第69話 一夜が明けて
弓坂の通報を受けた警察官が廃工場に駆けつけてきたのは、午後七時すぎだった。
警官のおっさんたちはどたどたと足音を立てて、エントランスから早急に駆けてきた。けど二階に上がると「あれ?」と言いたげに足を止めて、平然と立ち尽くす俺や上月をしばらく不思議そうに見ていた。
中越と仲間のヤンキーたちに俺たちがやられているんだと思い込んでいたんだろうな。けど現場で倒れているのはヤンキーたちだっだから、警官のおっさんたちが驚くのも無理はない。
「きみたちは、通報してきた女の子のお友達かな?」
「はい」
四十代くらいの、交番の所長っぽい人から誰何されたので、こくりとうなずく。
おっさんは俺の身体を上からさっと見回す。俺に敵意がないのを確認して、後ろの上月と山野に目を向ける。ふたりにも異常はないようだ。
その傍らで他の警官がヤンキーたちを手荒く起こして、外へと連れていくのが見えた。中越もいっしょに連れていかれたみたいだ。
「じゃあ、お腹も空いてるだろうから、話は署で伺ってもいいかな?」
「はい」
おっさんの意外と丁寧な応対に従って、外のパトカーに乗り込む。弓坂がヤンキーたちの人数を多めに伝えていたのか、パトカーは五台も停まっていた。
その後は早月警察署に連れていかれて、喧嘩になった経緯と中越との関係について根掘り葉掘り聞かれた。
一方で、俺個人については一言二言の質問だけで終わった。
中越の悪名は、どうやら警察署でもかなり有名になっているようだった。おっさんから聞いた話によると、中越が学校の外で問題を起こすたびに親父が出張ってたみたいだから、警察署でも頭を悩ませていたらしい。
警察まで翻弄するのって、相当だよな。中越が嫌なやつだという俺の洞察は、もののみごとに的中していたのだ。
それはともかく、やっぱり意外だと思うのは、今回は中越の親父が一切出張ってこないということだ。
その裏には弓坂の謎の力がはたらいているみたいだけど、弓坂は、あいつは一体何者なんだろうな。
あの遅口の、いつもにこにこしながら俺たちの話を聞いて喜んでいるあいつが、どうやって中越の親父を説得したのか。
――中越先輩のお父さんと、あたしのお父さんは知り合いなの。
あいつはスマートフォンの受話口の向こうで、そう言っていた。それ以来あいつからの連絡はない。
電話してたしかめたかったけど、警察署内で電話なんてとてもできないし、上月のおばさんや山野の親父さんまで呼び出されたみたいだから、弓坂に電話するタイミングなんてとてもつくれなかった。
そういえば、山野の親父さんを見たのは今日が初めてだったんだ。
山野の親父さんは、スーツに身を包んで首にネクタイを巻いた、いかにも頭の固そうなサラリーマン姿で登場した。髪を少し染めている山野とは正反対だったから、かなり意外だと思った。
髪の薄い頭に顔は終始しかめっ面で、無表情マシンの山野よりも近寄りがたかったから、俺は一言も会話できなかったな。雰囲気としては妹原の親父と似てるかもしれない。
山野もこの人とはあまり仲がよくないみたいだ。顔を合わせてもほとんど口を利いていなかったから、好きじゃないんだろうな。――いや、そんなどうでもいい描写に頭をはたらかせている場合じゃない。
世間的に、今日の出来事は暴力事件として処理されるみたいだ。だから当然、学校にも連絡されちまったらしい。
俺たちは中越の被害に遭っただけだから、俺たちに非はない。けど事件の当事者であることに変わりはないし、正当防衛といえども相手のヤンキーたちを殴っているわけだから、きみたちは何も悪くありませんよ……とはならないようだ。
学校からまだ正式な通知は届いていないが、中学生の宮代も含めて一週間の停学は免れないだろうというのが、話をしていた警官の見解だった。
暴力事件、か。
警官から冷然と宣告されて、はじめてとんでもないことをしてしまったんだということに気づかされた。
地味で学校の渡り廊下や階段を当たり障りなく歩いていた俺なのに、まさかこんな大きな事件の当事者になっちまうなんて、数ヶ月前じゃ想像すらできなかった。
高校に入学して、俺をとりまく運命という微風が、太平洋の向こうから近づいてくる低気圧に影響されて、少しずつ強く、そして猛々しい青龍へと変貌して……いや、意味不明な語彙を並べるのはここで止めておこう。というか、青龍とかを持ち出してくるあたりが、なんだか中二っぽいぞ。
環境が微妙に変化していても、俺の思考と精神年齢はまるで成長していないんだな。残念ながら。
* * *
警察署の事情聴取が終わって帰宅できたときには、すでに十時をまわっていた。
うちに帰ると、今まで張り詰めていた神経がぷつりと途切れて、緊張もすぐに解けた。すると身体に蓄積されていた疲れが一挙に襲ってきた。
ダメだ。今日は帰ったらだらだらテレビでも観ていようかと思ってたけど、何もする気力が沸かない。
俺は玄関の扉に鍵をかけることも忘れて、リビングのソファに突っ伏した。肘掛のカバーに頭を乗せて、反対側の肘掛に脚を伸ばしていたけど、気づかないうちに寝落ちしていたらしい。気づいたときには日付が変わっていた。
気だるい身体を起こして、リビングのカーテンを開けてみる。外はまだ真っ暗で、星のない夜空が重く圧し掛かっている。
寝てたのは少しの間だけだったのか。そう思って壁掛け時計を見上げると、時針は四時をさしていた。
寝落ちどころか、がっつり熟睡してたみたいだ。
腕を動かすと、打撲している肩がずきりと痛む。昨日の暴力事件は夢だと思いたかったけど、身体はそんな怠惰を許してくれないようだ。
明日――いや、日付が変わっているから今日だけど、今日は金曜日だから、いつもなら学校に行かないといけない。けど今日の朝に学校が連絡をよこしてくるはずだから、今日は学校を休めと警察に言われている。
暴力事件が起きた以上、学校としても俺たちに何かしらの処罰を下さないといけないから、その判断までに少し時間がかかるみたいだ。
学校を休めるのは嬉しい。けど、こんなずる休みは一度も体験したことがないから、休めても全然嬉しくない。
うちの高校に名残り惜しさはないけど、退学はしたくないよな。そう思うと、血気に逸ってしまった自分の愚かさを悔いずにはいられなかった。




