第四十九夜 「わたくしどもは、あの子のことを愛していました! 愛していました! 愛していました!」
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ご興味ある方はどうぞー。
二日間の後、ヨーナスは部屋から出てきた。
「ひとまずわたしに今できることはここまでですかね。
あなたが持ち帰る情報に期待していますよ、伯爵」
ユリアンはフェーン夫妻に当てて手紙を書いていた。
家令のリーナス直々にそれを届けさせ伺いを立てたが、その場での返答はなかった。
いきなり所縁のない伯爵家からの接触があれば、警戒するのも当然だろう。
もしかしたら会ってもらえないかと考えていたが、次の日には返信が届いた。
言葉少なにいらしていただいて構わない、とのことだった。
数日後に伺う旨をしたためて手紙を持ってきた送達人に心付けと共に託す。
その他にフェーン夫妻宅にはいくらかの贈り物を見繕って届けるようにリーナスに命じた。
そして今度はユリアンが部屋にこもって、ヨーナスがまとめた書類に取り掛かった。
それは容疑者三名の、現状で辿れる限りの情報だった。
すべて時系列に編纂されている。
「乗りかかった船だ」とヨーナスは言ったが、交わされた契約はマインラートとイルクナー全体の弁護であるのにここまでのことをしてくれているのに感謝しかなかった。
確かに、弁護士という職種はユリアンよりもこうした情報を集めやすくはあるのだろう。
だがどこもかしこも冬期休暇という時期に、これほど敏速にそれができたのには、いくらかの無理が生じているに違いないとユリアンは考えた。
「ありがとう、ヨーナス」
「いえいえ、お安い御用ですよ」
書類を精査した後真っ先にユリアンはヨーナスに礼を述べに行った。
いくらかの抜けがあるだけで、殆ど情報は出揃っていた。
それぞれの住民登録情報だけに及ばず、入職するに至った経緯なども調べ上げられている。
大変だったはずだ。
あとはこれをユリアンが肉付けしていくだけでいい。
「食べたいものがあったら何でも言ってくれないか」
「充分いただきすぎてましてね、このところ若干ベルトがキツいのですよ」
苦笑いでヨーナスは答えた。
「あなたはフェーン夫妻から上手いことなにか情報掴んできてください」
「そうしたいと思う。
具体的にはどんな情報が必要だろうか?」
「三人の接点になりそうな情報ですね。
どこに出入りしていたとか、それと上級貴族とのつながりだ。
フェーン家の後継者としてならばきっとそういうものもあったんじゃないですかね。
わたしも依頼人に連れられて何度か社交の場に行ったことがありますよ。
おっかない、魑魅魍魎の巣食う場所ですね、あれは。
けれど悪巧みする仲間を見つけるには絶好の場所とも思いましたよ。
きっとあなたの方がお詳しいはずだ」
「そのとおりだよ、とても怖い世界だ。
今年は社交場に行けないのが悔やまれる。
いろいろ探りたいことがあるのにね」
「外側に居るからこそ見えてくることだってありますよ。
わたしはこの件を解決したい。
あなたにはとことん付き合っていただきます」
「それはわたしの台詞だよ、ヨーナス。
ここまでしてくれて感謝している。
巻き込んですまない」
「好きでやってますので気にせんでください。
正義の味方を気取る気はないが、こういう腐った匂いのするやつは反吐が出る体質なんですよ。
きれいに掃除してやろうじゃありませんか」
ユリアンは殊勝に頷いた。
軽い口調に込められた覚悟に気づいていたから。
****
冬の薄い色の空が高く澄んでいた。
黒いチェスターコートを着込んで、ユリアンはフェーン夫妻の住まいへと向かった。
市民街にシャファト伯爵家の馬車で乗り付けるような野暮なことはもちろんしない。
辻馬車を拾い、もらった住所の近くの大通りで降りる。
やはりと言うべきか、そこは勝手知ったる貴族街とは違い入り組んだ作りの路地が多く、また建物も数多く存在した。
目当ての場所を見つけるのに時間がかかり、約束の時間に遅れてしまうところだ。
駄賃目当ての子どもたちがユリアンに寄ってきて、道案内を買って出てくれた。
一度通り過ぎたところを中に入ったところのようだ。
四人ひとりずつに少額の硬貨を渡すと、にこにこと走り去って行った。
飾り気のない集合住宅の一室だった。
ドア・ノッカーを鳴らす際に、子爵としての生活からこの部屋に押し込まれてしまった夫婦になんと声をかけるべきか迷い、ユリアンは少しの間立ち竦んだ。
しかし顔を上げて手を伸ばして、扉を打つ。
少し後に、誰何があった。
「シャファトです。
こんにちは」
恐る恐るといった体で扉が開かれる。
姿を見せたのは波打った白髪を背に流した高齢の女性。
「はじめまして、フェーン夫人でいらっしゃいますか」
「どうぞ、お入りください」
問いには答えず口早に女性はユリアンを招じ入れた。
真昼間だったが、部屋の中は暗かった。
部屋の規模にしては立派な緞帳が半分ほど降ろされていて、日光を遮っていたからだった。
中でユリアンを迎えた男性もまた白髪で、とても疲れた表情をしていた。
「お運びいただき、ありがとうございます。
また、沢山の贈り物も届きました、感謝します。
わたしはデニス・フェーン、こちらは妻のアンナです」
「はじめまして、ユリアン・フォン・シャファトです。
この度は、突然の申し出に応じてくださりありがとうございます」
「わたしどもにお話できることなど何もありませんが……どうぞよろしければおかけください」
円卓にある椅子を指し示されて、ユリアンは言われたとおり席に着いた。
なにかお見舞いを口にした方がいいのではと気持ちでは思うのだが、アンナ夫人の硬質な態度がそれをためらわせた。
きっと、なにも言わないのが一番いいのだ。
なので、ただユリアンは黙礼した。
「マンフレートのことを、お知りになりたいとのことでしたね」
すぐにフェーン氏は切り出してきた。
それほど時間を掛けたくないのかもしれない。
それはとても仕方がないことのように思え、けれど悲しかった。
「はい、独身寮に住みながら、週末はお二人のところへ戻られていたと聞いています。
彼の様子や、ご存じの交友関係など、なにか些細なことでもいいのです、伺いたい」
アンナ夫人により茶が出されて、ユリアンは礼を言った。
「……特別なことなどなにもなかったのですよ。
わたしたちは上手く親子をできていたと思っていました。
あの子も、細やかな気遣いを示してくれる子で。
わたしたちが本当の親のように接してくれていました」
俯き加減に述べられた言葉は穏やかだった。
だからこそ痛々しくて、ユリアンは返答に困った。
「……友人か誰かを、連れてきたことはありますか?」
苦し紛れに訊ねた言葉に、フェーン氏はゆっくりと頭を振る。
「いつでも連れておいで、と言ってはいましたが。
恥ずかしがって、誰も招いたことはありませんでした。
友人は多かったのではないかと思います、よくどこそこに行った、とか、何をしていた、と話していましたから」
「それを思い出せるだけ、教えていただけませんか」
「アンナ」
壁際に息を殺して佇んでいた夫人にフェーン氏が声を掛けると、彼女は目に見えてびくりと身を震わせた。
「見せて差し上げなさい」
アンナ夫人は口を引き結んでフェーン氏を見た。
その目は涙ぐんでいるようにも見えたし、その両の手は固く握り込まれていた。
少し顔を俯けて彼女は首を振る。
「アンナ」
フェーン氏は批難めいた声を上げて夫人を見る。
アンナ夫人の拳は解かれなかった。
口を出すべきではないと思い黙りこくっていたユリアンに、フェーン氏は告げた。
「妻は……マンフレートのことを本当に可愛がっていました。
もちろんわたしもですが、実の息子のように愛していた。
妻はね、ずっと書き留めていたのですよ、マンフレートが話したことを。
今週はどこへ行ったと言っていた、何々さんと仕事を一緒にした、そんなことを」
はっとしてユリアンはアンナ夫人を見た。
夫人は首を下に向けていて、表情は隠されて見えなかった。
けれど、きっと泣いているのだろうと、そうではなくとも、泣きたいのだろう、とユリアンは感じた。
「……無理強いはできません。
だが、もし、できるならば……」
縋るような気持ちでユリアンはアンナ夫人を見る。
夫人は俯いたまま動かなかった。
ユリアンは急かすことをせずに待とうと押し黙る。
フェーン氏は天井を見上げてから長い息を吐いた。
そして徐ろに立ち上がると、アンナ夫人に歩み寄り、その背に手を回した。
「……アンナ。
わたしたちができる贖罪は、それだけだ」
ユリアンはその言葉に戸惑う。
この老夫妻が、なぜ贖わなければならないのだろう。
ただ、マンフレートを養子に取り、実子のように愛した、それだけなのに。
なにか言うべき言葉を探してユリアンは目を逸らした。
半分降ろされた緞帳が、そしてそこから差し込む淡い陽の光が、フェーン夫妻とユリアンの距離に思えて、どこか気後れしたように俯いて、茶の入った茶杯を見下ろす。
茶に映ったユリアンは冴えない顔をしていた。
「……贖罪などと、思っていただきたくないのです」
顔を上げることが出来なくて、茶の中の自分を見つめる。
「それは、お二人がマンフレートを愛してきた記録だ。
決して否定されていいものではない。
あなたがたがマンフレートと過ごしてきた日々は、本当のことだから」
呟いた言葉は静まり返った部屋に沈殿し広がった。
アンナ夫人が嗚咽を漏らした。
顔を両手で覆い、続きの間へ消える。
彼女は厚い臙脂色の日記帳を持ってユリアンの前に来た。
そしてそれを開いて見せる。
「否定しないでくださいますか、わたくしどもは、あの子のことを愛していました! 愛していました! 愛していました!」
堰を切ったようにアンナ夫人は語り始めた。
泣きながら、笑いながら、どれだけ大切な存在だったのかを、綴られた言葉ひとつひとつを取り上げて彼女は語った。
ユリアンはそれらすべてに相槌を打ち、ときおり共に涙した。




