第五夜 「おまえは賢いが、ときどき馬鹿だな」
数日後、遅くに帰ってきた父に「話がある」と言われて、最近思い当たることがあったりするユリアンは息を飲んだ。
父の書斎に行くと家令のフース・ファン・アスが軽食と蒸留酒の瓶を運んできた。
フースは父が仕事で諸外国を外遊したときに連れてきた人物で、前任者が高齢のために暇乞いをしていたために家令に抜擢された。
異例な人事にその時はシャファト家内も紛糾したが、彼の手腕を目の前にして認めない人間などいなかった。
また、朗らかでおおらかなその人柄と、異国なまりのある話し言葉は人の頑なな心を和らげるには十分なものだった。
「フース、今日はもう下がっていい」
父が告げると、一度頭を垂れて彼は退出した。
うん、説教の予感がする。
「さてユリアン、わたしになにか言うことはないか」
ああ来た。
「なんでしょうか、父さん」
一応神妙な顔を作ってユリアンは訊ねた。
「よし、しらばっくれる時間が惜しいから単刀直入に訊くぞ。
エスレーベン家のご息女レギーナ嬢をおまえが手籠めにしたというのは本当か」
「なわけないでしょう!」
さすがにユリアンは声を荒げた。
「そんな話になっているんですか!? わたしが聞いたのはもう少し……少しですが、穏当な内容でしたよ!」
「いつのことだ」
「……先週末です」
「ああ、わたしが聞いたのは今朝だ。
おまえの部署に乗り込まなかった鋼の自制を褒めてくれ」
「……ありがとうございます」
「どうしてこんな話になった? 説明してくれ。
状況によってはエスレーベン伯と話をつけなくてはならない。
……いや、もう場を設けねば収拾できんか……」
疲れた声で言う父に、ユリアンは「……ご迷惑をおかけします」と奥歯を噛み締めながら言った。
「……先月末にあった、カレンベルク侯の夜会で、レギーナ嬢が倒れたんです。
その時咄嗟に反応できるほど側にいたのはわたしだけだった。
真っ直ぐに歩けないようでしたので、支えて別室までお連れしました。
カレンベルク家の侍女が、その部屋で休ませるようにと誘導してくれましたので。
入ったら、ベッドのある部屋でした。
まずいと思いすぐに去ろうとしましたが、レギーナ嬢がなかなか放してくださらなくて。
ふと気付いたら侍女はいなくなっていましたし、外から鍵がかけられていました。
大声を出してドアを叩いていたら近くにいた侍従が気付いてくれて……事なきを得ました」
「……それは既に事なきではないぞ?」
「いえ、何もないので事なきです! ぜったいに事なきです!」
拳に力を込めてユリアンは強弁した。
ヨーゼフはため息を吐いた。
「なぜすぐにわたしに知らせなかった?」
本当にその通りだと思い、ユリアンは項垂れた。
「こんな大事になっていると知らなくて……仕事が忙しかったこともあり、失念していました」
「おまえは賢いが、ときどき馬鹿だな」
「……返す言葉もありません」
「その侍従と……部屋に案内した侍女の顔は憶えているか」
「侍従は。
名を訊ねました、ヴォルフ・ケッテラー氏です。
侍女は……レギーナ嬢から逃げることばかり考えていたので、よく憶えていません……」
「……わかった」
「……沢山証人はいますが、ジルも、必要とあれば証言してくれると思います。
わたしの声と騒ぎを聞きつけて、駆け付けてくれたので。
他の人と共に、レギーナ嬢がちゃんとしていらしたことを見ています。
それに、わたしの知らないところでカイと一緒に噂を食い止めようといろいろ動いてくれていたようです」
「良い友を持ったな、ユリアン」
「……ええ、頭が上がりません。
向こう一年たかられます」
「一年で済むなら安いだろう。
おまえの将来に関わることだからな」
「……そうですね」
「おまえは迂闊すぎるが、周囲に助けられたな。
まずはケッテラー氏につなぎを取ろう。
ジル君にも話をつけておけよ。
その他に協力を仰げそうな証人は、思い出せるだけ書き出してわたしに渡せ」
「はい。
……あの父さん」
「なんだ?」
「……怒らないのですか」
ふっと口元を緩めて父ヨーゼフは笑った。
「出来過ぎた息子を持ったからな、わたしは。
たまには父らしいこともしてみたくなるものだよ」
酒瓶の封を切ると、ヨーゼフは愛用のタンブラーをふたつ棚から取り出し注いだ。
「任せておけ、この程度の障害、なんてことはない。
おまえの道に落ちる陰は、わたしが払おう」
受け取ったタンブラーを両手で握りしめて、ユリアンは申し訳なさに俯いた。
「おまえの若者らしい醜聞など本当に貴重だなぁ。
せいぜい父親ぶらせてくれ」
喜色に満ちた声に、ユリアンは小さく呟いた。
「……母さんには内緒にしてください」
「当然だろう、命あっての物種だ」




