134話 神槍が運んだ願い(美の涙、豊穣の暖かさ)
フレイヤの後に続き、広間へと足を踏み入れた。
広い……。広間だから広いのは当たり前だが、そのスケールが違った。
「ここは宮殿広間、どうぞくつろいでくださいな」
風を感じる。
空から降り注ぐ陽光、地平線の彼方まで続く長テーブル、床は柔らかな地面、遠くにはいくつもの金リンゴの大樹が見える。
……ここは室内のはずだ。
全体から感じられる、フレイヤと同質のエーテル。
これは、この空間は……フレイヤが作り出しているのだろうか。
時間魔法と並び高度とされる空間魔法。それを宮殿に使うと言う事は、それほど安定させ続けているという事。
つまり、ユグドラシルからの力も借りずの可能性が高い。
それに第六感を通して感じ取れる気配で、数百に近い戦乙女と……更に多くの何かを使役しているのが分かる。
これが主神オーディンと並ぶ、最高神の力の一端というモノだろうか。
「そんなに警戒しないでね、フェリちゃん。私は、フリンの友達を招き入れただけなんだからね?」
フレイヤは若い外見だが、老婆のような暖かい笑みを見せた。
畏怖される最高神であり、孫を可愛がる祖母。
若い外見だが、精神は老齢。
その二面性に惑わされてしまう。
「食事は用意するのに少しかかるから、何か飲みながらお話でもしましょうか」
食べ物を用意してくれるのは良い人。
これ不文律。
「うん!」
「この前、良い蜜酒が手に入って──」
「……お酒はちょっと」
良い思い出が無い。
知らない内に飲まされたアレで、泣き上戸に近い状態になってしまったのを思い出す。
同じく酔ったランドグリーズからひたすら謝られ続けて、抱きしめられたのはちょっと新鮮だったが……うん、そこだけは仲良くなれて悪い気はしなかったけど。
「あら、それじゃあ葡萄ジュースでも用意しましょうか」
ワタシはこくこくと頷いた。
葡萄は美味しい。
美味しいは正義。
「それにしても、あんなに暗く誰も寄せ付けないようなくらいに鬱ぎ込んでいたフリンが、こんなにも友達を作ることが出来たなんてねぇ……」
「暗い? フリンが?」
フレイヤは、戦乙女によって運ばれてきた葡萄ジュース……ではなくワインを舌で転がしながら、しみじみと語る。
一応、香りで確認したが、ワタシの方はアルコールが入っていない正真正銘のジュースだ。
「私の息子夫婦──つまりフリンの両親が突然、逝っちまってねぇ……。まだ親の愛情が恋しい年頃さね……」
幼い頃に家族と離ればなれになる辛さは、多少だが分かる。
「ババアの私と、ジジイの夫──初代オーディンにベッタリでね。もう何かを失うのを恐れるように、それこそ可哀想な程に。いつも雨晒しの中で怯える子猫のようだったよ」
フリンは、フレイヤと初代オーディンの孫。
それは周知の事実である。
神々で知らぬ者はいないだろう。
……そういえば、エイジには言ってなかった気もする。
「私は思ったよ。このまま誰かに救いを求め、寄りかかるだけのフリンではダメだと。心を鬼にして、突き放して一人にしたのさ」
「エーデルランドの管理者を任せる事によって……?」
「そうさ。もっとも、初代オーディンは最後まで猛反対して、結局は使い切りだけどグングニルまで与えちまったのさ」
……フリンは、グングニルらしきものを持っていただろうか?
「ただのダーツって事にして、グングニルでフリンの望む人物像に近いやつを勇者──友達に選んだのさ」
「つまり、エイジは──」
「フリンの一番大好きだった優しい両親──二代目オーディンに似ていたんだろうね。性格や、魂がさ」
確かに、その特性はオーディンそのものだった。
もしかしたらそれに加えて、過去の出来事も関係しているのかもしれない。
「フリンから聞いたけど、本当にその映司君と出会えて良かったよ。言っちゃ悪いけど頼りなく弱い人間みたいだったけどさ、それが身も心も強くなって、それを間近で見ていたフリンに良い影響を与えてくれた」
フレイヤは、ぐいっとワインを一煽り。
その表情は清々しい。
「あの子に必要なのはさ、私達老人みたいな存在じゃなくて、一緒に横か斜め前を歩いて手を繋げるような身近な存在だったのさ」
「確かにエイジとフリンは同レベルのところが……」
「あはは、それでいいのさ。だってあの子が、誰かのために学びたい、強くなりたいって自分から言い出して私の弟子入りを望んだんだ。奇跡だよ」
フレイヤの眼から涙が流れる。
──最高神が流す不意の涙、それは宝石のような美しさ、暖かさ、優しさ。
何故か、ワタシもそれに心動かされてしまう。
「本当に奇跡さ……眼から生きる光を無くしていたあの子が、映司君に空元気を見せている内に、本当に元気になってさ……。いけないねぇ、歳を取ると涙もろくなってしまって」
「本当に、本当に良かったですね……」
「なんでフェリちゃんまで泣いてるのさ」
頬を伝う暖かいもの。
気が付かなかったが、いつの間にか……そうらしい。
「もうオーディンとか、ロキとか、トールとかの古い世代は出しゃばらなくていいのさ。後の世代に必要なものだけ渡してバトンタッチさ」
ロキ……お父様。
閉じ込められていたはずの洞窟に姿は無く、その死の形跡すら無かった。
あれから消息は掴めずだ、一体どこに行ってしまったのだろうか。
「あ!」
──その時、噂をすればなんとやらの声が響いた。
「フェリです! 急にどうしたですか?」
扉を開けて入ってくるフリン。
その姿は子供っぽい白ワンピースで無く、ルーン文字が刻まれた厳格な白い法衣のようなものを着ていた。
「んん? フェリ、泣いてるです?」
「ひ、久しぶりに水と草以外を口に出来て、嬉しくて泣いてしまったんだ!」
涙を拭いながら、嘘を吐いた。
こんな嘘を言うようになってしまったのも、きっとエイジの影響だ。
「それで、ね! エーデルランドに何かあったらしくて、フリンを呼びに来た」
「……それは大変です! 今度は私がエーデルランドを救いに行きますです!」
着ている物は違っても、相変わらず元気なフリン。
その姿を見て、フレイヤが大笑いした。
「あっはっは、一週間ぶっ続けで修行して倒れた後なのにタフだねぇ」
「……寝ていたって、そういう」
この最高神は、優しいお婆ちゃんと、厳しい師匠の二面性もありそうだ。
「……ああ、そうだ。フェリちゃん」
フレイヤは、ワタシだけに聞こえるように耳打ちしてきた。
「映司君に死者の館だけは使わせちゃいけないよ。アレは恐ろしい。フリンの両親の死の原因にもなったモノ。私と、初代オーディンですら二人で分け合って限定的に使う事が出来る程度だからね……」
死者の館──行き場を失った魂すら取り込み、我が物とするという極大の権能。
その詳細はワタシも知らない。




