第八夜 「あんまり、気にすんじゃないぞ、ユリアン」
平成にまにあった…orz
注)もろもろフィクションです。
設定等、どこの国のものを参照しているのでもなく、いいとこどりのご都合主義です。
どうぞご了承ください。
あっという間に時は流れる。
風のうわさに、エスレーベン嬢がクナウスト夫人になったと聞いた。
風が運んできた報せだから、祝福の言葉も風に乗せた。
その頃にユリアンは主計局内で転属し、法規課を離れ主計事務管理室付き主計官補佐となった。
いわゆる雑用なのだが、これまでしていた雑用とはわけが違った。
実際に立法の現場に居合わせることもでき、国全体の資金の流れを把握できる立場だった。
喜ばないわけがない。
更に早く出勤しようとしては共に行く父に苦笑いで窘められる。
「羨ましいよ」
と言われた。
「仕事が楽しいと、思えるのは素晴らしいことだ」
父は現在、『身分制議会』という名を冠する会議の基盤を制定するために奔走している。
それは諸侯とトラウムヴェルト内の各都市の代表者、また経済界の名のある実業家を招聘しての会議で、通常行われている宮廷会議の拡大版だ。
ただ規模が大きいだけではない。
これまで議論のテーブルについていなかった市民への門戸の開放であり、それは当然諸侯からの大きな反発を招いた。
かねてから父は「これを最後の仕事にする」と言っていた。
幾年も前からのたゆみない根回しと地ならしによりようやく現実味を帯びてきたようだが、それでもまだ父の手を離れるものではないのだろう。
機密事項が多すぎる故にユリアンもおいそれとは仕事の内容について訊ねることはできない。
けれどそれがどれだけ父を追い込んでいるのかは、近年めっきりと増えた白髪が、物語っていた。
「おまえは、議長になんかなるんじゃないぞ」
いつぞや酒を飲みながら、父が苦笑交じりに言った。
けれど父がその仕事に誇りを持っているのを知っている。
ユリアンは父の背を追って文官になった。
法に係わる仕事を希望したのも、それがいずれは父の支えとなるのではと思ったからだ。
それを知ってか知らずか、ユリアンが財務省に内定後に主計局の法規課を志望したと聞いたとき、父は少し考えて、「そうか」と言った。
そうこうして、ユリアンの主計官補佐が板についてきたころに冬期休暇が訪れた。そして新年とともに宮廷舞踏会で幕を開ける社交時季だ。
幾つもの夜会をこなしながら、父もユリアンも慌ただしく時を過ごしていたが、年が明けるのを目前としていたある日、ユリアンは父を捕まえて言った。
「父さん、お願いがあります」
折り入ってといった様子のユリアンに瞠目し、父ヨーゼフは「なんだ?」と訊ねた。
「今季以降、宮廷舞踏会のエスコートをお断りしたいのです」
「どうした、突然」
「……エスレーベン嬢――クナウスト夫人の……ファーストダンスが、わたしでした」
その短い言葉で父は理解したようだった。
「わかった、お断りしよう」
ユリアンと同じ蒼い色の瞳を少し眇めて、頷いた。
お披露目予定の御令嬢を持つ御家以外で、宮廷舞踏会に参加資格が得られるのはすべての諸侯ではない。
また、支度に資金がかかり、エスコート役を伴えないご令嬢も毎年いらっしゃる。
そうしたご令嬢たちのファーストダンスに与る役が、参加資格のある諸侯やその令息から選ばれていた。
ユリアンはもう、その資格はない、と思った。
年が明ければ、すぐにお披露目宮廷舞踏会だ。
****
当日になり、エスコートをしないとなるとなにを着ればいいのかわからなかった。
衣裳部屋担当の侍女はここぞとばかりに最新流行の型の正礼装を着せようと迫ってきたが、ふと思い立って、ユリアンは灰色のモーニングを手に取った。
いろいろ考えすぎて疲れていたのかもしれない。
いつぞやのハルデンベルク候の夜会で、ラストダンスをお願いしたご令嬢の瞳の色だった。
名前も知らない。
顔もよく憶えていない。
そんな後ろめたさから、ユリアンはそのご令嬢の色を纏った。
女性に対する誠意が欠けていたであろうそれまでの自分の、ささやかな贖罪だった。
「なんで今回エスコート受けなかったん、ユリアン?」
「おまえみたいに愛らしいご令嬢に飢えてがっついてないから」
「ひどっ……」
舞踏会場の壁際に寄る人ごみを分けてやってきた、エスコートの白を纏ったカイは、ユリアンの言葉に大げさによろけて見せた。
「こんなところにいていいのか、もうお披露目のご令嬢が来られる時間だろう」
「いやー、おまえいないの気になったから」
少し逡巡して、カイは黒いくせ毛の頭に手をやり、また下ろしてから言った。
「あんまり、気にすんじゃないぞ、ユリアン」
目を見張ったユリアンに背を向けると、そそくさとカイは行ってしまった。
普段全く鋭いところのない、おちゃらけた友人に悟られていると知るのはなかなかの衝撃だった。
宮廷楽団が音合わせを兼ねた曲を静かに奏でている。
壁に背を預けて、ユリアンはそれに聴き入った。
なんてことのない、よく耳にする舞踏曲だ。
反省に感傷を少し織り交ぜた気持ちで目を閉じた。
お披露目ファーストダンスの曲だった。
2019/12/03
「その頃にユリアンは法規課において主計官補佐となった。」を
「その頃にユリアンは法規課を離れ主計局の配属となり、主計事務管理室付き主計官補佐となった。」に修正しました。
「実際に立法の現場に居合わせることができる立場だった。」を
「実際に立法の現場に居合わせることもでき、国全体の資金の流れを把握できる立場だった。」に修正しました。
2019/12/22
「その頃にユリアンは法規課を離れ主計局の配属となり、主計事務管理室付き主計官補佐となった。」を
「その頃にユリアンは主計局内で転属し、法規課を離れ主計事務管理室付き主計官補佐となった。」に修正しました。




