第七十二話 塗り変えられる黒歴史
実は書籍版のキャラデザを宣伝用に渡されてるんですが、見せるタイミングが……
「リリー男でしたばばーん!」の直後に公開とかされても読んでる方が真顔になるでしょうし
いや、それはそれで面白いかなーとは一瞬思ったんですけど流石にね!
「――レクスさん!」
あくまでおしとやかに、けれどその中にも俺に会えた喜びを示すように、靴音を跳ねさせて駆け寄ってくるリリー。
恐ろしい手管だ。
中身が男で、しかも最悪の性格のクソ野郎だと知っていなければ、今の俺だって騙されていたかもしれない。
しかし俺はその笑顔を冷静に受け流し、駆け寄る「彼女」に対して〈看破〉をかけていた。
――――――――
リリー
LV 8
HP 150
MP 62
筋力 39(D-)
生命 52(D)
魔力 39(D-)
精神 91(D+)
敏捷 39(D-)
集中 91(D+)
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(なるほど、レベル八か)
リリーの初期レベルは五だったはずなので、そこから少しだけ上がっていることになる。
二ヶ月以上の時間が経ってこの成長はプレイヤー基準で考えれば非常に遅いが、ブレブレでもNPCの成長速度は鈍かった。
しかも〈吟遊詩人〉という戦闘に向かない職についているのであれば、このくらいが妥当だろう。
精神と集中はやはり高いが、それでも全ての能力値がレクスの半分以下。
この能力差なら、たとえリリーが俺に不意打ちをしかけてきても負けることはない、と断言出来る。
「悪いな。待たせたか?」
「いえ、今日は楽しみで、わたしが早く来すぎてしまったんです」
リリーは自分の戦闘力が吟味されているとも知らず、あいかわらずの完璧な演技で俺に人懐っこい笑顔を浮かべる。
その徹底ぶりに内心舌を巻きつつも、俺は表面的には穏やかに相槌を打つ。
「ああ、そうか。そういえば、今日行くところは……」
「ええ! わたしの両親が最後に旅をした〈揺蕩う月の洞窟〉なんですから!」
※ ※ ※
(ここまでは順調、か。さて……)
俺たち二人の〈揺蕩う月の洞窟〉の探索は、順調すぎるほどに順調に進んでいた。
〈揺蕩う月の洞窟〉の捜索難易度は低く、実力的にも仕掛け的にも、苦戦する要素はない。
さらに、俺はリリーの「秘密」を知っていて、「彼女」に対する圧倒的な優位を保っている。
――だが、いや、だからこそ、俺はここで気を抜くつもりはさらさらなかった。
絶対勝てる、なんて思い上がりが出来る立場じゃない。
俺はただ知識があるだけの一般人。
対して相手は、画面越しとはいえ、多くのゲーマーを地獄のどん底に叩き込んだ悪魔だ。
挑戦者のつもりで挑むくらいが、ちょうどいい。
そもそも、ここに至るまでが失敗の連続だった。
リリーとの遭遇自体、当初から考えていたものではないし、接触してからの対応も褒められたものじゃなかった。
特に昨日、俺、というか「レクス」が酒に弱すぎて一瞬で酔い潰れたのは本当に想定外で、しかもそのあともひどかった。
リリーはあの夜、酔い潰れた俺の頬にキスマークを残していったらしい。
男に頬にキスされたこと自体かなり衝撃の事実だが、本当に最悪なのはそこから先。
それを見たレシリアが、俺が「イベント検証」と嘘をついてこっそり歓楽街に行ったのだと勘違いしたのだ。
「私は兄さんがそういう店に行ったこと自体を怒っている訳ではありません。ただ、兄さんがそのために私を騙したことを嘆いているんです」と大層お冠だった。
キスマークが単なる悪戯だったのか、それともレシリアの反応すら見越しての深謀遠慮だったのかは分からないが、とにかくとんでもないことをしてくれる。
あの時のレシリアの迫力は今でも思い出すだけで震えが走るが、とにかく誠心誠意の説得で誤解は解けた。
俺はリリーの妨害を撥ね退けたのだ。
(まあ、「イベントの検証」ってのは嘘じゃないしな)
俺はこの二ヶ月の間、訓練だけをしていた訳じゃない。
イベントに関する検証もして、この世界の「仕様」をずっと確かめてきていた。
思いがけずギルド関連の仕事が忙しくなったことと、「とある事情」により当初の予定より検証は進まなかったが、一つだけ確信出来ることがあった。
(――やっぱりこの世界でも、「イベント」は起こる!)
正確に言えば、イベントと類似した状況を整えると、イベントと同じ流れで物事が動き出すことが分かった。
だから俺は今回、その性質を利用して、そこからさらに一歩を踏み出そうとしているのだ。
「でも、本当に驚きました。まさか、レクスさんがこのダンジョンの捜索に誘ってくださるなんて……」
そして、ギミックを一通り切り抜け、長い通路に差し掛かった時、隣を歩くリリーが俺を見上げて嬉しそうに笑う。
「そこまで喜んでもらえるなら、俺も誘った甲斐があったよ」
……そう。
今回このダンジョンへの探索を言い出したのは、リリーではなく「俺」だ。
俺はリリーに、仕事を手伝ってもらうにあたって、一応その冒険者としての立ち回りを見てみたいと打診し、「ダンジョンの共同攻略」の話を持ちかけた。
そしてその候補の中に、〈揺蕩う月の洞窟〉を入れておいたのだ。
結果、リリーは餌に食いついた。
〈揺蕩う月の洞窟〉の攻略を俺と行うことを、二つ返事で了承してきたのだ。
(本来、〈揺蕩う月の洞窟〉のイベントは、リリーともっと会話をして、もっと時間をかけてから発生するもののはず)
もしこれで今日の探索がゲームの〈揺蕩う月の洞窟〉のイベントと同様の流れを辿るならば、この世界では「イベントの先取り」が可能だということが証明出来る。
そして……。
「実は、わたしの両親は若い頃、世界の各地を旅していたらしいんです」
その証明の時はもう、すぐ目の前まで迫っていた。
「だから二人は、わたしに色々な旅の話を、色々な素敵な場所の話をしてくれました」
そう語りながら歩く足取りは弾むようで、何も知らない人間なら、「彼女」が心の底からこの探索を楽しんでいるんだ、と簡単に信じ込んでしまうだろう。
しかしそんな「彼女」の笑顔に、俺もまた、「心の底からの笑顔」で応える。
「その中で、二人が一番熱を込めて話してくれたのが、このダンジョンの最深部の景色なんです」
そう言って、いつもと変わらぬ品のある所作で歩く「彼女」の手には、映像記録水晶が見える。
かつての「俺」を不幸の底に陥れたアイテム。
だが、それを見ても俺の心は穏やかだった。
「旅の終わり。両親は最後に二人きりでこのダンジョンに訪れて、そしてその最高の景色の中で、父は母に告白をしたそうです」
そこで「彼女」はこちらを見て、「ロマンチックですよね」と笑う。
「だけど、ひどいんですよ。わたしが『どんな景色だったの?』と尋ねても、両親は笑顔を浮かべるばかりで答えてはくれないんです。そうして、そのあとは決まってこう言うんですよ。『その景色は、あなたが自分の目で見てきなさい』って」
ふたたび前に向き直り、「彼女」の瞳が前を向く。
「だからわたしは……」
その言葉を最後に、苦くて甘い、雌伏の時間が終わりを告げた。
「……どうやら、その『自分の目で見る』時がやってきたみたいだな」
俺の言葉に、リリーは天使のように笑う。
「楽しみです。……けど、ちょっと残念です。もう少しだけ、レクスさんと一緒に冒険がしたかったのに」
百点満点の言葉と笑顔。
ゲームでの時よりも気前のいいリップサービスにほだされたフリをして、最後の仕掛けに挑む。
「ここに、触ればいいんでしょうか?」
不安げなリリーの言葉。
二人同時に装置に手を触れた瞬間、床は抜け、俺たちを決着の場へと運ぶ。
「あ……」
投げ出された先にあったのは、まさにこの世のものとは思えない美しい景色だった。
ダンジョンの奥、誰も踏み入れることのない、その場所に。
淡い光を放つ真っ白な花々が咲き乱れ、その空間を鮮やかに彩っていた。
それはまるで、花々の楽園。
白く可憐な花が所狭しと咲き誇り、そこから優しい光が立ち上る。
「そ、っか。そうだった、んだ。だから……」
夢を見るようにつぶやくリリーの頬から、涙が零れ落ちていく。
「あ、あれ? すみません、その、こんなはずじゃ……あっ」
ギュッと、「彼女」の肩を抱く。
戸惑うような「彼女」の顔が、涙に濡れてなお整ったその顔が、大写しに見える。
「レクス、さん……?」
透明な滴を伝わせ、驚いた顔でこちらを見上げる「彼女」を、素直に「綺麗だ」と思えた。
本来、男と女は「違う生き物」だ。
そもそもの骨格が違い、筋肉の質が違い、そうなると当然姿勢や動き方までが変わってくる。
例えば写真の一枚であれば特定の姿勢や角度だけを見せることで誤魔化すことは容易でも、日常を送る中で全く違和感なく性別を偽ることは難しいという。
もちろん身も蓋もない話をすれば、リリーが女性に見えるのはもともとリリーのデザインが骨格などを含めて女性のものだから、というのは間違いない。
だが、たとえゲームの設定によって決められたことであるにせよ、「彼女」が自分を女に見せるために、想像を絶する努力を続けていることもまた、事実だろう。
それは確かに、賞賛されるべきかもしれない。
だけど……。
――悪いが、もう夢から覚める時間だ。
どんな言い訳をして、どんな理屈をつけたところで、リリーが自分の身勝手な欲望のためだけに人を騙し、傷つけてきた事実は変わらない!
(……やっと、やっとだ)
はっきり言えば、俺は会った瞬間からすぐにでも、リリーを破滅させられたと思う。
ゲームでの俺は、告白の映像という弱みを握られていたためリリーに好き勝手にやられていたが、今の俺にそんな制約はない。
あいつは俺以外にもたくさんの男を騙してきただろうし、「レクス」のネームバリューでもってリリーが男であることをバラせば、それだけであいつは終わりだろう。
それなのにわざわざ時間をかけ、お膳立てをして、この場にやってきたのは、かつての苦い記憶を上書きするため!
(――イベントと同じ流れを辿り、あいつが得意の絶頂にあるその瞬間に、それを覆す!!)
ずっと、苛立っていた。
リリーに騙され、ハメられ、きつい言葉をいくつもかけられたことに、だけじゃない。
それに対して何も言えず、何も出来ず、ずっと縮こまっているしか出来なかった「ゲームの俺」にも、俺は苛立っていたのだ!
もし本当に「俺」がここに立っていたら、いくらでもやりようはあるのに!
もし好きに言葉が紡げるなら、こんな理不尽な野郎に、こんな理不尽な台詞に、無抵抗ではいないのに!
もし……。
――もしこれが、ゲームではなかったら!
誰もが考える、そして叶うはずのない願い。
だが、数奇な運命が、その荒唐無稽な願いを現実のものに変えた。
(――この世界は、神ゲーだ)
この世界を作った存在がいるとしたら、そいつは実に分かっている。
「ゲームだからこそ出来る」部分を残しながらも、「ゲームじゃなければ出来た」部分はきちんと出来るようになっている、俺にとって都合のいい世界。
だから俺は「改変」する。
どうしようもなかったイベントを、呪いのような過去を、自らの黒歴史を……。
(今ここで、塗り変えるんだ!!)
俺は意を決し、潤んだ目でこちらを見上げるリリーを正面から見つめ、告白の言葉の代わりに断罪の言葉を投げかける!
「――俺は、お前の『秘密』を知っている」
返ってきたのは、戸惑いだった。
「……え?」
しかし、そんなことは構わない。
想定している。
こんなものは、あの暗い部屋の中で、俺が妄想の中で何度も何度もシミュレートしたその反応のうちの一つ。
そんなもので、俺は止まらない。
「リリー・ハーモニクス。吟遊詩人。初期レベル五。得意なものは〈演奏〉、〈歌〉、〈闇魔法〉。ユニークスキルは〈ローレライ・ボイス〉」
淡々と読み上げる俺の言葉に、リリーは初めて動揺を示す。
「ち、違います! 確かにわたしの声には、不思議な力があります! でも、それを悪用なんて……」
リリーは何かをさえずっているが、そんなことはどうでもいい。
興味はない。
「城塞都市リネスタ出身、十九歳。両親は元旅人。『リリー』の名前の由来は流産してしまった姉につけるはずの名前から。女性の名前をつけられたせいでいじめられ、不遇の幼少期を過ごすが、その過程で女装に目覚める」
「え? じょ、そ……? な、何を、言って……」
もう、冷静な振りを保つのは、無理だった。
「もう、演技はしなくていい」
「えん、ぎ……」
「分かってるんだよ! お前が、男だってことは……!」
リリーは、まるで思いがけない冤罪をかけられたように取り乱した。
「な、何を言っているんですか? ご、誤解です! わたしは、だ、だってその、胸だって……」
絶対に男だということがバレたくないのか、リリーの思う「理想の女性」では口にしないようなアピールを始める。
しかし、それこそが俺の待っていた言葉だった。
「あ、やっ!」
俺は無言で、リリーの言う「胸」を鷲掴みにする。
手を押し返す柔らかさの、現実にはありえないほどのボリューム感が、俺の疑惑を確信へと変えた。
「や、やめて! やめてくださ……!」
それでもなおも諦めないリリーに、引導を渡す!
「その胸がニセモノだって、証明してやる!」
「ひっ!」
怯える演技を続けるリリーを無視して、俺はリリーの服に手をかけた。
ボタンを外して、なんて面倒なことはしない。
レクスのスペックに任せて、俺は思い切りリリーの服を引きちぎり……。
「……え?」
俺はそのまま、身動き一つ出来なくなった。
なぜなら、そこに見えたのは、俺が予想していた光景ではなかったから。
「な、え? は……?」
そこには、詰め物なんて影も形もなかった。
代わりにただ一面の肌色が、今までの人生の中で見たどれよりも大きくて形のよい二つの「それ」が、まるで存在を誇示するように俺の前に晒されていて……。
「……ひどい、です」
耳に届いたか細い声に、我に返る。
リリーは真っ赤に染まった顔を伏せ、俺から身を守るように胸元を隠す。
「あ、あぁぁ……」
何が起こったのかは分からない。
だが、何をすべきかだけは、はっきりと分かった。
「――すみませんでしたぁああああああああああ!!」
こうして俺の黒歴史は、数年の時を経てさらに凶悪に塗り替えられたのだった。
という訳で決着!
次回はリリー編エピローグとなります
明日の21時に更新予定!





