第八十五話 呪いの標
余裕というのはですね、嘘つきの言葉なんです
本当に余裕があるのなら、その時スデに執筆は終わっているんだッ!
――チク、タク、チク、タク。
規則正しく動く時計の針を、俺たちはまんじりともせずに見つめていた。
気の遠くなるような遅さで秒針が進み、その瞬間に向けてゆっくりと、しかし確実に歩を進めていく。
そして、ついに秒針が長針に追いつき、全ての針が重なり合うように直上を示した瞬間、
「――来た!」
俺の胸に刻まれた紋様から、黒い靄があふれる!
「レクス様!」
悲痛な声と共に、俺の隣に座ったロゼが、ギュッと俺の手を握る。
現れた黒い魔力は、まるで獲物を狙う蛇のように幾重にも分岐し、ふたたび俺の胸へとぶつかっていく。
それは、ゲームで見た「呪い」による攻撃と全く同じ挙動。
ゲームのロゼは、これを受けてすぐ、苦しそうに呻いていたのだが……。
「……何ともない、な」
黒い靄がぶつかった瞬間に軽い衝撃を感じた程度で、自覚のある限りでは、身体に何の異常もない。
続けて俺はすぐに、鏡に映った自分に向かって〈看破〉を行う。
―――――――
レクス
LV 50
HP 530
MP 265
筋力 201(C+)
生命 200(C+)
魔力 200(C+)
精神 200(C+)
敏捷 200(C+)
集中 200(C+)
―――――――
懸念していたHPMPの減少もなく、ステータスも元のまま。
親の顔より見たような見慣れた能力の並びが目に映っていた。
「異常なし、だな」
したり顔でうなずくと、ロゼが体当たりするような勢いで俺に抱き着いてくる。
「よかった! 本当によかったです!」
「だから、心配する必要はないと言ったはずだ」
大げさなほどの口ぶりでよかったを繰り返すロゼに、俺は苦笑を返す。
ちなみに、
(うわああああああああああああああああ!! よかったああああああああああああああああああああああああああああ!!!)
内心ではロゼと同様に、いやそれ以上に全力で叫んでいた。
いや、もちろん理屈では問題ないだろうと思ってはいたのだ。
この「呪いの標」は吸血鬼の因子、もっと言えば〈魔王ロゼ〉をピンポイントで狙うもの。
ロゼと違ってただの一般冒険者である「レクス」に効果はないと分かっていたのだ。
ゲームのイベントでも、治療師が発動した黒い靄に手をかざして「ふむ。やはり人体には無害だな」とかかっこよくつぶやいてたし。
ただ最近は、ゲーム知識は役には立つものの、絶対ではないということも証明されてきている。
「呪いの標」が俺にも効果をおよぼして俺が新しい〈魔王〉として覚醒したり、「呪いの標」が俺にかかっているのにかかわらずロゼに攻撃が行く、みたいな変則的なパターンもありえないとは言えなかったのだ。
(だから、この手は使いたくなかったんだが)
ロゼのレベリングをした時、思いがけず〈キャッスルリング〉を彼女に渡せてしまったことで、この最終手段が使えるようになってしまった。
〈キャッスルリング〉の効果は、「同じ指輪を装備しているキャラ同士で位置を交換する」というもので、その由来はおそらくチェスにおける「キャスリング」、キングとルークが入れ替わるように移動する特殊操作から来ている。
単なるダジャレじゃねえか、とか、あれは正確に言うと位置交換じゃねえぞ、とか色々言いたいことはあるが、まあそういう効果に設定されているのだから仕方ない。
有効射程範囲もあまり長くなく、指輪自体が使い捨てになるため使い勝手はあまりよくないのだが、イベントが始まったあとに状況を打開する手段は、これしか思いつかなかったのだ。
(実際、これを使わなきゃアウトだった訳だしな)
まさか、〈悔いのナイフ〉を心臓に刺しても「呪いの標」の発動が止められないとは思わなかった。
ゲームの強制力を侮っていたと考えるべきか、ヴェルターの執念を褒めるべきか。
とはいえ、それも何とかリングの力で乗り切れた訳で、「イベントの流れは覆すことが出来る」というのがはっきりと証明出来たのは、今後を考えると大きな収穫だと言えるだろう。
俺が密かに胸をなで下ろしていると、
「……恨みますよ、兄さん」
ロゼに見えない位置から、レシリアに耳元でぼそりとつぶやかれて、色々な意味で背筋がぞぞっとした。
今回の事件が起きる前から、レシリアには全てを話していたが、唯一、この〈キャッスルリング〉を使った奥の手についてだけは隠していた。
言ったら止めるだろうし、代わりに自分がやると言い出すに決まっていると思ったからだ。
その上で、ヴェルターとの戦いが終わったあとに、俺はもう一度〈悔いのナイフ〉をレシリアに渡した。
万が一に俺が吸血鬼化した時、それを止められるのはレシリアだけだろうと思ったからだが、これはあとのフォローが大変そうだ。
「あの、レクス様? 顔色が悪いみたいですが、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。もちろんだ」
俺は背中を流れる冷や汗を誤魔化しながら、ロゼたちと無事を喜んだ。
しかしそこで、一瞬だけロゼの顔が曇る。
「どうしたんだ?」
尋ねると、彼女は小さく首を横に振った。
「いえ、皆さんが無事だったのは、嬉しいんです。……ですが、おじ様がいなくなって、皆さんも冒険に戻ってしまったら、ここもまた、寂しくなるなと思ってしまって」
「我侭ですよね」と自嘲気味に笑い、彼女は視線を横に向けた。
「おじ様がしていたこと、これからしようとしていたことは、許されないことだと思います。でも、わたしにとっては……。あの人は、本当に優しい方だったんです」
その視線の先には、彼女がいつも読んでいた本があった。
ロゼはそっと本にその手を伸ばし、その表紙を懐かしむように撫でる。
「この本、おじ様がわたしのために買ってくれたものなんです。それに……ふふっ。わざわざキャラメルキャンディを手作りして、振る舞ってくれたこともあったんですよ」
その目は、永遠に失われてしまった思い出を見るかのように遠く、今にも消え入りそうで……。
俺は理由もなく、胸が苦しくなる。
「どうしてそんなによくしてくれるのか聞いた時は、『君は特別な存在だから』と笑っていましたけど。今思えばそれは、わたしではなく、わたしの奥に〈魔王〉の影を見ていたのかもしれません」
その悲しげな笑みに、俺は悟る。
確かに俺が「呪いの標」を受けたことによって、彼女の〈魔王〉としての覚醒を防ぐことは出来た。
だがそれでも、彼女が吸血鬼であり、〈肆の魔王〉であることも、変わりはない。
彼女は自分が変わってしまう恐怖を抱えたまま、これから先ずっと生きていかなければならないのだ。
この誰もいない館で、たった一人で。
「――ロゼ」
それに気付いた瞬間に、俺はほとんど無意識のうちに、彼女の名前を呼んでいた。
「レクス、様?」
怯えるように俺を見るロゼに、俺は淡々と告げる。
「〈魔王〉の復活を望む吸血鬼は倒れ、その野望は頓挫した。だけど、それで全てが解決した訳じゃない。俺への『呪い』が今後、どんな影響を及ぼすかも分からないし、何かのきっかけでロゼが〈魔王〉として覚醒しないとも言い切れない」
「は、い……」
ロゼがうなだれるように、うなずいた。
「これで何もかも終わり、なんて訳にはいかない。だから……」
そこで俺は、あまりに静かすぎるその場所を、一人で暮らすにはあまりに広すぎる部屋を見渡した。
そして、裁きを待つ罪人のように俯く彼女に、裁定を下す言葉を言い放つ。
「――だから、これからも会いに来てもいいか?」
それを聞いて、彼女は信じられないと言うように目を開く。
だが、俺たちの顔を見渡し、その言葉が嘘ではないと分かると、彼女は涙のにじんだ目をグッとその手で拭って、
「――喜んで!」
今までで一番の、まるで大輪の薔薇のような笑顔を咲かせたのだった。
ENDING No:3 守りたいこの笑顔
ということで、薔薇の館編はこれにて閉幕です!
いやーやっぱり王道展開っていいですね!
最近王道展開王道展開言いすぎて、何が王道で何が王道じゃないのか見失ってきた感があります!
予想の倍くらいの話数まで膨れ上がりましたが、このままだと章タイトル詐欺になるので第四部はまだまだ続く予定です
ただ実はちょっと問題があって、思ったよりも頑張りすぎたせいで、このペースだと書籍の発売日頃にはちょうど第四部終わって連載止まってそうなんですよね!!
ま、まあ今いいペースで書けてるので、このまま続きを更新していくつもりです
引き続き、作者にプレッシャーを与えない程度にポイントなり感想なりで応援してもらえると嬉しいです!
あ、感想でネタバレ我慢したぜぇ!的なことを書いてる方もいて、確かにリリー編に比べるとみなさんすごい堪えてくれてるなーというのもあってありがたいなと
では、ここから第四部後半!
続きは明日か明後日に更新です!(呪いの言葉)





