第四十夜 聞き慣れない異国の言葉を聞いたようだった。
幸せな時間などあっという間だった。
寄り添う温もりすら冷ましてしまう報せが翌朝入った。
微睡んでいるオティーリエを残して後ろ髪を引かれる思いで起き上がったユリアンは、手早く身支度をして遠慮がちになされたノックに応じた。
家令のリーナスだった。
その表情からなにかがあったことを瞬時に悟り、ユリアンはオティーリエの様子を確認してから部屋を出る。
「どうした」
「今しがた早馬が来ました。
――モーリッツ様が、亡くなられたとのことです」
ユリアンは表情をなくして硬直した。
聞き慣れない異国の言葉を聞いたようだった。
「……なんて言った?」
告げるリーナスの顔も色を失くしていた。
「今朝、いつもは起きていらっしゃる時間に声を掛けても返事がなく、不審に思った騎士が入室したところ、息をされていなかったそうです。
すぐに病院に運ばれ、そこで死亡が確認された、と」
あまりにも、悲しいことが、多過ぎる。
****
来週から冬期休暇で、今はその前の繁忙期だ。
当然構わず休む旨の一報を入れた。
誰に恨まれたところで知らない。
リーナスが冬季休暇二日目に予定している披露宴について「取り止めでよろしいですね?」と確認してきたので、手を振って全てを任せた。
玄関ホールで立ち尽くす使者の騎士に大股で歩み寄り、ユリアンはその儀仗服に掴みかかった。
「どういうことだ、なぜ、なにがあった? どうして? 昨日はあんなにお元気でいらした、一体どうして」
「……医師の見立てでは、心臓に負荷がかかったのだろう、と。
朝方に発作を起こされたのではないか、とのことです」
「そんな……そんな、だって昨日、昨日……」
手を離してユリアンはうろうろと歩き回った。
頭の中を忙しなく色々な考えが浮かんでは消えた。
どれもこれもまとまりがなくて、考えに悲しみが追いつかなくて、ユリアンはどうしようもないほどの自分の無力さを実感して天を仰いだ。
「……今、どちらにいらっしゃるんですか?」
「……王立総合病院です」
「……わかりました、ありがとう」
ユリアンが礼を述べると、一礼をして騎士は去っていった。
両手で目元を覆った。
これは避けようのないことだったのか? 昨日の内になにかできたことがあったのではないか? 疑問はどれもすべて取り返しのつかないこと。
そしてまだこの目で見ていないからこそ、こんなことは嘘だと思いたい。
「ユリアン……」
父の声が階段を降りてくる。
「オティーリエには伝えたのか」
「まだ、眠っています」
「では、共に居てやれ。
そしておまえから伝えるんだ」
「……ええ、わかっています」
階段を上り部屋へと向かう。
すれ違う時に父ヨーゼフが告げた言葉に、ユリアンは足を止めた。
「自分を責めるなよ、ユリアン。
時として、予見し得ないことは起こる。
誰のせいでもない」
「……ありがとうございます」
そっと部屋に入ると、先程と変わらぬ様子でオティーリエが寝息を立てていた。
ベッド脇に椅子を移動して座る。
腕を組んで上体だけ臥せて、オティーリエの寝顔をじっと見た。
安らかで幸福なひとときだった。
聞いたことを忘れてしまえればいいのに。
今このときだけを切り取って、額に入れて飾れたらいい。
やがて身動いでオティーリエが眠たげに目を開いた。
ユリアンと目が合い、少し驚いた顔をしたオティーリエは、頬を染めて枕に顔を埋める。
「いやだ、どうしてご覧になっているの」
「可愛かったから」
「もう、いやだ」
布団を引っ張って頭まで潜ってしまった。
布団ごと引き寄せて抱き上げた。
笑いながら少しだけ抵抗するオティーリエが愛しくて、抱きしめる腕に力を込める。
頬に口づけると返してきて、そのままユリアンの肩に顔を埋めてころころとオティーリエは笑った。
その髪を撫でながら、ユリアンはささやく。
「身支度をしたら……少し話してもいいかい、オティーリエ」
「はい……はい、あなた」
呼称を変えたことが恥ずかしかったのか、腕の中で真っ赤になりながらオティーリエは身動ぎする。
可愛すぎてこのままどこかに隠して仕舞ってしまいたい。
贅沢な幸せだった。
状況を考えればこんなことをしている場合ではない。
ユリアンの中でまだ起きたとされることを信じきれていない。
まずは、共に病院に行かなくては。
「侍女を呼んで来るよ」
「ひとりでできます……」
「君の侍女に仕事をあげないのかい?」
「はずかしいの……」
「……わかったよ」
ベッドに座らせて、深く口づけるとユリアンは立ち上がった。
「書斎にいるから、そちらに来て」
オティーリエは笑った。
「はい、あなた」
幸せそうに、笑った。
ユリアンはその笑顔から目を反らした。




