第四十一夜 嘆きの声すら発せられなかった。
「義父さんが……モーリッツ・イルクナー子爵が、亡くなった」
椅子に座ったオティーリエの手を取り、ユリアンは告げた。
その言葉にオティーリエは目を見張って硬直する。
互いに言葉がなく、時が止まったようにしばらく見つめ合った。
ノックがあった。
入室を許可するとリーナスがするりと現れ、「先代様と、大奥様がお待ちです」と述べた。
「わかった」
動かないオティーリエの頬に触れる。
瞬いて、現し世へと戻ってきたその顔は、体温を失ったかのように白い。
「……立てるかい。
皆で、病院に、行こう」
おそらくその意味もよく理解できないままにオティーリエは立ち上がり、忙しない動作で部屋を出ようとする。
が、ユリアンの元に戻って来てその腕にしがみついた。
混乱するその様子に痛ましい思いがこみ上げて、抱きしめた。
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馬車内は重苦しく、誰も口を開かなかった。
話すべきことなど何もなくて、なにを言うべきかもわからなくて、それぞれ思いに沈む。
到着して扉が開かれた。
地面は一面の雪で真っ白だった。
玄関でケッペン氏が待ち構えていて、ユリアンたちを迎えると目礼をした。
「……ご案内いたします」
どこに、とは誰も訊かなかった。
聞きたくもなかった。
階上の廊下の半ばほどのところにある白い部屋。
マクシーネ夫人が背筋を伸ばして椅子に座っていた。
そこだけに色があるようだった。
言葉なく中に入る。
オティーリエは脱いだ手袋を両手で握りしめながら母親のもとに近付いた。
ベッドの足元だ。
顔を上げてオティーリエは寝かされている人を見る。
その顔は白く穏やかだ。
嘆きの声すら発せられなかった。
誰も、何も。
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遺体はイルクナー家に運ばれることになった。
イルクナーの馬車にマクシーネ夫人と共にユリアンとオティーリエが乗り込み、モーリッツ氏を乗せた病院の馬車がそれに続く。
シャファトの馬車が最後尾で、全員でイルクナーへと向かう。
ケッペン氏が最敬礼でそれらを見送った。
従僕団は全員でモーリッツ氏を迎えた。
多くの者が声を出さずに泣いていた。
こんな迎え方をするだなんて、だれが想像できた?
家令のヴァルター、ユリアン、ヨーゼフの三人で会合を持った。
イルクナーの子爵位は世襲のため、マインラートへと移譲される。
そのマインラート自身が獄中にあり、諸々の手続きができない状態だった。
家人の動揺は家宅捜索が入った時の比ではない。
ユリアンとオティーリエが一時的にイルクナーを拠点とすることで混乱回避のための策を取ろうという案が出た。
マクシーネ夫人に確認を取り、今日からでも移ってくることにする。
ユリアンはその場で弁護士のヨーナス・オストホフ氏に手紙を書いた。
法に明るい者の助けが切実に必要だった。
ユリアンも大学でいくらか学んだとはいえ、その知識を実際に用いたことはない。
これまでずっと退けられてきた勾留執行停止請求を、何が何でも通さなければ。
冬期休暇に入ってしまえば、どんな訴えも後回しになってしまう。
親の葬儀にまで出られないなど、あってはならない。
時間はなかった。
小姓のマックスに事情を伝えると、「すぐに」と一言残し、手紙を届けに走ってくれた。
母ロスヴィータが付き添って、マクシーネ夫人とオティーリエは、マインラートの面会に行くことにした。
何よりも必要なのはそれだった。
マインラートは今なにを考えているだろう。
オティーリエのように泣けもしないのだろうか。
ユリアンとオティーリエがしばらくこちらに住むと告げると、従僕たちはそれぞれに感謝を表す。
本来ならば根雪になる前にオティーリエと共にシャファトの領地視察へと行くつもりだったが、それは両親に任せた。
新領主とその花嫁の姿を領民に見せてやれるのは、雪解け頃になるだろう。
先が見えなさ過ぎて何をどうしたら良いのかユリアンにはまるでわからなかった。
今日から二人で寝室として用いるオティーリエの部屋は、昨日の今日で手つかずのまま残っていて、自分の事務的な部屋と違い柔らかい印象の女性的な部屋にユリアンの心も少しだけ凪いだ。
疲れていたのか、ベッドに上半身を投げ出すとそのまま眠ってしまったようだ。
ノックの音で目を覚まし、迎えると手紙を届けに出たマックスが返信を携えてきていた。
その場で開封して読み、「ありがとう」とマックスに伝えた。
会釈をして去る。
味方がいるというのはこんなにも心強い。
『承知しました。
今晩そちらに参りましょう。
勾留執行停止の件はいくつかの点からゴリ押しで行けると思います。
晩ごはんよろしく。
J.O』




