第三十二話 伝説
今日の短いから余裕で本編書きあげてなんかすごく面白いまえがきを書こうと思ったのに、なぜか日付変わるまで長引いてそれどころじゃなかった
「……うそ、だろ」
斬られた〈剛剣リボルト〉の刃が宙を舞い、地面にぐさりと突き刺さるのを、俺は呆然と見ていた。
悪魔どもを斬り捨てた時も、亜竜の攻撃を受け止めた時も、小ゆるぎすらせずに俺と一緒に戦ってきた相棒。
それがあっさりと斬り飛ばされたことで、俺の思考は停止してしまっていた。
それは……それは間違いなく、戦場にあっては致命的な隙だったはずだ。
しかし……。
「……もういいか?」
目の前に立つ男は、それを咎めすらしない。
ただ冷めた目で俺を見て、俺が武器を構えていようが、立ち尽くしていようが、どちらでも同じだと言わんばかりに……。
(いや、実際、そうなんだろうな)
隙など窺わなくても、〈剛剣リボルト〉を斬った直後にもう一太刀を放っていたら、俺は避けることも出来ずに切り捨てられていただろう。
あるいは先程の踏み込みがもう少し深ければ、剣と一緒に俺の身体を両断出来ていたかもしれない。
「……いいや、降参だ」
俺は短くなった大剣を手放し、その場にどっかりと座り込んだ。
「おやっさん!」
後ろから悲鳴のような声が聞こえるが、俺の心は変わらない。
「分からねえのか。完敗だよ」
魔法の威力でジュークを上回り、投擲の技術でレーンを上回り、そして剣の冴えとその腕力で、俺を軽々と上回った。
これが敗北じゃなくてなんなのか。
(それだけじゃねえ……!)
この男の強さにビビった俺たちは、「相手を傷つけない」という最初の誓いを忘れちまった。
本気でナイフを投げたレーンだけじゃねえ。
レクスが近付いてきた時、俺の頭にあったのは「どうやってこいつに勝つか」ということだけだった。
この男の化けの皮を剥いでガキ共の目を覚まさせるという目的も、相手を傷つけずに事を収めるという決意も、頭から抜け飛んでいた。
……だが、このレクスという男は違った。
自分に飛んできたナイフを迎撃した時も、剣を構えた俺を無力化する時も、俺たちには怪我一つ負わせなかった。
もちろんそれは「実力差から来る余裕」って奴かもしれねえ。
だけどこの男が、突然襲いかかってきた俺たちをいなし、お互いに無傷のまま制圧したのは事実。
――俺たちは、実力だけじゃなく、心でもこの男に負けたのだ。
俺は奴をはっきりと見据え、両手を地面につくと、
「……すまなかった」
そのまま、深々と頭を下げた。
「何してんすか、おやっさん!」
「おやっさん!」
レーンたちが声をあげるが、これはけじめの問題だ。
「今回のことだけじゃねえ! 俺は、お前を侮っていた! ソロのA級冒険者なんて存在するわけがないと決めつけて、お前のことをペテン師扱いしちまった!」
目が曇っていたのは、俺の方だ。
口では「冒険者は自由な存在だ」なんて言いながら、一番冒険者を型にはめていた。
たった一人でパーティ全ての役割を果たすような冒険者など、存在しないと思っていた。
だが、このレクスという男は、魔法で、技術で、剣技で、それぞれ俺たちを上回ってみせた。
そしてそれは、ただ「能力が高い」で語れるようなことじゃねえ。
冒険者として経験を積んで「成長」を重ねれば、確かに魔力や器用さも人並み以上には育つ。
例えば俺だって中堅の冒険者並みの魔力はあるが、じゃあそいつらと同じ魔法を使えるかというと、そんなことはない。
能力だけが強い冒険者の条件じゃない。
どれだけ基礎能力が高くても、それを活かせるだけの技能を身に着けていなければ意味はないのだ。
技能を身に着けるためには、特定の職業に就き、その職で研鑽を積まなければならない。
下級職の、簡単な技であれば、まだいい。
だが、〈フリーズレイン〉や〈ナイフショット〉などの優秀な技能を覚えるには、並々ならぬ努力が必要だ。
だから冒険者は「戦士系なら戦士系」「魔法使いなら魔法系」一本でやっていくのが定石。
あるいは複数の道を進むにしても、せいぜい二つが精いっぱいだ。
(なのにこの男は、魔法使い、盗賊、剣士、その全ての分野で、卓越した技を見せつけやがった!)
それがどれほど果てしない修練を必要とすることなのか、これまで数十年冒険者をやっていた俺だからこそ、痛いほどに痛感出来る。
(それをペテン師とは、情けねえ……!)
しかも、この男が本当にすごいのは、これだけのことをやってのけてなお、本人の覇気が感じられないこと。
最初はその理由を、「この男がただの一般人だから」なんて勘違いしていた。
だが、違う。
おそらくこの凄腕の男はもう、そういう次元を超越しているのだ。
今だって、「命懸けの戦いに興じる」なんて雰囲気ではなく、まるで、そう、「カード遊びをしている」ような自然さ、気軽さで、奴は俺たちを完封してみせたのだ。
(こいつぁ、敵わねえ。敵うわけ、ねえ)
もちろん彼が優れた冒険者であることが、優れた指導者であることを保証する理由にはならない。
ただ、信じられないほどの努力でこれだけの技能を身に着けた男が、適当なだけの訓練をするとは思えない。
それにレクスの実力が想像以上だった時点で、もう俺たちに彼らを止める理由はない。
「あんたほどの男がついていくのなら、安心だ。〈七色の溶岩洞〉であっても、十分にこいつらを守って……」
「何か、勘違いをしてないか?」
冷たい声が、俺の言葉をさえぎる。
思わず顔を上げた俺に、黒の冒険者は信じがたい言葉を告げた。
「ダンジョンに行くのは、こいつらだけだ」
「な……」
こともなげに言ってみせるレクスに、俺は言葉を失った。
(ヒヨッコだけで溶岩洞に入るなんて、自殺行為だ)
そう口にしたいのに、なぜか声に出すことが出来なかった。
溶岩洞の敵は強く、一番簡単とされる採取依頼であっても、どう考えても新人に出来るようなものではない。
それでも、もしかすると彼の指導を受けた教え子なら、溶岩洞のスライム共の目をかいくぐり、依頼を果たすことも出来るのではないか?
一瞬だけ、そんなことを思ってしまったのだ。
「いや、だが……そうだな。あんたらには話したいこともあるし、ちょうどいい。洞窟の入り口まで、ついてきてもらうぞ。そして……」
だが……。
だが俺は、まだここに至って、彼を、いや、彼らを侮っていたのだ。
「――俺の教え子たちの依頼達成の、見届け人になってもらおうか」
無表情にも見えた男が、にぃ、と唇を歪める。
その言葉の意図を俺が本当の意味で知ったのは、それから数時間後のことだった。
☆ ☆ ☆
剣帝歴664年11月10日。
図らずもあの「救世の女神による神託」のきっかり一ヶ月後。
フリーレアの冒険者ギルドに、センセーショナルな事件の報がもたらされた。
――新人パーティ〈ブレイブ・ブレイド〉、中級ダンジョン〈七色の溶岩洞〉の「ボス撃破依頼」達成!
フリーレアのギルドでもっとも信望を集めた冒険者〈不死身のヴェルテラン〉がもたらしたその情報は、その街の、いや、世界各地の冒険者の間に瞬く間に広がり、彼らを大いに驚かせた。
結成一ヶ月、ダンジョン探索回数たった二回という新人パーティが、中級ダンジョンの「初見完全制覇」を成し遂げたのは、語るまでもなく前人未到の偉業だった。
伝説的なその功績に、全ての風向きは変わる。
かつての悪評は賞賛に変わり、誰もがその偉業達成の秘密を、そしてその陰に見える指導者の存在を追い求め……。
――そして、世界は「レクス・トーレン」を知る。





