第二十二夜 Niklaus Ober
「待ってください、一体何なのですか、これは」
家への連絡も許されなかった。
両脇を騎士に捕られてまるで抱えられるように廊下を行きながら、ユリアンは抗議の声を上げた。
他の部署の職員が驚いた顔で道を譲る。
王宮騎士団の第三師団が来たということは、国に関わる何かが朝廷、もしくは王宮内で起きたということだ。
そしてそれが先程聞いたばかりのニクラウスの件と関係しているであろうことは、否が応でも理解できた。
しかし全く身に覚えのないユリアンは、ただただ引きずられるようにして第三騎士団の事務棟まで連れられて行った。
途中で王宮入り口付近を通った時、「ユリアン様」と驚きの呼びかけを聴いたが、その男声が誰かは見て取れなかった。
やがてひとつの部屋に行き着き……説明なくユリアンはそこに軟禁された。
****
王太后陛下の回廊のサロンにて、エルザは行き交う社交辞令に微笑を貼り付けてそれらをいなしていた。
そこへ王宮付きの小姓が何事か近付き、膝をついてエルザへと耳打ちする。
受け取った紙きれを開いて読み、何事もなかったようにそれをエルザが胸元へと仕舞い込むと、見届けた小姓は退出した。
つ、と手に持つ扇を開き口元を覆うと、エルザは今にも儚くなりそうな表情を浮かべて、非礼を承知で他の令嬢たちと歓談する王太后殿下へと声を掛ける。
「マヌエラさま、マヌエラさま。
わたくし、とても悲しゅうございます。
友人が、今、とても辛い状況らしいのです。
とても、とても悲しゅうございます。
このように皆さまと、楽しい時を過ごすのはあまりに辛うございます。
どうか、どうか御前を失礼しますこと、お許しくださいませ」
気に入りの娘が退室するとなり、王太后は眉を吊り上げて口元を扇で覆った。
「まあ、エルザ、どうしたというのです。
こちらへ寄りなさい」
つ、と王太后は立ち上がり、社交場を抜けて私室へ続く廊下へと向かう。
他の令嬢の羨望の眼差しを受けながら、エルザはそれに静々と従った。
****
何の説明もないまま午後をいくつも回った。
昼食は用意されたが、その際にやって来た小姓に訊ねたところで何も状況はつかめない。
トイレに行きたい、と申し出れば扉の外で控えている騎士がぴたりと一緒に付いてくる有り様だった。
ただただ白い部屋に閉じ込められているだけで、仕方なしにユリアンは書棚にあった貴族名鑑や昨年の紳士録を眺めて時間を潰していた。
あれ、ジルの家の番地間違ってないかな、これ。
突如ノックされ、完全に気を抜いていたユリアンはことさら大きくびくりとした。
入ってきたのは最初の腕章の騎士と、疲れた表情の父ヨーゼフだ。
「父さん!」
立ち上がって駆け寄ると、「まあ、座れ。話さなければならないことがたくさんある」とヨーゼフはユリアンの肩を押して自らも六人掛けテーブル席のひとつに着いた。
ユリアンがテーブル上に広げていた紳士録のひとつにヨーゼフは視線を定め、おもむろにそれを手に取る。
ユリアンは言われた通りに向かい側に座り、騎士はふたりの間を審判するかのようにテーブル端に立った。
後ろから付いてきた小姓がひとりいて茶の用意を始めたので、その姿にどうやら開放されるのでは、との希望が湧いた。
「ユリアン、その右上の男を知っているか」
開いていた紳士録をユリアンの方に向けて押しやって、ヨーゼフは訊ねた。
「アルトゥル・レマー氏ですか?……すみません、記憶にありません」
「ではFの項を」
言われて開き、ユリアンはヨーゼフに向けて押しやった。
「この男は?」
ユリアン側に向けて指で示したので、立ち上がってユリアンはそこを覗き込んだ。
「マンフレート・フェーン……ごめんなさい、わかりません」
ヨーゼフは疲れた様子で紳士録を引き寄せ、ページを繰った。
そして先程と同じようにユリアンへと向けて押しやると、今度は「そのページにおまえの知人はいるか」と訊いてきた。
手元に寄せて、ユリアンは目を落とした。
どきり、と鼓動が大きく跳ねた。
Niklaus Ober
「……います」
「……どういう関係だ」
「……わたしが、財務省に内定したときに配属された、法規課の先輩です。
初期の頃、本当によく世話を焼いてくれました。
彼がいなかったら、あそこまで早く現場に馴染むことなんてできなかった。
同期はみんなそう思っているはずです。
彼は良き先輩であり、友人です」
「そうか」
どこか遠くを見るようにヨーゼフは部屋の端に目をやって、大きく息を吐いた。
小姓がすっと音もなくヨーゼフとユリアンに茶を差し出して、それを見届けた後にヨーゼフはユリアンに目を向ける。
「昨夜はその男と飲んでいたのだな。
何を話した」
断定的な言葉にユリアンは少し戸惑ったが、何も隠すような会話はしていないので、そのままに伝えた。
「わたしの襲爵と……婚約を祝ってくれました。
話したことなんて、本当にくだらないことばかりです。
法規課の誰それがどんなヘマをしたか、とか、あいつは食堂のウェイトレスの女の子を狙っているとか、俺はそれよりも掃除婦の女性の方が丸みがあって好みだ、とか。
男が集まれば始まる普通の馬鹿話です。
取り立てて、なにか特別な話などしていません」
「らしいな。
酒楼の店員たちも同様のことを言っている」
しらふのときにそれを言われるのはキツい。
やっぱり聞かれていたのか。
「他になにか思い起こせることはないか、何でもいい」
言われてユリアンは逡巡したが、すぐに思い起こして息を吸った。
「……オティーリエを、幸せにするように、と。
その手を取ったのだから、離すな、と。
そして、わたしも幸せになるように、と」
長い沈黙が落ちた。
「そうか」
ヨーゼフは思い出したように茶に手を伸ばし、口をつけてから深い息をひとつ吐く。
ユリアンも茶を口に運んだ。
「エルザ・フォン・ハルデンベルク嬢に感謝だな、ユリアン。
どうしておまえの状況を知ったのかはわからないが、王太后陛下に陳情してくださった。
第三師団に下命があって、おまえの無実を晴らすことが最優先になった。
帰れるぞ、喜べ」
「えーと、エルザ嬢が? それと、一体わたしはなんでここに軟禁されたのです? 一体何が?」
「それは私からご説明しましょう」
ずっと見守っていた騎士が告げた。
「名乗り遅れました、王宮騎士団第三師団所属、シュテファン・ホルンガッハーと申します。
今後もあなたを担当することになるでしょう。
今回の件はご同情申し上げます。
現在の結論から申しますと、あなたは巻き込まれたに過ぎない。
シャファト議長が挙げられた人物三名は、先程全国指名手配の処置が取られました。
トラウムヴェルトに対する間諜容疑がかけられています」
「間諜……?」
聞いた言葉と、自分の口から出た言葉が、どうにも理解できなくてユリアンは立ち上がった。
「なんですか、なんの冗談ですか? 間諜? なんていう三文小説ですか。
え、なんだっていうんです? ニックが? 彼が何をしたっていうんです」
笑いすらこみ上げてきて言うユリアンに、ホルンガッハー氏は言葉を飾ることなく告げた。
「そもそも、この国の人間ではない可能性があるのですよ。
現在調べを進めています。
国内の内通者と共に、機密情報を国外へ持ち出していました。
彼らがしていたことは、トラウムヴェルト国の転覆すらありえる重罪です」
ユリアンは表情を失った。
ホルンガッハー氏の強い瞳は、ユリアンを刺し貫いて動けなくした。
ユリアンは立ち尽くした。
泣くことすらできなかった。
2019/12/02
「第三騎士団」を
「王宮騎士団第三師団」に修正しました。
「皇太后」を
「王太后」に修正しました。
2019/12/25
「王太后殿下」を
「王太后陛下」に修正しました。




