119話 最善の一手(大切な物の放棄)
「う~、眠い。おはよ~」
「おはようございます、風璃様」
あたしは酒場っぽい冒険者ギルドの一室から、まぶたをこすりながら、倒れるか倒れないかギリギリの気怠さで進み出た。
あれから一夜明けた。
あたしは平気だと言ったが、オタルちゃんに寝ておいた方が良いと言われて少しだけ仮眠を取ったのだ。
「オタルちゃんは寝た?」
「いえ、巨人族の科学力のおかげで有事の睡眠は省略できます」
……すごいスタミナドリンク的な物でもあるのだろうか。
再び、設置された椅子へ座り、お飾りの風璃モードへチェンジした。
砕いてしまった木机は、いつの間にか新品に交換されていた。
……後で酒場の人に弁償しておこう。
「では、リバー様も戻ってきているので、現状の整理を致します」
荒くれ者の冒険者達がこちらに注目を向ける中、さらに大柄で金髪のマッスルが見えた。
こちらの視線に気が付くと、ニカッと歯を輝かせるハリウッドスマイルのリバーさん。
オタルちゃんはそれを無視して、また世界観が合わないSF投影装置を使って空中に地図を出現させた。
「ここが私達のいる街、その東に位置するのが、疑似天使が目撃された森で──」
あれから、さらに疑似天使達は数を増やし続けていた。
数百はくだらなく、千を超えるかもしれない規模。
周辺の偵察隊によれば……この場所──孤児院もある、この街に向けて侵攻を開始したらしい。
「ですが、その速度は非常に遅いのです。不自然な程に」
飛べるのに、地に足を付け歩いている。
それもゆっくりと。
「ただ街へ向かってきて殺戮を望むだけなら、四方八方から飛んで住人を襲えばいいだけです。何か意図があっての事と留意した方がいいかもしれません」
「確かに、交戦時には飛ぶが、追ってくるときはジワリジワリと歩いてワザと見逃しているようでもあったな」
実際に戦ったリバーさんが言うのなら、その違和感は何かあるのだろう。
他の偵察隊も、うんうんと同意している者が多い。
「別方面から街への奇襲なども考えましたが、そもそも戦力彼我差でこちらは圧倒的に不利です。そんな事をしなくても、街を蹂躙するのは容易なはず」
「相手は、ええと、疑似天使と言ったか。ユグドラシルだかの使いなら、我々の考えでは及ばない何かがあるのではないか。奴ら、生命の息吹を全く感じられぬのも気になる」
あたしは、オタルちゃんとリバーさんの会話を黙って聞いていた。
戦略とか、戦法みたいなものは分からないので口は出せないが、確かに何かおかしいのは分かる。
何かこう、人と人とが利益のために仕方なく戦う時のモノではなく……うーん、何だろう。
ユグドラシルからの使いなので、相手は人じゃ無いのは確かだ。
だけど、上手く言えないけど……何かおかしいのだ。
「仮定はともかくとして、実際に敵対してきている疑似天使への対処をどうするかです。敵は現状、無尽蔵に空の穴から湧き出し、ゆっくりとですが戦力を一定方向、一定速度でこちらへ向かわせています」
確かにオタルちゃんの言うとおりだ。
このまま待っていても、今までの相手の行動からして街の住人がなぶり殺しにされてしまう。
「いくら相手の単体戦力は低いと言っても、数が数です。こちらの用意出来る戦力1人につき、その数倍で群がられては敗北……いえ、虐殺されるでしょう。遠距離でどうにかするというのも、魔術師や対物になる飛び道具が足りません」
方々に手を回して、周辺からも戦力を集めようとしているが時間が足りない。
良くて、非戦闘員混じりの質を問わない数百人がギリギリで集まるかどうかだろう。
相手の先端がこちらの街に突き刺さる頃には、さらに疑似天使は増大してそうだ。
「……よって、提案できる現実的な手段は街を捨てて逃げることです」
非常に冷静なオタルちゃんの結論。
それを聞いた冒険者達は、声を荒げて反論する。
「なっ!? 俺達の街を捨てろっていうのかよ!?」
「あ、あんたらだってこの街を一生懸命盛り上げてきたんだろ!」
今いる冒険者のほとんどは、この街を拠点にしている者──住人達なのだ。
気持ちは痛いほど分かる。
「ええ、風璃様が作り上げた街と言っても過言ではありません。生活水準はもちろん、治安や技術、特産、延いては異世界序列の順位にも貢献しました……!」
オタルちゃんは冷静な口調から、徐々に苛烈なものへと変化していく。
氷が水、水が熱湯になるように。
「その素晴らしき場所を、私達の結晶を、捨てろと私は言っているんです! 何より、映司様や、風璃様が一番大事にするのは命ですから! この悔しさが貴様らに分かるかッ!?」
最後は別人が喋っているかのようになってしまっている。
でも、オタルちゃんはここまで考えてくれていて、その末の決断なのだ。
そしてオタルちゃんの中のあたし像も、あたし自身も人命が優先されるというので一致している。
「みんな街を守りたいって気持ちは分かる」
あたしは、落ち着いた気持ちで第一声を発した。
オタルちゃんと、冒険者さんが真剣に気持ちを曝け出してくれたためだろう。
「でも、やっぱり大事なのはみんなだと思うんだ。街はその……また頑張って復興させるから! 思い出のいっぱい詰まった孤児院も、頑固で腕の良い職人さん達の通りも……」
言葉の途中から、様々な思い出が溢れでてくる。
孤児院のみんなと出会い、頑固な革職人のおじさんと最初にやり遂げた異世界エーデルランドの第一歩。
色々と大変だったけど、大事な思い出。
「いけ好かない貴族の屋敷も、ちょっと古くさいけどそれぞれの家庭がある家々も、これからのためにと思った学校も……ねっ! また──」
最初はただの異世界という他人事だったけど、そこにはそれぞれの生活もあり、命もあって、これからの未来もある。
もっと、もっと……孤児院の子供達に、この街で色々してあげたかった、したかった。
昔に失った大切な親友への贖罪の気持ちが、不幸な子供達を救うという行動原理になったのかもしれない。
でも、今は心の奥底から、あたし自身の意思だと言える。
自分自身を作り上げている、絶対に譲れない意思。
それを、ここまできたのに……。
涙が溢れだしてくる。
たったこれだけの指示をするだけで、本当の小さく弱い心は決壊してしまったようだ。
今まで、これをやってきたオタルちゃんは強いなぁ……。
「風璃様……」
オタルちゃんが、たぶんあたしと同じような表情で見つめてきている。
その眼は哀惜の色、例えるのなら深く染め上げた藍の色。
ゆらゆらと滲んでいる。
「あはは……ごめん。でも、この街に最初に来たときは、何だこの酷い街は! って思ってたのにね。それなのに、今はこんなに大切な場所になっちゃってる。この街で育つ子供達に幸せになってもらうために、色々頑張ったのにね……」
冒険者達も悲しげな顔をしている。
人にとっての街とは、居場所とは、やはり大事なものなのだ。
ただの物ではない、自分を育ててきた場所。
オタルちゃんは、あたしが街を育てたと言っていた。
だが、同時に街に育てられていたのだ。
……いや、もう決意するしか無い。
その街を、捨てる。
これがオタルちゃんも止めに入らないくらい、最適の手段なのだから──。
「はーい、そこまで。街を捨てて逃げるとか、そんなつまらない話は止め止め」
「あ? なんだお前は? 俺達、冒険者の街の一大事をつまらないとか──」
どこかで聞いた事のある、少女の声。
外見年齢はあたしより少し上だろうか。
「ちょっと、どきなさい。前通しなさい」
冒険者達をかき分けて出てきた姿は、紫ローブに金刺繍。
「おぉ、シィではないか。今までどこへ行っていたのだ」
このエーデルランドで最強の人間であると言われている、呪われし魔術師シィ=ルヴァーだった。
「シィと言えば……あ、あの呪われし魔術師か!?」
「それじゃあ、リバーって、こっちは本当に勇者リバーサイド=リングだったのか!」
「イメージと違いすぎて騙りだと思ってたぜ……」
ざわつく冒険者達。
「リバー、あなたと活躍しすぎたせいで名前が広がりすぎたじゃないの……動きにくいったらありゃしない。旨い物巡りをお忍びで行ってたんだけど、大変だったわ」
「ははは。それで、成果はどうだった? シィ」
いつもの相棒、といったやり取りの二人。
色々と恋愛について聞いているのだが、恋人になる前に……既に夫婦のようだ。
「食べ物食べてくるのに成果を聞くのってどうなのよ。美味しかったです、とでも言えばいいの?」
「シィ、君の事だ。……そういう事だろう?」
「はぁ……普段もそれくらい察しが良かったらなぁ」
「ん?」
「何でも無い」
冒険者ギルドの入り口の方が何やら騒がしくなった。
「な、なんだありゃあ!? 空を、集団が!?」
「あれは飛行呪文……魔術師達ですか!」
窓の近くの冒険者達は、どうやらそんなファンタジックな光景を見てしまったらしい。
あたしも見に行きたい。
「食べ歩きついでに、各国の魔術師と、それなりの前衛を招集してきたわ」
シィは、頭のローブを脱いで栗色の髪と愛らしい顔を見せ──。
「定められた運命を覆す、彼らの未来観測を超えた四度の旅という積み重ね。弱者のみが奮うことが許された勇気」
──アイドルのようにウィンクをしてみせた。
「人の抗う力を見せてやろうじゃない、神々に!」




