レン
夢を見る。
子供が公園で遊んでいる。
もみじのような小さな手には余るボールを抱えて、おおきく振りかぶって私に投げてくる。
バウンドしたボールをキャッチして、私も優しく投げ返す。危うげながら受け止めた子供は、私に楽しげに笑いかける。
その顔が歪んで見える。
あの子の顔を、思い出せない。
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「あ、ユイ、おはよう!よく眠れた?」
「…おはよう、レン」
酷い夢を見た気がする。
胸が詰まるような、そんな夢。
「大丈夫?顔色悪いよ?」
既に制服に着替えたレンがユイの顔をのぞきこんだ。
大丈夫、と答えてユイはベッドから起き上がった。
この学園に来て、もう半月になる。それだけあれば、学園のことは大体わかるようになっていた。
この学園には異能力者と、そうでない者がいること。異能力者と普通の人間には見えない隔たりがあり、あまり表立って交流する人間が少ないこと。
もちろん女子寮にも異能力者はいるが、これに親しげに話しかける人物はあまりいなかった。異能を持つものは、異能を持つもので固まって動いている。それが格差なのか恐怖なのかはまだ分からない。
まあもちろん例外もいる。
「今日は、フレム先輩と同じ授業なんだから、早めに行かないといい場所取られちゃうよ!」
はやくはやく、と手を引いて起こされたユイは急かされるままに身支度を整え寮室を出た。
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フレム先輩、とは赤く長い髪を一纏めにゆった中性的な美貌の麗人である。見たことは無いが炎を操ることが出来るという、いわゆる“役付き”だ。
女子生徒だと聞いているが、振る舞いが紳士的で役付き・役なしと分け隔てなく接するため、1部からは「王子」とよばれて親しまれている。
小ホール程度のドーム状に並べられた席のターゲットが座る2つ後ろの席を何とかゲットしたレンは、満足気にフレムの赤いつむじを見下ろしていた。彼女の周囲には役なしの少女たちがこぞって集まっており、黄色い声話し声がここまで聞こえてくる。
「混ざらなくていいの?」
熱心に見つめているレンに声をかけると、少し慌てたように頬を赤らめてそっぽを向いてしまった。
「見てるだけで幸せなんだから!…それに、私が行ったら、ユイが1人になっちゃうでしょ?」
泣いた赤子がなんとやら、頬を赤らめていたレンは振り返っていたずらっぽくユイの顔をのぞきこんだ。オレンジ色の瞳が吊るされたライトの明かりに照らされてキラキラ輝く。
なんとなく照れくさくなって、今度はユイがそっぽを向く羽目になった。
授業はつつがなく終わり、次の教室に向かう途中のことだった。
「レンくん!待ってくれないか!」
ハスキーボイスの声の主に呼び止められた。なんとなく聞き覚えのある声だと並び立つレンとともに振り返ると、小走りでかけてきたのはあの王子様ことフレムだった。
ちらりとレンを横目で窺うと、狼狽えと感動の真っ只中にいるのか、口を1文字に結んだまま目だけを煌めかせていた。器用な真似ができるものだと感心する。
「やあ、急に呼び止めてすまない。レンくんに言伝を預かっていてね。」
正面から見たフレムはスラリと長身の、何故かズボンを履いている、輝くような美貌の持ち主だった。長いまつ毛に縁どられた金の瞳が、すっとユイを捕える。同性だとわかっていてもどきりとした。
「君が転入生のユイくんだね、わたしはフレム。よろしく」
「はじめまして、よろしくお願いします、フレム先輩」
フレムが手を差し出したのでユイも素直にその手を取った。隣でやきもきしていたレンがあの、と声をかける。フレムはユイの手をパッと離した。
「それで、私にお話とは……」
「ああそうだ、学園長が呼んでいたよ」
「そうなんですね!わざわざありがとうございます」
「いいよ、可愛らしい人のためならね」
いたずらっぽくウインクして、じゃあね、とフレムは踵を返して去っていった。
アーチ状の吹き抜けの廊下ということもあり、まるで王宮に迷い込んだようだ。女子生徒が夢中になるのも頷ける。
ユイはちらりと隣の様子を伺った。レンはあまりの供給の多さにパンクしたのか、立ったまま失神していた。
その日、学園長の元へ行ったレンが帰ってきたのは、夕飯も終わってしばらく経った頃だった。
「ただいまー!」
「おかえり、レン。カミラ先生に怒られたりしなかった?」
「ちょっと小言言われたけど全部、学園長の呼び出しです、で済ませちゃった!」
「それは何も言えないね、でもカミラ先生心配してサンドイッチ作ってくれたんだよ」
「ほんとー!?お腹ぺこぺこだったんだ〜」
レンが勢いよくサンドイッチを頬張り初めて、ユイはなんだか安心した心地になった。
転入して以来ずっと隣にあった騒がしさが、心を落ち着かせてくれた。
「シャワー浴びてきたら?」
「ユイもう浴びた?」
「見たらわかるでしょ、とっくにパジャマに着替えてるよ」
「それもそっかー」
レンは最後の一欠片をりんごジュースで流し込み、鼻歌を歌いながら入浴の準備をし始めた。
その背中を眺めながら、なんともなしにユイは呟く。
「そういえば学園長って会ったことないなぁ」
レンの動きが止まった。
「……会わない方がいいことも、あるかもよ?」
その声は小さすぎて、ユイには聞き取れなかった。その間にレンは「お風呂行ってくるね〜」と鼻歌を歌いながら部屋を出ていった。
ユイは少し引っ掛かりを覚えながらも、読書を再開した。
消灯時間が過ぎ、微睡みに包まれていたユイに、「ねぇ」と、レンが声をかけた。
「んー、なあに?」
「ねぇ、一緒に寝ていい?」
ウトウトとした頭で、昔もそう言われたことがあることを思い出した。大切な人だった。
その時はいつもこう返していたんだ。
「いいよ、おいで」
枠付きのシングルベッドに、2人分の体重がかかり、軋んだ。記憶の中より幾分大きいな、と思いつつ、シャンプーの香りと人の体温でゆったりと眠りにおちる。
「ねえ、ユイ、やっぱり学園長にはあって欲しくないな」
レンはユイの頬に指先を這わせながら、じっと寝顔を見つめていた。
「わたし、ユイには幸せになってもらいたいんだ」
目が覚めると傍らの温もりはなく、いつもよりも寒々しく朝を迎えた。
薄暗い部屋を見回しても、レンの姿はなく、なんだか無性に嫌な予感がしていた。
慌ててベッドからおりると、ノックの音が3回、急いでいるのかやけに間隔が短かった。
思わず身構えると想像に反してカミラの声が聞こえてきた。
「ユイ、なかにいる?」
「っあ、はい!います」
「そう、よかったわ、そこにいなさい、部屋を出てはダメ」
「あの、カミラ先生、レンが居ないんです」
「……レンは、亡くなったわ」
カミラから出た言葉がユイには知らない言葉のように響いた。死んだ?誰が?何故?
「……っユイ!」
気がつくとカミラをおしのけて外に出ていた。信じられなかった、信じたくなかった。
外に出て直ぐに人だかりを見つけた。直感があった。あそこにきっと。
(ああ、嘘だ……)
確かにレンだった。瞳を閉じてまるで眠っているかのように花壇の上に横たわっている。生きていれば絵画のようだと、絶賛できたのに。心臓に突き刺された短剣と、制服に滲んだ制服に滲んだどす黒い血がそれを全て否定していた。
悲しみや怒りはやってこなかった。
ただどうして、という嘆きがユイの心を包んでいた。




