第二夜 「お誘いくださりありがとう」
忙しい毎日を過ごしていると自分のことを疎かにしてしまう。
いけないと思いつつもユリアンは仕事に没頭していた。
宮廷会議の議長を務める父の背中を見て育ったからだと思う。
国の根幹に触れる仕事は楽しかった。
自分も何か役に立てているという感覚は、ユリアンの心を有頂天にさせた。
若い時期をこうして国の重要機関で働けることは、きっとなによりもの糧になる。
『七光り』と揶揄する声があるのは知っている。
けれどそれでいいじゃないか、結果わたしはこうして望む仕事に就けたのだから。
ヨーゼフ・フォン・シャファトの息子であることは、ユリアンにとってなによりも得難い宝だった。
遅くまで仕事をしていて、「もう明日にしよう」と窘められるまで朝廷で時間を過ごした。
だからある日言われるまで忘れていた。
「次のハルデンベルク候の夜会は出るんだろう?」
……ああ、出ないと母さんにどやされる。
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「わたくしと一番に踊ってくださいましね、ユリアン様」
げんなりとしてユリアンはその声の主を見た。
いつもそっと入場してもすぐに見つけられてしまう。
エスレーベン伯のご息女、レギーナ嬢だ。
今日も薄い色の金髪をこれでもかと巻き上げて、きつめの目の周りは青く縁取っている。
まずは挨拶をするのが社交というものではないか、とユリアンはため息を呑み込み、「ごきげんよう、エスレーベン嬢」と呟いた。
「レギーナと呼んでくださいましと言っているではありませんか。
見てくださいまし、このドレス」
これ見よがしに一回転してみせるレギーナ嬢に、ユリアンは頭痛を覚えた。
赤、真っ赤。
ユリアンの髪の色だ。
これはもう早々に撒くに限る。
付きまとわれて要らぬ噂などたてられたら目も当てられない。
用意していた文句でユリアンはその場を後にした。
「今日はハルデンベルク候のご招待ですからね、最初はハルデンベルク嬢に申し込みますよ」
身を翻すとレギーナ嬢が何かを喚いた。
令嬢としていかがなものか。
あの方は本当に苦手だ。
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「もてるなユリアン」
「見ていたなら助けろ」
「いやー、あのご令嬢おっかないから、近付きたくないもん」
本当に友人甲斐のない。
カイ・ヴェンツェル・ベルネットは、はしばみ色の目を楽しそうに歪めた。
「今度捕まったら、おまえの良いところを二十くらいでっちげて吹聴してやる」
「おいおい二十で収まらんだろう、わたしの良いところなど星の数より多いぞ」
「そうだな、わたしの友人は優秀だからな、きっとエスレーベン嬢もお気に召すだろう」
「やめてくれよ? あの令嬢は本当に勘弁だ」
「わたしもごめんだ」
ユリアンは苦い顔をした。
「関わりたくない」
「なんかあったのか?」
「訊くな、言いたくもない」
「いやー、そう言われて訊かないわけがないでしょ、なに、なにあったの」
「おまえみたいな口の軽い奴に言うわけがないだろう」
「えー、ユリアン、なんだよ、なにあったの、気になる、気になる」
追い縋るようにカイはユリアンの腕を引き、そっと耳元で呟いた。
「なに、誰もいない部屋に引きずり込まれて、既成事実作られそうになった?」
ユリアンは腕を捕り返して、壁際へと速足で退いた。
「……誰に聞いた」
「え、ジル。
てゆーか、皆知ってるって。
茶会で話題になってたもん、カレンベルク侯の夜会の時、おまえが悲鳴上げて使ってない部屋から飛び出してきたとか」
ユリアンは全力で項垂れた。
「普通逆じゃない?」
カイは若干同情を込めた目で言った。
ユリアンは言葉もなかった。
「大丈夫、友人の名誉を守るために、おまえのことはちゃんと擁護しといたからな」
「ありがとう」とユリアンはか細く答えた。
「いやー、ほんと、なんで最近夜会出てないのかなーと思ってたら、仕事忙しかったんじゃなくて女が怖かったってこと? 難儀だねー、もてると」
「……あんなのをもてるとは言わない、わたしの背景が欲しいだけだから」
唸るようにユリアンは言った。
肯定の意味でカイは肩をすくめた。
「で、なんで今日はきたの」
「母が最近うるさいんだ……たぶんゲオルクが結婚したから……」
「そんな急ぐもんでもないのにねー。
大変だな、一人っ子嫡男は」
次男でよかったー、とカイは言った。
「あの……ユリアン様……ダンスのお相手は決まりまして?」
横手からおずおずと声がかけられた。
今度は違う令嬢だった。
ユリアンはもう一度先程のセリフを使った。
「今日はハルデンベルク候のご招待ですからね、最初はハルデンベルク嬢に申し込みますよ。
お誘いくださりありがとう」




