第八十三話 執念
じ、時間指定さえしなければ……
――「フリーレアの吸血鬼」イベントは、複数の時代区分にまたがる長期間イベントだ。
時代区分Ⅰでロゼと出会い、時代区分Ⅱでヴェルターによってロゼに呪いがかけられ、そして時代区分Ⅲ。
ここでようやく、事件解決の糸口が見つかる。
それは、強い力を持つ「解呪師」の噂。
彼女ならばロゼの「呪いの標」も何とか出来るかもしれないと、「主人公」たちはその解呪師を探しにいく。
苦労の末に解呪師を探し当てると、彼女は形代から呪いを逆にたどって「呪いの出どころ」を探知してくれる。
そして、その呪法によって示された、「呪いの元凶」の居場所。
――それが、〈薔薇の館〉だ。
幸せの青い鳥の寓話ではないが、世界各地を巡った結果、最後には元凶がスタート地点にいたというどんでん返し。
この情報を聞いたあとでロゼと話をすると、「おじ様が地下に向かっているのを見たことがある」という話を聞くことが出来る。
そこで館の書斎を調べることでようやく開放されるダンジョンが、〈薔薇の館〉の地下に広がる特殊ダンジョンなのだ。
もちろん、俺が先ほど取り出した日記も本来はこの段階でようやく見つけられるもの。
その中身は、〈魔王〉の復活を願ったヴェルターの奮闘の記録だ。
そもそも、〈魔王〉とは悪神によって力を与えられた魔物だ。
その魔の力によって比類ない力を手に入れたものの、悪神と紐づけられたその存在は、悪神なくして成り立たない。
だから〈肆の魔王〉は悪神が封じられると、自らの配下に「魔王の遺物」を託し、〈薔薇の館〉の地下深くで長い眠りについた。
ヴェルターの日記には、その〈魔王〉の遺言の写しも書かれている。
光、目覚…しのち
我が前に立…て
我…心臓を捧げよ
書かれた時期が時期だけに、ところどころ文字がかすれていて妙に思わせぶりだが、これは要するに「〈救世の女神〉の神託のあとで、私に心臓を捧げれば復活するよ」というメッセージ。
つまり〈魔王〉は最初から、〈救世の女神〉が覚醒したあと、つまり悪神の封印が解けかけた時を見込んで、自分が復活する算段を立てていた。
ヴェルターの言っていた「時が来た」というのもそういうことだろう。
当然ながら、世界を守るべく旅をする「光の勇者」としてはそんなことを許す訳にはいかない。
ヴェルターの目的を知った「主人公」たちはそのまま、〈薔薇の館〉の地下にいるヴェルターと対決!
ヴェルターを打ち倒して〈魔王〉の復活を阻む、という流れになるのだが……。
――そこでもう一段ひねってくるのが、ブレブレというゲームだ。
このシナリオにはさらにもう一つ、どんでん返しが隠されていた。
最後の最後、死にゆくヴェルターは高笑いをしながら呪いの言葉をぶちまける。
――あの「呪いの標」は「魔王の遺物」にこめられた術式を解放したもので、術者は自分ではない。
――つまり、ロゼへの呪いの攻撃を止めるためには、自分ではなく、本当の術者である〈肆の魔王〉を殺さなくてはいけないのだ、と。
(……冗談じゃねえぞ)
心の底から満足したような顔で消えていくゲームのヴェルターの顔が、今目の前に立つヴェルターのそれと、重なる。
そのあとの〈魔王〉戦の絶望は、今でも昨日のことのようにありありと思い出せる。
もうあんな思いをするのは二度とごめんだ。
(こいつは絶対に、ここで仕留める)
ゲームの通りになんて、させない。
ここでヴェルターを倒せれば、一連のイベントは全て止められるはずだ。
俺は、剣を握る手にグッと力を込める。
「……おっさん」
こちらが何も言わずとも、ラッドたちがロゼをかばうように俺の横に並ぶ。
その姿を見て、少しだけ頭が冷えるのを感じた。
……ヴェルターは、強敵だ。
時代区分Ⅲ以降にしか入れない〈薔薇の館〉の地下。
さらにその最深部に近い場所で待ち構えるボスが、弱い訳がない。
しかし……。
(――勝機は、ある)
不死者は強力な特性を有する反面、弱点も多い。
ヴェルター戦はそれをはっきりと感じさせるもので、言ってみればギミックバトルの要素が強いのだ。
特に吸血鬼の特性によって生存力の高いヴェルターは、データ上の耐久力は低い。
一気に押し込めれば、今の俺たちでも体力を削り切ることは出来るはずだ。
(それに……)
ちらり、と視線を後ろに向ける。
思いがけずギリギリになってしまったが、万一の時のために「彼女」には「アレ」を渡しておいた。
ダジャレみたいな名前の装備で、ツッコミどころは満載だが、その効果自体は本物。
きちんと効果を発揮すれば、ゲームのイベントの流れをひっくり返せる可能性は十分にある。
(よし!)
……大きく息を吸って、吐く。
失敗出来ないからこそ、冷静に。
ヴェルターから視線を外さないままで、強張った様子のラッドたちに語りかける。
「ラッド、ニューク、プラナ、マナ。相手は強いが、勝てない相手じゃない」
強気な言葉に意志を載せて、必ず伝わると、そう信じて。
「不死者と戦ったのは、何も初めてじゃないだろ。即死呪文を使う〈エルダーリッチ〉のこと、覚えてるか? あの時と同じように、落ち着いて戦えば、絶対に勝てる」
「あ……」
まずニュークが、思わずといったように声を漏らすと、
「へへっ。それでこそ、おっさんだぜ」
横にいたラッドが、心の底からおかしそうに笑い声をあげる。
それだけでもう、いつも通りだった。
気負いなく、思い思いの武器を構えて戦いの始まりを待つ。
そして、
「……不愉快だ」
そんなヴェルターの言葉と共に、戦端は開かれる。
「我を、リッチごときと一緒にされてはなぁ!」
突き出した手に、闇色の魔力が宿る。
範囲魔法!
「――散開!」
すかさず叫んだ俺の声に合わせ、俺たちは六方向に散らばった。
そこから一拍遅れ、
「ブラッドボム!」
吸血鬼の放った真っ赤な魔法による一撃が、俺の斜め横を抜けて地面をえぐる。
「ぐ、ぅっ!」
爆風を背に、飛ぶように駆ける。
何も手にしていない左手をバランスを取るように振って、ヴェルターまでの距離を詰めていく。
「ちっ! 虫けらがっ!」
そこから、二発、三発と投射型の魔法が俺に向かって飛んでいくが、
(その攻撃はもう、知ってるんだよ!)
その軌道を読んで動く俺には当たらない。
「〈スクウェアクロス〉!」
走りながら、俺の右手は複雑な軌道を描く。
俺はついに、その剣の届く距離にヴェルターの身体を捉え、
「〈オーバーアーツ・トライエ――」
「思い上がるなと、言った!」
ヴェルターがそこで初めて、武器を抜く。
電光石火の動きで、細剣を構える。
「終わりだ、人間!」
右手の細剣はしっかりと俺の斬撃の軌道上にあり、そして反対側、左の手の平には、かつてないほどの魔力が集う。
攻撃を受け止められた上で、至近距離から魔法を浴びせられれば、俺はひとたまりもない。
だが、
「――と、見せかけてぇ!」
右手を引っ込め、ずっと何も持っていないことを見せていた、左手を突き出す。
〈高速交換〉によってそこから飛び出すのは、真っ白な粉の袋。
――対アンデッド専用妨害アイテム〈聖灰〉。
かつて、〈エルダーリッチ〉との戦いで見せた不死者特効の妨害アイテムが、ヴェルターを襲う。
「ぐっ、ふざけるな! こんな……っ」
状態異常に何の耐性も持っていなかった〈エルダーリッチ〉と違い、後半ボスであるヴェルターの動きを止められたのは、ほんの一瞬だけ。
だが、それで十分だった。
「今だ、やれぇえええ!」
そんな叫びを、口にする必要もなかった。
俺がやりたかったこと、実際にやってのけたことは、戦闘前の言葉で伝わっている。
ヴェルターのたった一瞬の硬直、その隙に、
「――〈紅蓮覇撃〉!!」
炎をまとわせた剣を振るうラッドが、
「――〈フレアカノン〉!!」
今度こそ自分の魔法を操るニュークが、
「――〈ミラージュ〉」
分身で手数を増やしたプラナが、それぞれ最強の一撃を叩き込む。
そして、最後に、
「――決めます! 〈ジャッジメント・レイ〉!!」
対不死者の最終兵器。
〈祈りの小聖女〉マナが放った極大の光魔法が、吸血鬼の身体を突き抜けた!
「ガァアアアアアアアア!!」
典雅を気取っていた吸血鬼が出すとも信じられない、粗野な叫び。
そんな叫びが響く中で、集中した魔法の威力に地面が破裂して、俺たちもまた弾き飛ばされる。
一番に立ち直ったのは、体力に勝るラッド。
「やったか!?」
地面を転がりながら、そんな台詞を口にする。
しかし、その返答は、
「この、人間風情がぁあああああああああ!!」
白を塗りつぶして視界いっぱいに弾ける漆黒と、耳障りな羽音。
「コウモリ!?」
光がヴェルターを突き抜けたのは、魔法の威力によるものじゃない。
直撃を嫌ったヴェルターが、魔法が直撃する瞬間に無数のコウモリへと自身の姿を変え、魔法を避けたのだ。
「くっ! 〈オーバーアーツ・トライエッジ〉!」
俺は中断していた右手のアーツで、コウモリを切りつけようとするが、
「愚かな! そのような攻撃で、この姿の私を捉えられるものか!」
地下にいたコウモリとは、敏捷性も、動きの巧みさも別次元。
何よりアーツの画一的で直線的な動きでは、不規則に動くコウモリを捉え切れない。
「無様だな、人間。自らの愚かさを悔いて死ね!」
そうして、無駄なあがきを続ける俺に、コウモリが殺到して……。
「――いいや。これでいい」
狙っていたのは、その瞬間。
右の手で剣を振り抜いたままで、抜き出した左手を高々と掲げる。
突き出すは短剣、〈ゴブリンスローター〉!
「く、らえ!」
左手の〈ファイナルブレイク〉の威力が、右手のアーツに乗るのなら……。
右手のアーツの力もまた、左手の「技」に乗るのが道理!
「――〈ファイナルブレイク〉!!」
閃光が走る。
マナの光魔法すら凌駕する光量が、夜の街を染め上げる。
そして、網膜を焼く閃光が収まった時……。
コウモリ……ヴェルターの身体は、すでに原型をとどめないほどに燃え尽きていた。
※ ※ ※
(……何とか、なったか)
突発的な戦闘だったために、ロゼのレベリングをした時のまま、装備を変える暇もなかった。
(攻撃力アップの指輪一個じゃ厳しいかと思ったが、案外押し切れるもんだな)
コウモリ形態は、全ての攻撃を避けるヴェルターの切り札にして、最強の回避手段。
だがそれは、同時攻撃可能な対象を増やし、防御力を大幅に下げる、最大の撃破チャンスにもなるのだ。
俺がホッと息をつき、力を込めて握っていた武器を収めた、その時、
「――貴様らのことを、侮っていたよ」
消えたはずの怪物の声が、夜の闇より響く。
そして、それに呼応するかのように……。
「なっ! そんな……!」
ズズ、ズズズ、と音を立てて、ヴェルターの残骸が寄り集まる。
それはまるで、逆再生の映像のよう。
数秒前はただの肉片だったそれが、悪趣味なパズルのように、人の形を作り上げていく。
「……ウソ、だろ」
ラッドのつぶやきが、闇に溶ける。
それを意にも介さず、うごめく肉塊は手を、足を、そして秀麗な眉目を形作る。
「我はヴァンパイア、夜を統べる者。たとえ幾千の武器、幾万の魔法を集めても、我は殺せぬ。たとえ幾度殺され、幾度焼き尽くされようとも、我は何度でも、何度でもよみがえ――」
「――いいえ。あなたは終わりです」
――ズン、と。
ヴェルターの胸から、ナニカが生えた。
「な、ぁ……」
ゴボリ、とヴェルターの口から血が噴き出す。
自分の胸から突き出た「ソレ」を見て、ヴェルターは信じられない、という顔をした。
「なん、だ。これは……」
「ソレ」は刃と言うにはあまりにも奇妙で、武器と言うにはあまりにも武骨。
柄から先が全て木で出来た、ナイフというのはあまりに不適切なそれは、むしろ「杭」と呼ぶ方がしっくりと来る。
「〈悔いのナイフ〉、というらしいですよ」
激しい戦闘の中で自らの気配を消し、完璧なバックスタッブでヴェルターの胸に「ソレ」を突き立てたレシリアは、厳かにそう答えた。
それは、「悔い」と「杭」のダブルミーニング。
吸血鬼に妻子を殺され、失意と後悔のうちに死んだ男が遺した執念の結晶。
形状どころか材質すらも不可思議なそれこそが、ヴェルターを本当の意味で倒すための、唯一無二の武器。
――吸血鬼は、心臓に木の杭を打ち込まれることで、死亡する。
伝承の通りの未来が、今実現しようとしていた。
「う、あ……。からだ、我の、からだ、が……」
あれほどの再生力を誇っていたはずのヴェルターの身体が、指先からボロボロと崩れ始める。
黒々としていた髪は瞬く間に白髪に変わり、肌はしわに覆われて干からびていく。
(あんまり、気分のいいもんじゃないが……)
あいつを倒すには、これしか方法はない。
初めから、通常の手段ではヴェルターを殺せないことは分かっていた。
何しろ、ロゼに呪いをかけるタイミングでは、仮に戦闘に勝ってHPをゼロにしても、そのまま再生してしまうのだ。
だから、本来はまだ入れないはずの〈薔薇の館〉。
その地下にある、「ゲーム後半に出てくるヴェルター」を撃破するための必須装備を先に回収させてもらった。
あとは再生直後のHPがまだ回復し切っていない状態で、一番気配を消すのがうまいレシリアに〈悔いのナイフ〉で不意打ちをしてもらえば、条件を満たしてヴェルターは死亡する。
(これで、未来は変わる。ゲームにはない結末が……っ!)
流石に神経を張りすぎたのか、気が抜けた瞬間にふらついて、倒れそうになる。
「レクス様!」
それに真っ先に気付いたのは、ロゼだった。
大事な「おじ様」の変貌とその最期に動揺しているはずの彼女は、それでも精一杯に俺を気遣い、駆け寄ってこようとして、
「……え?」
その瞬間、彼女の足元に、血のように紅い魔法陣が浮き上がった。
(まさ、か……)
悪夢の夜は、終わらない。
俺が振り向いたその先に……。
しわがれ、血を吐きながらもギラついた目でこちらをにらみつけるヴェルターがいて、
「――我の最期の魔力を、〈魔王〉様に!!」
その手にはドクンドクンと赤く脈打つ呪物が、「魔王の遺物」が握られていた。
次回更新は明日!
きっと21時頃です!





