天守閣に導かれ
今の院生さんはどんなだろう。
僕らは都内の大学院に通う学生だった。その周末、名古屋で学会があって、僕は友人の車に同行した。東名高速を二人旅だ。幸い?、二人には発表がない。聴講だけというお気楽な身だっだ。おまけに二人とも戦国時代が好きときた。つまり、二人が名古屋に行くとはそういうことだ。
宿に着いて、他の仲間たちと合流した。発表練習する者、さっさと飲み屋に消えるもの、さまざまだ。学会は四日間だった。二人は綿密にスケジュールを立てる。何を聴講するかを?ばかな。空き時間にどこへ行けるかのスケジュールだ。二日目は14:00以降は、時間が空くのがわかった。名古屋でどこにいく?もちろん、熱田神宮だ。時間があれば、田楽狭間にもいきたい。
熱田神宮は、大きな神社だ。ここで、「人間五十年」を口ずさんだ。さあ、桶狭間へ行くぞ。ついてみると、あれ?、かなりの平地だった。信長が義元に気づかれずにどうして近づけたんだろう、と不思議に思ったが、それもまた楽しかった。
さて、学会も最終日を向かえた。二人は信長の気持ちで旅することにした。清洲城はまだ残っているらしい。名古屋城はスルーして、清洲城に行くことにした。清洲城までの道々、その後の予定を考えた。清洲に行ったあとは、稲葉山城、所謂岐阜城に行くしかない。そうしたら。「ついで*」に、浅井朝倉との合戦の道のりを、近江の国滋賀県から福井県に旅しようとなった(*二人とも都内から来たことを思い出して欲しい)。
清洲城に着いた。驚いたことに、天守閣があった!中には、日本中の天守閣のある城一覧のパネルがあった。そのパネルの中で、一際異彩を放つのが、郡上八幡城であった。そもそも、この山深い地域の城について、二人ともよく知らなかった。その上に、天守閣があるなんて!
予定変更だ。岐阜城までは、当初の予定通り。でも、近江方面ではなく、飛騨方面へ変更することにした。
郡上八幡へは、木曽川をひたすら北上した。景色は綺麗だ。予定通りつけるかが心配だ。岐阜城では天守閣までロープウェイで登る時間を節約したが、ふもとを堪能するのに費やしてしまったのだ。郡上八幡についた。
郡上八幡、めちゃくちゃ綺麗、知らなかった、水路が見事、ここに住みたいと思うくらいだ。でも、時間がない。お城へ急げ。あれ?門が閉まっている、、。閉館時間をちょうど過ぎたところだった。ライトアップされた天守閣を眺めたところで、お腹が空いた。
懸命なことに、二人は、今夜の宿を確保していないことに気づいた。"近くに"、白川郷という、茅葺き屋根の雰囲気の良い街があった。宿もきっとあるに違いない。さあ、白川郷へ急げ!
白川郷に着いたのは、20:00、、。なぜ、予約とか、確認とかせずに、アポなしでいくアホだったのだろう。片端から空いてないかあたった宿は撃沈。しかも、世の中は三連休の観光日よりであった。研究室に篭った世間知らず、アホな学生の浅はかさである。こうなると、宿の連なる道路へ車を止める訳にもいかない。近くの小高い丘で車中泊をした。
朝起きたら、ビックリした!その丘は、白川郷を一望できる展望台のある丘だったのだ。昨夜は観られなかった茅葺の郷が朝日と共に風情があった。郡上八幡城の天守閣に導かれて、思わぬ絶景を見ることができた。郡上八幡も白川郷も、また行ってみたい。今度はゆっくり、宿をとって。
帰りはそのまま福井に抜けて、兼六園を観て、長野を川中島に思いを馳せながら帰京した。
詳細は少し変えてますが、こんなものでした。
お読みいただきありがとうございました。




