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第53話 上月についに怒り爆発

 当初は恋愛相談をするつもりで山野を呼んだが、大体のことは学校の昼休みに話しちゃったから、家でまったりしていると話すことがないな。


 しかし密室で男二人がだまっていてもゲイみたいで気持ち悪いので、その後はふたり用のゲームをやったり、コンビニで適当に弁当を買って夕飯を食べたり、目的もなくだらだらしていた。


 山野を一生懸命歓待しても意味がないから、普段と変わらずに過ごしていたわけだが、夕飯を食べた後でアイスコーヒーをわたしてやると、山野が感慨深げに、


「一人暮らしって自由でいいな」


 そんなことをぼそりとつぶやいた。


「そりゃあ、親がいねえからな。その代わりと言っちゃ何だが、掃除と洗濯は面倒だぜ」


 飯は上月がたまにつくってくれるが、掃除と洗濯は絶対にやってくれないからな。


 おばさんから小遣いをもらってるんだから、掃除と洗濯もたまにはやってくれよと、ためしに言ってみるか? いや、やめておこう。怒られるのは目に見えているからな。


 山野はテーブルに置かれたテレビのリモコンをとって、チャンネルを適当にまわす。


「家事が面倒なのもそうだが、家にだれもいないのは苦痛じゃないのか?」

「どうだろうな。最初は寂しいと思ってたかもしれないけど、学校に行けばお前や弓坂がいるし、上月みたいにうるさいやつも身近にいるからな。別にいいんじゃないか? その辺は気にしなくても」

「そうか」


 山野がリモコンをそっとテーブルに戻す。


「一人暮らしをするとホームシックになるやつが多いのかと思ってたが、お前みたいに図太いやつも中にはいるんだな」


 ホームシックも何も、ここが俺んちだからな。身寄りがないから、ここを追い出されると他に行く宛てがないのだ。


 だからといって特別に寂しい思いをしているわけでもないから、心配は無用だ。


 会話が途切れて、テレビに映っているクイズ番組に目を向けると、玄関のドアの開く音がした。


 ん、だれだ? こんな時間に不法侵入してきた輩は。だが該当者は、俺が知るかぎりひとりしかいない。


「透矢、いる?」


 案の定、玄関から聞こえてきたのは上月の声だ。……あのバカ、今は山野がいるっていうのに、暢気にあがってくるんじゃねえよ。


 山野に目を向けると、メガネのレンズがきらりと光った。


「よお」


 先制攻撃とばかりに山野が挨拶すると、リビングにあがってきた上月の顔が途端に険しくなった。


「なんで、あんたがいるのよ」


 今日の上月は、首もとの大きく開いた赤紫色のカットソーを着ていた。露出している右肩には黒のタンクトップが見えて、生意気にも色っぽさを演出している。


 ジーンズ生地のショートパンツからは細い生足がすらりと伸びて、俺の男心を過分に刺激する。


 髪は普段通りに下ろしているが、メイクは相変わらずしているのか、顔には薄いファンデーションがかかっていて、目もとにもわずかにハイライトが入っている。


 毎度のように思い悩んでいることだが、見た目だけは極上なんだよな。こいつは。そこだけは妹原にも負けていないと思う。


 性格が悪すぎるところさえ完治してくれたら、俺はどれだけ救われたことか。……いやだから、こいつのことは好きじゃないんだって。


 こんなことを考えていたら、俺が上月のことを好きだと勘違いされるじゃないか。……違う。それは断じて違うんだ。


 ――なんていうことを内心どぎまぎしながら考えているとなりで、山野は平然とテーブルに肘をついて、


「八神に誘われたからだが、悪いのか?」


 少しも悪びれずに上月に言い返した。


 上月はすぐに俺をにらんで、なんであんたあたしにメールしないのよお陰で恥かいちゃったじゃないのと、俺にすかさず責任をなすりつけてくるが、そんなの知ったことか。


 中越なんぞにうつつを抜かしているやつのことなど、俺は知らん。


「なんか用かよ」

「別に。今日はサッカーの試合があるから、来てあげたのよ」


 来てあげたってなんだよ。お前が個人的にサッカーの試合を観戦したいから来ただけだろ。


「じゃなかったら、臭いあんたんちなんてだれも寄りつかないわよ」


 うるせえ。わざとらしく肩とか竦めやがって。だったら来んじゃねえよ。


 だが山野は、上月の遠まわしな嫌味を涼しい顔でスルーして、


「そういえば、今日は日本代表の試合があるんだったな。他に観るものはないし、チャンネル変えてもいいよな?」


 気を回して俺に提案してきた。


 山野がテレビのリモコンを操作してチャンネルを変える。すると青い芝生がスクリーンの全面に映し出された。


 日本代表の選手たちはまだコートに入場していないから、試合はまだはじまっていないようだ。


 ナレーターの簡潔な解説によると、今日はイラクと戦うらしい。イラクの強さが世界的に考えてどのくらいになるのかは全然知らないが、解説を聞くかぎりだとかなり厳しい試合になるみたいだ。


「透矢。いいから早く麦茶もってきてよ」


 上月は山野の向かいに座ると、当たり前のように飲み物を要求してくる。


 なんで俺がお前のウェイターにならなければいけないんだ。だが、そんなことを言ったら滝のように反論されて面倒だから、だまって麦茶を入れてやるしかない。


 俺がキッチンに向かうと、山野が上月に言った。


「八神のうちに入り浸っているというのは前から聞いてたが、本当だったんだな」

「うるさいわね。いいでしょ別に。近所なんだから」


 いやよくないだろ。相手が山野だったからよかったが、木田や桂にばれたら、俺たちの関係をクラス中に言いふらされちまうんだぞ。


 仕方なく三人分の麦茶をコップに注いでリビングに戻る。すると選手の入場が終わって、お互いの国の国歌斉唱がはじまっていた。


「今日は脇谷わきたにの替わりに大住おおすみが出てるのね。いいじゃない」


 上月が日本代表のフォーメーションを見てほくそ笑む。


 すると不意にメールの受信音が部屋に響いて、上月がポケットからスマートフォンを取り出した。淡く照明された液晶画面を人さし指で操作して、やがてメールの返信でもするのか、いそいそと指を動かしはじめる。


 ち、中越の野郎にでも返信してるのか? そう思うとテレビのチャンネルをすかさず変えたくなってきたな。


「ところで、中越先輩とはうまくいってるのか?」


 山野も俺と同じことを想像していたのか、不意に上月に尋ねる。すると上月は指を止めて、むっと山野に顔を向けた。


「さあ。普通じゃないの?」

「その中越先輩だが、いい噂をあまり聞かないぞ。そんなやつと付き合っても平気なのか?」


 山野が俺の想いを図ったように代弁してくれる。お前は本当にタイムリーでナイスな男だよ。


 思わぬ苦言に上月は言葉を詰まらせたが、なぜかちらりと俺の方を見て、


「別に。あたしがだれと付き合ってもいいでしょ」


 付き合ってる……!? って、おい!


「付き合ってって、もう彼氏彼女になったのか!?」

「まさか。会ってまだひと月も経ってないんだから、そんな関係になるわけないでしょ」


 なんだよ。何を言うのかと思ったら、フェイクだったのか。驚いて失神しちまうところだったじゃないか。


「まあ、告白みたいなことはされたけどね」


 上月は俺のどぎまぎした気持ちが手に取るようにわかるのか、せせら笑うように言い放つ。この野郎……。


 こいつは、俺が心配しているのを知っていて、わざとからかっているのだ。俺の存在価値なんてきっと、飴玉一個分くらいしかないんだから。


 そんなことを思うと、腹の底で沸々と煮えていた怒りが、噴火したマグマのようにどばっと沸き上がってきた。


 俺はどうして、こんなやつのためにあちこちで調べまわって、聞きたくもない話を学校の同級生から聞いているのか。


 これじゃあ、バカみたいじゃないか。こんなどうでもいいやつに弄ばれているのに、そいつのために俺は陰でせっせと作業して、バカみたいに真面目に心配して。


 ふざけるんじゃねえ。こんなになめられて、だまっていられるか。俺はこいつの奴隷じゃないんだぞ。


 こんなやつの精神的快楽のためにむざむざと利用されてたまるか!


「だったら、付き合っちまえばいいだろ」


 俺が怒りを抑えながらつぶやくと、上月は目を細めて俺に侮蔑に視線を浴びせてくる。


 そして何を思ったのか、したり顔で嘲笑して、


「あっそ。じゃああんたの要望に応えて、先輩と付き合っちゃおっかな――」

「うるせえな! だから付き合っちまえっつってんだろ!」


 怒りが最高潮に達する。気づくと俺は、テーブルを拳で思いっきり叩いていた。


 テーブルに置いたコップが衝撃で横に倒れる。七分まで入れていた麦茶がこぼれて、テーブルの上を茶色く汚す。


 リビングはしんと静まり返った。激怒した俺に上月は絶句して、テレビに目を向けていた山野も驚いて俺の方を向く。――表情は少しも変えないまま。


 テレビのスピーカーから、前半のキックオフを知らせるホイッスルの音が鳴る。上月が待っていた試合がはじまったが、それを見ているやつはひとりもいない。


 ……やってしまった。


「なんで、怒ってるのよ」

「知らねえよ。……お前が、変なこと、言うからだろ」


 場の冷たい空気に怒りが冷やされて、どうしようもない焦燥感が心に広がっていく。身体中から冷や汗が大量に分泌されて、火照った身体を急速に冷ましてゆく。


 感情にまかせて怒号するなんて、俺は一体何をしているんだ。山野だって引いてるじゃないか。


 せっかく今日は遊びに来てくれたっていうのに、自分から嫌われることをして、俺はバカだ。


 サッカーの中継しか聞こえない部屋の空気が、重い。でもなんとか弁明しようにも、頭が混乱して言葉がひとつも出てこない。


 いたたまれなくなって俺は、おもむろに立ち上がるしかなかった。


「ちょっと! あんた、どこに行くのよ」

「知らねえよ。頭に血がのぼったから、冷ましに行くんだよ」


 上月は今さらになって真顔で心配してくるが、遅いっつうの。お前の顔なんざ、もう見たくねえ。


 上月を無視して玄関に向かうと、今度は山野が後ろから声をかけてきた。


「俺も帰った方がいいか?」

「いいよ、別に」

「だが――」


 山野も心配してくれているみたいだけど、今は会話なんてしたくねえんだ。だから、放っておいてくれ。


 俺は振り返って上月をめつける。その流れで山野に言った。


「俺はサッカーなんて興味ねえから、お前らで見てろよ。じゃあな」


 今できる精一杯の虚勢を張って、俺は静まり返るリビングを後にした。

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