第65話 不気味な廃工場に突撃
駅でタクシーをつかまえたちょうどそのときに、宮代からアプリケーションで位置情報が送られてきた。タクシーに乗りがてら、送られた住所を運転手に伝える。
「ええっ!? 住所なんて言われたって、ちょっと困るよぉ」
運転手のおっさん――頭が真っ白の、かなり年配のじいさんだ――は、行き先を住所で告げられると思っていなかったのか、乗客である俺にタメ口で不満を言ってくる。
住所で言われるのがなんで困るんだ。カーナビに住所を打ち込めば済む話だろ。
「あの、工場の方なんですけど」
「工場って、早月の工業団地の方?」
「そうです」
なんで俺が縮こまって丁寧語で話してるんだ? とか、そんな心底どうでもいい懸念に疑問を浮かべている時と場合じゃないんだよ! いいから早くカーナビに住所を打って、すぐにでも車を発進させてくれ。
「工場の方って言われても、どの工場に行けばいいのか、わかんないしねえ」
けど運転手のおっさんは何が納得できないのか、ぶつぶつと小言をつぶやいて一向に出発してくれない。
ああもう何やってるんだよ!? こんなにだらだらしてたら、上月が中越に襲われちまうだろうがっ。
堪らなくなって、俺はカーナビを指さした。
「ナビに住所を入力すれば、その場所までルートが出るでしょ。そこに早く行ってくださいよ!」
「ええっ、いちいちカーナビに入力しなきゃいけないの? おじさん、カーナビはほとんどつかったことないんだよなあ」
ないんだよなあ……じゃねえよ!
俺は助手席に移動して、ダッシュボードについているカーナビをおっかなそうにいじるおっさんの手を払いのける。
左上にメニューボタンがあったから、それを適当に連打する。メニュー画面らしきものが前面にあらわれて、一覧の五行目に『住所の入力』と書かれているのが見えた。
「おにいさん。操作するのうまいねえ」
「あの、ちょっとだまっててもらえます?」
つかえないおっさんを冷然とだまらせて、宮代から送られた住所を手早く入力する。
入力を終えて決定ボタンを押すと、目的地が表示されて女性の機械的な音声がスピーカーから聞こえてくる。
目的地までのルートが赤い線で示されて、走行距離と到達時間が右上に表示された。どうやら十二分で到着できる距離のようだ。
「じゃあ、ここまでお願いします」
「はいよー」
おっさんが右のウィンカーを出して、車を出発させる。後ろの席では山野が無言でスマートフォンを操作している。弓坂にメールでも送っているのだろう。
* * *
タクシーに送り届けられた先は、工業団地の端に建設されていた廃工場だった。
俺と山野の予想はものの見事に当たっていたのか。高いタクシー代を山野と泣く泣くカンパして、俺はタクシーから降りた。
目の前に広がる廃工場は、夜のドラマや特撮系のアニメによく出てきそうな、かなり薄気味悪いところだった。あたりを漂う空気は負の力が充満していて、退廃的で悪質な佇まいしか感じられない。
火曜サスペンスドラマの犯人が人を拉致するときにしばしば利用しそうな場所だが、こんな怖い場所に上月はさらわれちまったのか。
人気のない施設から、禍々しい瘴気みたいな何かが放出されているような気がする。手入れされていない建物や煙突はところどころが錆びていて、その陰から透明な精神的物体が出てきそうな感じだった。
こんなところで複数人の男に襲われたら、あの上月でもひとたまりもないはずだ。急いであいつを探し出さないとっ。
「よし、行くぞ!」
「八神、ちょっと待て」
そこで山野がなぜか俺の肩をつかんで俺を引き止める。
なんだよ。まさかと思うけど、あいつらにビビってるのか?
「あの連中に指示を出したのは中越かもしれないが、やつと喧嘩にでもなったらどうするんだ?」
「どうするも何も、ぶっ飛ばすしかないだろ?」
俺が若干苛立ちながら返答すると、山野は腰に手をついて嘆息した。
「まさかと思うが、お前、ビビってるのか?」
「そうじゃない。中越のバックにだれがいるか、忘れたわけじゃないよな?」
そうだ。中越は、政治家ともつながりを持つという社長の息子だ。そんなやつに手をあげたらどうなるのか、そんなことは三歳児だってわかるはずだ。
「もしやつと喧嘩になって、親父の力を使って仕返ししてやろうということになったら、どうするんだ? うちの学校にいられなくなるかもしれないんだぞ」
山野のこの忠告は、大げさなんかじゃない。現に中越に逆らって、うちの高校を退学させられた生徒がいるんだから。
中越が本当にそこまであくどいやつなのだとしたら、やつの報復は充分に憂慮すべき事柄だ。
だがな、だからといって上月を見殺しにするわけにはいかないんだよ!
俺は拳をにぎりしめて山野に言った。
「たしかに、あいつに手を出したらやばいかもしれない。けどな、ここまで来て、じゃあもう帰ります、っていうわけにはいかないだろ!?」
「しかし――」
「退学が怖いんだったら、お前は帰れ。俺ひとりでなんとかするから」
縮み上がる心に鞭を打ちくれて、開け放たれている門を通過する。山野は、いつもの無感情な仮面をつけて俺についてきた。
守衛のいないゲートを越えて、建物の並ぶエリアへと足を踏み入れる。近づくにつれて、とてつもない恐怖と緊張感が心にあふれ出す。
「上月ぃ! どこだっ!?」
声を張り上げて叫んでみるが、当然ながら応答はない。
この廃工場のどこかにいるのは自明の理だが、工場といっても土地は広いし、建物もいくつか建っている。この中から上月を探し出すのは意外と難儀だ。
何も考えずに捜索していたら、タイムオーバーで手遅れになりかねない。
建物を片っ端から探すんじゃダメだ。なら、どうしたらいい? どうやったらあいつをすぐに捜し出せる?
考えろ。持っている知識と経験を高速でスキャンして、最適な方法を導き出すんだ……!
制服のポケットからスマートフォンを取り出して、画面のロックを手早く解除する。位置情報をさっき特定したように、電子機器とアプリケーションを駆使すれば、デジタルで効率的な方法を導き出すことができるんじゃないか?
「上月を捜すんじゃないのか?」
「ちょっと待っててくれ」
不審がる山野を制して、デスクトップに整列するアプリケーションの色とりどりのアイコンを端から見回す。
たしか、地図を表示するアプリケーションにはルートを探索する機能がついていたはずだ。さっきのカーナビと同じで。
左下に置かれていた地図のアプリケーションをクリックして起動させる。
バックグラウンドで起動してある無料通話アプリから目的地の住所をコピーして、地図アプリに画面を再度戻す。
画面の上部にある入力ボックスにカーソルを合わせて、コピーした住所を貼り付ける。
そして検索ボタンを押して、画面の下に出てきた住所をクリックしたら……できた! 上月の居場所まで一本のルートが青い線で出力された。
「マップのアプリでそんなことまでできるのか」
山野がメガネをずり落としそうな感じでまた舌を巻く。こいつはゲームと同様に機械が苦手なんだろうから、こういう機能があることを知らないんだろうな。
「建物を虱潰しで捜したら効率が悪いだろ? そんなときはアプリに頼ればいいんだよ」
アプリケーションの画面を最大まで拡大させて、目的地の詳細な地点を調べあげる。上月がいるのは向こうの二号棟のようだ。
「上月がいるのは二号棟だ。行くぞ!」
「了解した」
スマートフォンをしまって二号棟へと一気に駆け抜ける。
開けっ放しのエントランスは、かなり荒れすさんでいた。床は砂埃で汚れて、コンビニの使用済みのビニール袋やスナック菓子の空袋がポイ捨てされている。まるでゴミ屋敷みたいだ。
白のコンクリートの壁には、スプレーで描かれた落書きの鮮やかな色彩が目に付いて、かなり鬱陶しい。ポップな絵柄のキャラがいたずらするように舌を出しているのも鬱陶しさをさらに足している。
上月をさらったやつらが調子に乗って描いた落書きなんだろうな。こういうところに平気で落書きするやつの心境が、俺には到底理解できない。
ふざけた落書きを越えて、工場内のフロアへと足を踏み入れる。ここは製紙工場だったのか、俺の背丈の二倍もの高さの機械のまわりに、A4のうす汚れた白紙がむちゃくちゃに散らかっている。
機械のまわりには黒のインクの跡がついて、機械の下から巨大なポスターくらいのサイズの紙が上に向かって伸びている。
どこにあるかわからない起動スイッチを押せば、すぐにでも動き出すんじゃないかと思える感じに機械は停止している。それなのに、なんでこの工場はつぶれてしまったんだろうな――などと廃工場に想いを馳せている場合じゃない。
一階に上月たちの姿はない。けれど、奥のアルミの階段の先に黒のパーカーを羽織った男の後ろ姿が見える。
――いた!
心臓の鼓動がみるみる高まっていくのがわかる。普段のビビリの俺だったら、こんな怖ろしい場所に自ら足を踏み入れたりしないだろう。
けど今は、絶対に引くわけにはいかないんだよ!
「上月っ!」
俺は恐怖をふり払い、全身の力をしぼって叫んだ。




