第三夜 「踊っていただけますか、お嬢さん」
ハルデンベルク候ご息女のエルザ嬢は、とても社交上手の賢い女性だった。
以前父と共に参加した宮中晩餐会にて面識があり、今回父宛ではなくユリアン個人に夜会の招待が届いたのはその故だ。
緩く波打った黄金の髪を結いあげ、瞳の色を薄めた緑のドレスに身を包んだエルザ嬢は、確かにこの場に咲き誇る花だった。
他の花々が色褪せてしまう。
特に探す必要もなく広い会場内で彼女を見つけると、話しかけようと右往左往している人だかりの中を、ユリアンはすいすいと泳いだ。
「お久しぶりです、エルザ嬢」
「あら、ユリアン様、御機嫌よう」
綻んだ笑顔に、取り巻いていた男性陣の幾人かが陶然となった。
「今日はわたしにファーストダンスをくださいませんか」
「ええもちろん、お待ちしていましたわ」
差し出された手を取り、ユリアンは広場の中心へと進んだ。
それを待っていたかのように音楽が奏でられ始める。
ハルデンベルク夫妻も互いの手を取り進み出た。
それにいくつかのカップルが続いた。
「助かりますよ、エルザ嬢」
いくらか他愛無い会話をしてから、ユリアンは呟いた。
「あらまあ、なあに? わたくし何をしたのかしら」
「何人断ったのです」
「今日あなたがお声がけしてくれるまでに話した殿方は、六人よ、ユリアン様」
いたずらを告白するようにエルザ嬢は言った。
「真剣にあなたを恋する者がいたでしょうに」
「そうかしら? 一度断られて退くくらいなら、真剣とは言えないのではなくて?」
「恋をすると男は臆病になるものですよ」
「あら、恋をしているようなおっしゃりようね」
「ただの一般論です」
「そこは『あなたに恋しています』と言うところよ、ユリアン様」
「ありがとう、後学になりました」
曲の終わりが近付き、交代のために緩やかなテンポになる。
先程エルザ嬢の近くにいた男の姿を目端に捉え、少しだけユリアンはそちらに歩を進めた。
「あなたのそういうところ好きよ、ユリアン様」
すぐにばれてしまったが、特に嫌がりもしないところをみると憎からず思う相手なのだろう。
男が進み出てきて、ユリアンと代わる前に、エルザ嬢は言った。
「わたくしの親しい友人が来ているの。
薄い黄色のドレスを着ているわ。
少しぼうっとしている子だから、見かけたら誘ってあげて」
「もちろん、喜んで」
緊張の面持ちの若い男にエルザ嬢の手を引き渡すと、ユリアンはまた違う令嬢の手を取った。
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十人のノルマを母に約束したユリアンだったが、八人を数えたあたりでラストダンスの曲に切り替わった。
全力で避けたところエスレーベン嬢とはかち合わずに済んだ。
今はあちらは他の相手と踊りながらこちらを睨んでいる。
涼やかにそれを流しながらユリアンは壁際に退いた。
もうこれだけ踊れば十分だろう。
すると何を考えているのか、エスレーベン嬢がダンスを中断してこちらへとやってくるのが見えた。
相手の男性が驚いて立ち呆けている。
本当になんなんだ、あのご令嬢は。
慌てて逃げようと振り返ると、小柄な黒髪のご令嬢と目が合った。
薄い黄色のドレスだった。
エルザ嬢の言葉を思い出して、咄嗟にユリアンはその前に片膝をついた。
「踊っていただけますか、お嬢さん」
曲は半ばを過ぎている。
ほんの少しだけでも付き合ってくれれば助かるのだが。
ご令嬢は薄い灰色の瞳をいっぱいに見開いてから、おずおずとユリアンの手を取った。
「ありがとう」と微笑んで、ユリアンはもう一度ダンスの輪に入った。
エスレーベン嬢が、金切り声を上げたのが背後の方で聞こえた。
誰か本当にどうにかしてくれ、あの人。
2021/05/21
「薄い緑のドレスに」を「瞳の色を薄めた緑のドレスに」に修正しました。




