体から──消えかかった右手の指先から──力が抜ける。
これまでの全てが崩れ去った。
「もう反射魔法を使える魔力も無い……」
無傷のままの疑似座天使は、そのまま二射目の用意とばかりに口をさらに広げた。
いや、違う……射撃では無い。
猛スピードで迫ってきている。
そのまま食らい付こうというのだろう。
物理的に噛み砕かれて絶命するのと、胃の中のエーテルで消化させられるかのどちらになるのだろうか。
無力感と共に、そんな考えがよぎる。
横目に、さらに巨大な疑似天使達や、疑似座天使と同じような戦艦が転移してきてるのが見えた。
堰を切ったかのように下級、中級疑似天使達もなだれ込んでいる。
もう策は無い。人類の──世界の終わりだ。
「ごめん、オタル、風璃。この先のために頑張ってもらったけど、そこまで辿り着けなかったよ」
今回もわたしは、結局バッドエンドだったようだ。
今まで生きてきた人生も、奴に気が付かれないように裏で動いた事も、さっきまでの覚悟も全て無駄だった。
自分では希望を紡げないと……、誰かにバトンタッチする役目と割り切ってすら、届かない、何も成し得ない惨めな存在。
「ダメダメな人生だったなぁ……」
この小さな身体を覆い尽くされるように、疑似座天使の大口に噛み千切られようとしていた。
フェンリルに食べられる、オーディンもこんな気持ちだったのだろうか。
「こら、ワタシの女子会仲間を食べちゃダメだよ」
──その気の抜けた声が聞こえた瞬間、眼前の巨大な戦艦はくの字にひしゃげて鉄くずの分割パーツとなって崩壊、吹き飛んだ。
わたしは唖然としながら、横を見た。
狼耳、尻尾の見知った少女──フェリだった。
「どうしてここに……」
助かったのだろうか……?
いや、この胸騒ぎ、この状況──違う。
それは思わず聞いてから気が付いてしまった。
「んーっと、フレイにスキーズブラズニルって船の神器を借りて──」
ここに来ているという事は……。
「あ、ほら。トロンと似た見た目のアレ。まぎれちゃって気が付かなかったのかな! ちなみにワタシの他にフリンとテュールと──」
世界樹によって転移が封鎖されている中で、ここまでこれる存在という事は……。
「それとヴィーザルも来てるよ」
──間に合わなかったのだ。
オズエイジの影響下に無い今、あの能力を持つ奴に近付きすぎた。
意思が、必死に抗ってきた最後の意思が──黒き運命に塗りつぶされていく。
「フェリ……今すぐ……」
「ん?」
ダメだ、その言葉すら次を続ける事が出来ない。
既に詰んでいる。
「何でも無い……」
わたし自身の意思は──そこで消えた。
「ありがとうフェリ! こんなに頼もしい味方が来てくれたらもう安心ね!」
神々の黄昏が始まる。




