第四十二夜 「事例として上げるってひとこと言えば、動かないものでも動くでしょ」
「これってふっつーに人権侵害でしょ。
そっから攻めれますよ」
晩餐と言うには少々遅い時間にやってきた弁護士のオストホフ氏は、出された夕食にまさに食らいつきながらそう言った。
「そもそも被疑者の拘禁ってどういう場合になされるか知ってます? 伯爵?」
「その犯罪に関与したと確信できる合理的な根拠がある場合、逃亡や重大な犯罪を再び行う危険性がある場合、拘禁しなければ司法上の手続に支障をきたす危険性がある場合」
「なんだ、知ってるんじゃないですか。
僕必要なくないです?」
「必要ですよオストホフ先生。
知識など、活用できなければただの思い上がりの糧だ」
「そう言うあなたは思い上がることもなさそうだ。
先生なんて堅苦しい呼称はよしてください、あなたとは長い付き合いをさせていただきたいんでね。
ヨーナスで構いません、僕なんざただの教養市民層の人間です。
それに比べてあなたはシャファト伯爵だ、もっと偉ぶっていい」
「貴族位であることが偉ぶっていい理由になるとは思わないが。
ではヨーナス、お訊ねしたい、マインラートの保釈は叶うでしょうか」
「やりましょう、できます。
まずひとつ、拘禁に値する合理的な根拠がない。
ふたつ、あなたが身元引受人となることによって、逃亡や犯罪の可能性は限りなく小さくなる。
みっつ、マインラート氏の拘禁が解けたところで司法は動じない」
ヨーナスはメインの鶏肉の炙り焼きにかぶりついた。
先程から豪快な食べっぷりにユリアンは感心している。
「よっつ、これはあなたはまだ知らないかもしれませんね、伯爵。
今、国際人権裁判所を設立するために隣国フロイントリッヒヴェルトを筆頭に数カ国が動いています」
「初耳です、それはどんなものですか」
「いわゆる国際法廷です。
一カ国でまともに取り扱えないようなでかすぎる案件を扱う場所、と思っていただければいいですよ。
例えばクヴァールの難民人権問題とか。
今は下地作りの段階だが、この国も内々に設立の賛同と参画の意志を示している感じです。
そんな国が、自国内で被疑者の人権蹂躙なんて起こした日には、世界からの笑いものになりますわな。
親の葬儀にすら正当な理由なく出席させてもらえないなんて、お安くない行政国家を気取っておきながら笑っちまいますね。
事例として上げるってひとこと言えば、動かないものでも動くでしょ」
「なるほど……」
「まして、あなたの結婚式にも参加できなかったでしょう。
起訴されてもいないただの被疑者をこれだけ不当に身柄拘束しているんです、それだけでも顰蹙ものですよ。
あ、僕も見に行ったんです、結婚式。
奥さん綺麗ですね、羨ましい。
おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
「その上僕はあなたが見込んだ通りこの手の問題にとびきり明るい。
ということで大船に乗ったつもりでいてください、明日の内にどうにかしてみせますよ。
ところでこのソースは鶏肉に合っていて実に味わい深いですね」
「そうですか、おかわりを持ってこさせましょうか?」
「いやあ! 催促したみたいで申し訳ないなあ! じゃあ遠慮なくいただきましょうかね!」
「承知しました」
控えていたヴァルターがすぐに女中へ指示を出す。
柱時計の針の位置を見やり、ユリアンはヨーナスに訊ねる。
「夜も遅いことですし、本日は泊まって行かれますか? 部屋は用意できると思いますが」
「おおっ、何からなにまで! さすが噂に名高いシャファト伯爵だ、気遣いの塊のような方ですね! そこまで言っていただいてお断りするのも心苦しいのでお言葉に甘えましょうかね! そうですね、夜も遅いですからね! あとは酒でもかっくらって寝るだけですよ」
「なにかあるかい、ヴァルター?」
「先日シャファト家から送っていただいた物の中にございますよ。
醸造酒と蒸留酒、どちらがお好みですか?」
「いやあ、面目ない! シャファト家からのものなら美味いに違いない! どちらも好きでね、甲乙つけがたいなあ!」
「では蒸留酒をお持ちして。
祖父の代からシャファトで愛飲しているものなんですよ」
「なんですって、それは美味いでしょうね! ありがたい、いただきましょう!」
少々呆気に取られながらも、なんとなく、ユリアンはこの人に任せとけば大丈夫な気がしてきた。
どのみち数日の内に葬儀は行わなくてはならない。
よって、ヨーナスが言う通りマインラートの勾留執行停止の件はこれからが勝負だろう。




