第五十一夜 「伯爵! 耳寄り情報ですよ!」
本日君愛一周年です!!!
投稿間に合った……
ヨーナスが戻るまでの間に、半分ほど、期間としては二年半分の日記の書写が終わった。
一度手を休めて、オティーリエと共に内容を精査する。
「なにか君の記憶と重なることはあるかい?」
じっと目を落として動かないオティーリエに、ユリアンはそう訊ねた。
少しだけ困ったような表情で、オティーリエは答える。
「記憶が曖昧で……。
確信がないのですけれど……」
「かまわない、言ってみてくれないか」
手に持った書写済みの紙面をユリアンへと向け、オティーリエは一人の名を指差した。
「マンフレートが、前に述べていた知人がこの方のような気がするのです。
一度だけではなく、何度か。
でもかなり前のことです、フェーン家に入る前かもしれない」
記された名は『フィリップ・グリーベル』。
ユリアンも当代の伯爵とは面識がある家だ。
朝廷のどこかの省庁に居るのだとは思うが、フィリップという名は記憶にない。
「どうしてグリーベル家の人間と、接点があったのだろう。
イルクナーで付き合いはあったの?」
「いいえ、まったく。
ですので、なんとなく記憶に引っかかっていました。
マンフレートはその方とどうやって知り合ったのかしら、って思ったものだから」
「訊ねなかったの?」
「男性には、男性のお付き合いがあるでしょうし、わたしが詮索するようなことじゃないと思いました。
それに、その頃はもうマンフレートは従騎士だったから」
「だとすると、五年くらい前かな」
「たぶん……確信はないのですけれど」
申し訳なさそうにオティーリエは述べる。
笑ってユリアンは「ありがとう」と返した。
「こうやって些細に思えることを拾っていく作業なんだ。
教えてくれてありがとう」
オティーリエも笑顔を見せた。
貴族年鑑と紳士録を取り出してグリーベル家、またフィリップ氏について調べる。
フィリップ氏自身は爵位を持たず、文官として防衛省に士官している。
グリーベル家先代伯爵の四男。
その鳴かず飛ばずの経歴は典型的な世襲爵位のない子息の歩む道をたどっているように見える。
結婚はしていない。
子の名が記されているが、姓が違うところを見ると認知しただけの子どもなのだろう。
おそらくこの子の方がマンフレートと年が近いはずだ。
従騎士として防衛省に所属したことによって、親ほどに年の離れた文官と懇意になるきっかけができたのだろうか。
どこか胡乱なものを感じてしまって、これはヨーナスにも知らせるべきだ、とユリアンは思った。
****
ヨーナスが帰ってくる前に、マインラートにも手紙を書いた。
師団は違うが同じ騎士として防衛省に所属していたのだから、もしかしたらフィリップ氏のことをなにか知っているかもしれない、もしくはマンフレートからなにか聞いているかもしれないと思ったからだ。
その際にフェーン夫人から日記を預かったことも伝えた。
もし都合がつけば読みに来てなにか知恵を貸してほしい、とも。
返事には本人がやってきた。
「先触れを出すより自分で来た方が早かったので来てしまったよ」
「まったく問題ないよ、来てくれてありがとう。
さっそく書斎にいいかい?」
鼻頭を赤くしたマインラートは頷いてユリアンに続いた。
「茶にするかい? それとも酒?」
「茶にしとくよ、判断力を鈍らせたくないからね」
「わかったよ」
ユリアンが手ずから淹れると、マインラートは笑った。
「シャファト伯爵は、従者にやらせずに自分で茶をたてるらしい」
「最近人払いの上で部屋に籠もりきりだからね、すっかり慣れてしまったんだ」
ノックの音が聞こえた。
「オティーリエかい?」
「はい、お兄様がみえたの?」
「そうだよ、入りなさい」
慌てたような様子で入ってきたオティーリエは、手に籠を持っていた。
焼き菓子を作ると言って厨房に行っていたのだ。
一時間も経っていないので、きっとマインラートが来たと聞いて急いで来たのだろう。
「粗熱が取れていないの、崩れやすいかもしれないわ」
そう言って卓上に籠を載せた。
「嬉しいな、おまえが作る菓子を食べるのは久しぶりだ」
「わたしも久しぶりに作ったわ。
焼き立てよ、きっと美味しいわ」
「後片付け、厨房の方にお願いしてきちゃった」と多少申し訳なさそうにしながら戸棚から皿を取り出す。
ユリアンは小さな円卓を移動してマインラートの隣に置いた。
三人で囲んで小さな茶会ができる。
茶を注いで渡しながらユリアンはマインラートの顔色を伺った。
「体調はどうだい、マインラート」
「変わりないよ、筋肉がいくらか落ちてしまってね、鍛え直しているところだ」
籠から焼き菓子を手に取る嬉しそうな姿は、確かに変わりないようにも見えた。
崩れそうになった菓子を口で受け止めて微笑む。
無理をして元気に見せているわけではないように思えて、ユリアンは大丈夫だ、と自分を納得させて席に着いた。
「ユリアン様はわたしよりもお茶を淹れるのが上手くなったのよ、お兄様」
楽しそうにオティーリエも言った。
「そうだな、これならいつでも執事職に就ける」
その他愛ない会話に、ふと、二人は日常を取り戻すのに足掻いているのではないか、と思えた。
それに気づいても、適切な言葉などユリアンには思いつかなかったけれども。
「マンフレートの件を、話そう」
切り出したのはマインラートだった。
その声色は穏やかで覚悟のこもったものだったので、ユリアンは書写済みの紙束を手繰り寄せて彼に渡した。
「オティーリエと話していた、フィリップ・グリーベル氏について、なにか記憶にあるかい?」
「総務部の人だよ、昔は人事教育課にいたはずだ。
今はどこの課かわからないな。
どの師団でも総務部は世話になるから、いつでもいる事務方さん、という印象だね。
名前を見てもしばらくわからなかった」
「紳士録を見てもそういう印象だよ。
可もなく不可もなし、といった人物が思い浮かぶ」
「そうだろうね、年頃は父さんと同じくらいじゃないかと思うが」
なにかを言いかけてマインラートは止まった。
「うん、紳士的ではないことを言いそうになったよ」
「マンフレートがグリーベル氏について話していたって?」
マインラートがオティーリエに問う。
「……ええ、たしか。
グリーベルという騎士爵の御家は聞いたことがなかったから、とても印象に残って」
「どんなことを話していた?」
「あまり記憶にないのですけれど……大丈夫だ、とか、安心だ、というような言葉を述べていたように思います」
「なにが?」
「わたしもそう訊ねたように思うのですけれど、明確な答えはなかったように思います」
困ったように首を傾げるオティーリエは、「ただ」と付け足す。
「……一度だけではなかったのです。
なので、記憶に残っていたのです」
「おまえにだけ言っていたのだろうか? 私はマンフレートからグリーベル氏の名を聞いた覚えはないな」
「……そうかもしれません。
ふたりになったときに話されたようにも思います」
「二人きりになることなんてあったの⁉」
「お部屋とかではありません! 演習場とか、資材置場とか、ちゃんと人目のあるところです」
慌てたユリアンにオティーリエも慌てて弁明した。
「わたしを見かけたら寄ってきて、グリーベルさんについて話してくれたのです。
マンフレートが誰かの話をすることが珍しかったので、でも言っていることがよくわからなくて。
でも、たぶん、大丈夫、ていうのがお話の結論でした。
……ごめんなさい、要領を得なくて」
「いや、そもそも昔のことだし、こんな大事になるなんて誰も思わなかったのだから、憶えていなくても当然だ、十分だよ」
「そう言ってくださってありがとう」
微笑んでオティーリエは息を吐いた。
リーナスがヨーナスが戻ったことを知らせに来た。
「疲れていないようなら、ここに通して」とユリアンが指示するまでもなく、「伯爵! 耳寄り情報ですよ!」とヨーナスが入室してきた。




