第四十八夜 「私には、その勇気がない」
これもLive Novelです
書けるけど話が進まなくて困ってます
宣言通りヨーナスは翌日から籠城した。
「いやあ、最高ですね! ベルを鳴らせば人が来て上げ膳据え膳、まるで貴族のお大尽にでもなった気分ですよ! もうここに住みこんじゃいましょうかね! それにしてもここの飯は美味いですね、さぞや名のあるシェフなんでしょう! そういえば挨拶がまだでしたね、あなたのこの一年があなたの奥さんみたいに美しくありますように、伯爵!」
「ありがとう」と返す言葉も最後まで聞かずにヨーナスは机に向かい直った。
集中しているときの彼はいつもの調子がそっくりな別人に思えるくらいに真剣だ。
そっと部屋を出て、ユリアンはオティーリエの手を取りイルクナーへと向かう。
馬車の中でもずっと手を取り合っていて、他愛のない会話をした。
まだ除雪が追いついていなくて多少いつもより時間が掛かって到着した。
門衛は馬車の姿が見えるとすぐに開門して招じ入れた。
「どうか美しい一年を、義母さん」
出迎えたマクシーネ夫人にユリアンが告げると、彼女も「あなたも、ユリアン」と微笑んだ。
まだモーリッツ氏が亡くなって日が浅いが、それでもマインラートが当主として在宅していることは家人に良い影響があるようだ。
頭を垂れて迎え入れる従僕たちの表情は皆穏やかとも見えた。
「マインラートは?」
「寄り子たちと雪かきをしているわ。
なにせ広い敷地だから、こんなに降ってしまうと人手が足りないのよ」
当主に雪かきをさせる子爵家は存在したようだ。
イルクナー家は騎士の見習いを育てるというその性質から、小規模ながらも演習場をも内包している。
さすがにその広さを考えると手伝おうと思うほど体力に自信のないユリアンは、手が空いたら来てもらうようマインラートに言付けて家令のヴァルターと共に彼の部屋に入った。
ヴァルターの私室は来客をも想定した造りになっており、主たる部屋からは幾分はなれていて密談にはもってこいなのだ。
マインラートが来る前に、ヴァルターと話し合うべきこともあった。
ユリアンは座卓脇の長椅子に着くと、ひとつ伸びをした。
「茶になさいますか、それとも酒を」とヴァルターが訊ねたので、「酒を、君も飲んでくれ」と応えた。
「こんな昼間から飲むとは、モーリッツ様がご覧になったらお冠だ」
笑いながらグラスと酒瓶を持ち寄り、正面の席にヴァルターが着いた。
「この部屋にはこんなものしか置いていませんが……」と開封されたのは庶民向けの穀物酒で、ユリアンも仕事の付き合いで行く酒楼で馴染みのあるものだった。
「嬉しいよ、久しぶりだ、好きなんだ」
ユリアンの言葉にヴァルターは驚いた表情をしてから目を細めた。
「それは良うございました」
「ヴァルター、マインラートの様子はどうだ?」
酒に口をつけてからユリアンは懸念事項を呟いた。
シャファトに呼びつけて話したときの様子を伺うに、決してマインラートはいつもの様子ではなかった。
なにか重大なものが欠けてしまったような、けれどそれを埋める術がないような、そんな焦燥のような危機感をユリアンは抱いていた。
きっと彼は壊れてしまっている。
その結論にユリアンは沈んだ。
「普通に振る舞っておいでです。
けれど、私も、小姓たちも気付いております。
以前のようではない。
……私の口から言えるのはそれだけです」
その言葉にユリアンは項垂れる。
そしてオティーリエを思った。
彼女も、以前のようではない。
普通に振る舞ってはいるけれど。
――彼女も壊れてしまっているのか?
それは回答を出したくない疑問だった。
「マインラートは――」
とりあえず今はそのことを置いて、話すべきことを話さなければ。
ユリアンはしっかりとヴァルターを見た。
「マンフレートとは、どのような関係だったのだろう」
ヴァルターは言葉を選ぶように視線をさ迷わせて、ここではないどこかを見据えた後、昔語りのようにぽつりぽつりと告げ始める。
その表情は楽しげでありながらどこまでも悲しく寂しげで、ユリアンはなにかを違えた気持ちに陥った。
「……本当の、御兄弟のように過ごしておいででした。
少なくとも、私の目にはその様に映っていました。
マンフレートが、戦争孤児の難民として国境線に来たのは、彼が八歳の時だと聞いています。
そして、入国し、当家イルクナーに縁あって引き取られたのは十歳の時。
その間に妹が死んでしまったのだと、後々になって人づてに聞きました。
彼は……イルクナーに来た時のマンフレートは、誰にも扱えない猛獣のようで、けれど悲しげで。
私は、自分の許す時間の限り構い倒しました。
とにかく撫でて、触って、他にどうしていいかもわかりませんでしたから。
彼が獣ではなく人間になるまで、いつまでだってそうしよう、と思い、やっていました。
そのうち、私の真似をして、マインラート様がマンフレートを構うようになりました。
時間をおかずにオティーリエ様も。
……子どもというものはすごいですね、なにか共通のものがあって、私なんかが太刀打ちできるようなものではない絆を作り上げる。
マインラート様が気にかけ始めてから、一カ月もしないで、マンフレートは会話をするようになりました。
限定された人間のみでしたが。
マインラート様と、オティーリエ様と、私です。
少ししてからモーリッツ様にも心を開きました。
わたしが構い倒している時、大抵傍で見守ってくださっていましたからね。
私に先に心を開いてくれたのは、モーリッツ様より、私の方が体が小さくて警戒しなかったからでしょう。
その後は家人の誰にお訊ね頂いても良いですよ、本当に、本当の家族のようだった。
誰の目から見ても。
……それくらい、マンフレートは、『イルクナー』だったのです」
ほろりと、ヴァルターの目を涙が濡らした。
それをハンカチで即座に拭ってヴァルターはユリアンを見た。
「シャファト伯爵、きっと私の言葉はあなたの欲するものではありません。
私には、マンフレートが離反する理由など、なにひとつ思い浮かばないのです。
私にとってマンフレートは、傷ついたひとりの子どもであり、イルクナーの寄り子です。
また、マインラート様にとっての、正に真の兄弟でした」
その瞳になにか疑いを差し挟むことなどできなくて、ユリアンはただ頷いた。
俯いて大きな息を吐いたヴァルターは、何拍か後に顔を上げて微笑んだ。
「伯爵、あなた様がこうして私にお訊ねになるのも、イルクナーとマインラート様、そしてモーリッツ様のことを思ってでしょう。
私にとって、いや、イルクナーにとってそれがどれだけ心強いことか。
あなたが、こうしていてくださることが」
ユリアンはその言葉を受けそこねて一瞬止まった。
そしてその言葉の意味を理解して、本当に自分がそのような存在であるだろうかと考えた。
それに相応しい人間であるかと。
ヴァルターの瞳は真っ直ぐにユリアンへと向けられていて、ユリアンのその不安すらも見据えているようであった。
実際そうであったのだろうと思う。
「君の信頼に応えられるように、努力しよう」
それがユリアンの示せる誠意だ。
程なくしてマインラートがやってきた。
「いい汗をかいたよ」と言う表情は穏やかだったが、その瞳はどこか虚ろに見えてしまって、ユリアンは危機感を抱いた。
「疲れているところを悪いね、マインラート。
できることはやってしまいたいんだ、時間が惜しくて。
早く決着をつけてしまいたい。
こんな状況はもうこりごりだ」
本心からユリアンが言うと、マインラートもヴァルターも深く頷いて同意した。
「手紙のことは……マクシーネ様はご存知なのか」
首を振りつつ「まだ知らせていない」とマインラートは呟いた。
「これ以上、落ち込ませたくないんだ」
それはユリアンにとってのオティーリエと同じで、「そうだな」とユリアンも呟く。
いつも微笑んでいる印象の強いマクシーネ夫人だが、息子の目から見ればそうは映らないのだろう。
オティーリエもまた、微笑みを絶やさないよう努力しているのが見て取れた。
二人の心の負担をこれ以上増やしたくはない。
近い内に知らせなければならないことは、わかっているけれども。
「マンフレートの交友関係を知りたいんだ」
マインラートの瞳がさらに翳りを帯びた。
「君にわかる範囲でいい。
なにか、この事件の全容を把握するために、取っ掛かりが欲しいんだ。
容疑者全員の背景を調べようと思っている」
「そう……だな。
そういうところから地道にやっていくのが正解かもしれない」
「フェーン家に養子に入ってからは、そちらで生活を?」
「いや、第三師団独身寮にいた。
フェーン家には週末に戻る生活をしていたようだ」
「そうか。
……フェーン家のことは、残念だった」
「……仕方ない、の言葉では済まされないと思っている。
償いは、生涯かけて行っていくよ」
マンフレートを養子に取ったフェーン家は、冬季休暇前に正式に取り潰しが決定した。
資産はそれほどない子爵家だったが、名を残すためにと迎えた子どもによって名を潰されたことになる。
会ったことはなかったが、高齢の夫婦だと聞いていた。
ヴァルターと、一時イルクナーに出向させていた元シャファト家令のフースにより、衣食住の確保はなされている。
父ヨーゼフと共にシャファトの領地へと向かったフースは、フェーン夫妻については言葉少なに語ろうとしなかった。
ただ、訊ねると痛ましげに眉を寄せただけだ。
「……会うべきかな、フェーン夫妻に」
ユリアンが呟くと、マインラートは顔を俯けた。
「私には、その勇気がない」
肯定するのも否定するのも違う気がして、ただユリアンはその肩に手を置いた。
ヴァルターはそっと席を立って、書棚から書類の束を持ってきた。
卓上で開くと、中から一枚の紙を取り出す。
「……フェーン夫妻の現在の住所です。
貴族街を出て、市民街で暮らしておいでです」
「君が手配したんだろう、よくやってくれた」
「フースさんの進言によるものですよ。
私は、どうしていいのかさえわからなかった」
力なく首を振るヴァルターからその紙を受け取り、ユリアンは内容を確認してから懐にしまった。
王都を離れないでくれたのはありがたい。
「まずは伺いを立ててみる。
……会ってもらえるかは、わからないが」
「ありがとう……ユリアン」
マンフレートは苦しげに礼を述べた。
ユリアンはもう一度その肩を叩いた。




