6等星は人の目の限界か
―6等星が見えるということ―
夜空に浮かぶ6等星。それは、肉眼で捉えられる最も暗い星の等級であり、宇宙から届く光のギリギリの粒子が、私たちの網膜に触れる瞬間でもあります。この「見える」という現象は、単なる感覚ではなく、量子の粒子である光子と人間の視覚系との精密な交差によって成り立っているのです。
太陽から発せられる光子数
ステファン=ボルツマンの法則によると表面の温度Tの星から発せられる光のエネルギーは、以下で与えられます。
W = σ・T^4
W: 単位時間・単位面積あたりの光の放射エネルギー(W/m²)
σ: ステファン=ボルツマン定数( 5.670×10^(-8)(W/m^2/K^4)
T: 絶対温度(K)(=摂氏温度℃+273)
太陽の温度をからの光の輻射エネルギーEsは、太陽の表面温度Ts=6000(K)を代入して以下を得ます。添字sは太陽(sun)の値を示します。
Ws=7.35×10^7W/m^2 (1)
光子数の計算
さて、ここでお詫びがあります。それは、光は波であり、粒子であると言う説明を省くということです。光の粒子を光子と呼びます。説明なしに以下を導入します。波長λ(m)の光子のエネルギーEは以下で与えられます。
E=h・c/λ
c: 光速 3.0×10^8(m/s)
h: プランク定数 6.626×10^(-34) (J・s)
太陽が放つ光の波長はさまざまです(なので虹ができる)が、簡単に計算するため可視光の平均波長550nmとすると光子のエネルギーは以下です。
E ≈ 3.6×10^(-19) (J) (2)
です。少しだけ補足します。光が粒子ということは1個2個と整数値になります。波長550nmの光が運ぶエネルギーはEの整数倍しか許されません。この整数値が光の数です。
太陽から発する単位面積単位時間あたりのエネルギーは式(1)です。光の波長を平均値550nmで近似すると、光子1個のエネルギーは式(2)です。太陽から単位時間単位面積あたり発する光子の数Nsは以下です。
Ns=Ws/E ≈ 2.0×10^26 個/m^2/s (3)
毎秒一平方メートルあたり、200000000000000000000000000個!凄まじい数の光子です。
太陽の半径は、696,000km=6.96×10^8(m)です。光で進むのかかる時間は、これを光速で割って、6.96×10^8(m)/3.0×10^8(m/s)=2.3秒です。秒を年に直せば距離の光年になります。1秒=1/365日/24時間/60分/60秒=3.17×10^(-7)年です。なので光で2.3秒かかる距離は、2.3×3.17×10^(-7)=7.3×10^(-7)光年です。
「面積あたり」の光子数は星の表面から遠ざかると二乗に逆転比例して減衰します(表面積が距離の二乗でふえるため)。
前に太陽を6等星として認める距離を56光年と見積もりました。太陽の半径の56/(7.3×10^(-7)=7.4×10^7倍です。太陽表面で膨大だった光子の密度は、1/(7.4×10^(-7))^2=1.8×10^(-16)倍まで薄まります。つまり、2.0×10^26×1.8×10^(-16)=3.6×10^10個/m2/sの光子が56光年離れた星に届きます。
人の目を半径7mm=7×10^(-3)mとすると、人の目に届く光子は毎秒3.6×10^10×π×(7×10^(-3)^2=1.1×10^5個です。毎秒10万個です。
それでもかなり多いですね。
人間の視覚の限界
さて、答え合わせをしてみましょう。調べると人の目は光子1個から反応するという報告から、数十個から反応するという報告があります。人の目の応答時間は0.数秒とする報告が多いです。ざっくり0.1秒とすると、人の目は、10〜数100個/sに反応するでしょう。
上で算出した6等星の1.1×10^5個/sは十分観測できると言わねばなりません。
いったい、6等星がギリギリ見えるというのはどういうことでしょう。
6等星の邪魔をする光
考えに浮かぶのは、6等星は十分に見えるが、夜空の他の光にかき消されて見えなくなるということです。
そこで、この節では光の量を表す単位「ルクス(lx)」に注目します。
ルクスの定義は省略します。ルクスは照明などの明るさを表す単位です。ルクスの基準は以下とされています。
晴れた日中(日向): 約 100,000ルクス
曇りの日中: 約 10,000~30,000ルクス
明るいオフィス: 約 400ルクス
夜の街灯の真下: 約 10~100ルクス
1ルクス(lx)は毎秒約4.0×10^15個/m^2の光子が通過する明るさです。この数値は簡単のため光の波長は550nmで平均しています。6等星の星が3.6×10^10個/m2/sと、1ルクスよりも5桁小さいので、0.00001=10^(-5)ルクスです。
月明かりの夜空では0.2ルクス、星明かりの空は0.0003=3×10^(-4)ルクスです。星明かりの空は6等星の30倍にすぎません。全天の明るさは一様でさないので、方角によっては10^(-5)ルクス、つまり6等星以下の方角がある可能性があります。
星明かりの空は文字通り星からの光、黄道光からの光、大気光からの光からなります。星からの光は6等星よりも明るいのは納得ですが全天を占めるわけではないので、6等星を見るためには、それを遮る星を視界から隠すことになります。
黄道光、大気光はぼんやりと天に光るので、6等星が見えるかどうかの条件に影響を与えそうです。
他にも、街明かりが星への視界を遮る「光害」があります。
6等星が見える限界に迫るには、人の目の感度ではなく、他の光源(星、黄道光、大気光、街明かり)を理解しなくてはなりません。
最後に
この稿では、6等星が人の目にギリギリ見える星である、という事実から、天文学的な距離と人の生態を直接結びつけたいという企てから始めました。結局、人の目は6等星を十分に見る感度を持っていて、6等星が「ギリギリ」に見えるのは、6等星の周囲の光源(星、黄道光、大気光、街明かり)によるという、結論に至りました。しかし、問題は解決していません。網膜は6等星を目全体で受けています。それを人はどのように画像に直すのでしょうか。黄道光、大気光が遮ると言っても、どういう場合でしょうか。人の目はかなり少ない光子に反応するとされますがどのように反応できるのでしょうか。
こうして、再び興味ある問いに続くわけです。
この問題は明らかになっていないように見えます。でもそんなことは関係ありません。自分で進めるだけ進むのが楽しいのです。
お読みいただきありがとうございます。
補足1:
ステファン=ボルツマンの法則は、星だけでなく、溶鉱炉(およそ2000℃くらい)の発する赤い光、人肌(36℃)の発する赤外線のぬくもり(全身で100W)にも成り立ちます。
補足2:
人の目の視野のうち感度の高い中心視野は、全体の0.01%程度と考えられているようです。すると、上で見積もった全視野に毎秒10万個の光子は、中心視野に毎秒100個と換算されます。これは人の目の限界に近づきます。最も、他の光源(星、黄道光、大気光、街明かり)も中心視野でとらえる光子は同じ割合で減少するので、6等星が見えるかどうかは、周囲の光源との比較によるという結論は変わりません。人の下限でせめぎあっていることになります。また、人の目は、目全体で光を受けているには違いなく、人はそれをどのように頭の中で画像にしているのでしょうか。
後書き
本稿では、6等星という微光の彼方に、光子の数と人間の感覚の交差点を見出そうと試みました。けれども、問いは尽きません。たとえば、黄道光や大気光が夜空に与える微妙な背景輝度の揺らぎ、あるいは視細胞の感度と神経系による画像復元のしくみなど、まだ触れていない領域が広がっています。
いつか、これらのテーマにも光を当ててみたいと思います。




