第48話 透矢のひそかな応援者
上月に見つからないように電車の後ろの車両に乗って、あいつに気づかれずに帰宅することができた。
リビングのソファに鞄を置いて、そのとなりにもたれかかるように座る。壁掛け時計を見上げると十八時をまわっていた。
今日は上月から連絡が来ていないから、夕飯のコンビニ弁当を調達してこなければならない。けど身体がぐったりと疲れているから、コンビニに行くのは面倒だな。
キッチンの下の棚に買い置きのカップ麺があるから、今日はそれで我慢しよう。
キッチンの電子炊飯器のとなりに置いたポットの取っ手をとって、ポットの中の水を取り替える。ポットの差し込みプラグをコンセントに差し込むと、止まっていたポットが「ごごご」と音を立てはじめた。
キッチンの棚を開けて中を物色すると、買い置きのカップ麺はふたつ置かれていた。通常のスナック麺のタイプと、天ぷら蕎麦のタイプのふたつ。
今は蕎麦の気分じゃないから、通常の醤油味の方を選んで、カップ麺の薄っぺらい紙の蓋を開ける。
ポットのお湯が沸騰したところでカップの中にお湯を注ぎ込む。一人暮らしでカップ麺を食べていると、身体の健康は問題ないのだろうかと妙に心配になってしまうけど、それはいささか心配しすぎだろうか。
カップ麺と箸を持ってリビングへと移動する。テレビの電源をつけながらカップ麺の蓋を開けて、いただきます。
俺はカップ麺を食べるときは三分間も待たない主義なので、一分待った程度ですぐに中をかき混ぜてしまうのだ。
麺がまだ柔らかくなりきっていないくらいが一番おいしいと思うのだが、それは俺だけか? 山野や木田あたりに今度アンケートをとってみようか。
テレビに映っているのは、夕方のニュース番組だ。今日起きた殺人事件やら政治の問題が放送し終わって、今は主婦向けのデパ地下の特集をやっているようだ。
そんなものを観てもつまらないのでチャンネルを替えてみるが、裏番組も同じようなものしか放送していないな。
別の番組で子供用のアニメが放送されていたので、そのチャンネルで止めてひとり静かにカップ麺をすすった。
作業が一段落すると、上月のこととか中越のことが頭をよぎる。
こういうとき、一人暮らしって嫌だなって思う。
親や兄弟が入れば、そいつらと話でもして気を紛らわすことができるけど、ひとりだとそうはいかない。
俺の話し相手になるのは学校の友達か、ネット上のつながりの浅い知り合いになるが、彼らに気兼ねなく話すことはできない。ふとしたことで口げんかになったら大変だ。
そういうときこそ、上月と下らないことで悶着を起こすとかなり気を紛らわせるのだが、今の上月にメールの一通なんて送れるわけがない。
二分で食べ終わったカップ麺の空の容器をキッチンに置いて、リビングのパソコンに手を伸ばした。こういうときは愛用のパソコンに頼るしかないな。
一分くらいでパソコンが起動して、WEBブラウザのアイコンをクリックする。ブックマークのメニューからとある小説サイトのタイトル名が書かれたメニューをクリックして、そのサイトにログインした。
ゴールデンウィークの頃から、俺は小説を書きはじめた。
妹原はオーケストラ奏者になる夢を目指して、音楽のレッスンを毎日がんばっている。そして山野も美容師になるために、同じ頃に美容室でアルバイトをはじめた。
友達が夢に向かってがんばっているのに、俺はどうだ。学校の成績こそいい方だが、とくにこれといった夢もなく、毎日をだらだらと無為に過ごしている。
これでは妹原に顔向けなんてできないんじゃないか。
それで、俺は前からゲームのシナリオや物語を妄想するのが好きだったので、思い切って小説を書きはじめたのだ。
とはいえ小説の知識なんて皆無だし、小説を読んだこともほとんどない。市販のラノベを数冊読んだことがある程度だ。
まあダメだったら諦めればいいし、そもそも大した成果が出なくても俺はかまわない。ゲーム以外の他に熱中できるものがあれば、俺の心に溜まった鬱積や焦燥感をある程度晴らすことができるのだから。
サイトにログインして、ユーザのトップページを眺める。俺のユーザ名は『杜預』で、投稿した小説のタイトルは『曹魏末期にトリップされてしまいました』だ。
……先に断っておくが、批判や反対の意見は聞かないぞ。
解説すると、杜預という人は中国の三国時代に実在した武将で、『破竹の勢い』の語源を生み出した人だ。また国語の漢文の問題でよく出てくる杜甫の先祖にあたる人らしい。
俺はパソコンで歴史のシミュレーションゲームをやるほど歴史が好きだ。――と言っても好きなのは日本の戦国時代と中国の三国時代だけだが。
そんなわけで三国志をモチーフにした異世界トリップものの小説を書きはじめたのだが、お気に入り登録数はたったの二かよ。昨日から件数が全然変化していないぞ。
小説のアクセス数も念のために見てみるが、昨日のページアクセス数が二十二で今日のアクセス数はたったの八かよ。……こんなんで本当に人気出るのかよ。早くも執筆する意欲がなくなってきたぞ。
執筆する気力が早くも奪われてしまったので、そのまま何もせずにログアウトしようと思ったら、左上に赤の太字で『新着メッセージがあります』と書かれていた。
サイトの底辺作家である俺にメッセージを送ってきた物好きは、一体だれだ? 少しドキドキしながらクリックすると、メッセージの差出人に『リネン』と書かれていた。
だれだこの人。全く面識のない人だ。
俺はツイッターや他のSNSにもユーザ登録をしているけど、そちらの知り合いでもこの人のユーザ名やIDは見たことがない。
とりあえず送ってもらったメッセージを見てみよう。ブラウザのスクロールバーを操作して画面を下げてみた。
× × ×
小説を読みました。すごく面白いです!
杜預さんは中国(ですよね?)の歴史に詳しいんですね。
これからも更新がんばってください! 応援してます!
応援してます、かあ。
たった三行のメッセージなのに、心がホクホクに温まってしまったぜ。
リネンさんって、一体どんな人なんだろう。横文字のユーザ名だから、もしかしたら超可愛い女子高生だったりして。
いやいや、何を考えているんだ俺は。いくら嬉しいメッセージを送ってもらったからって、浮気なんて断じてしてはいけないぞ。
でも応援メッセージをいただいたのだから、返信はちゃんとしないといけないよな。
うん、そうだ。相手が仮に女子なのだとしても、送ってもらったメールに返信をするのは人としての礼儀なのだから、俺が今からしようとしていることは、浮気でも厭らしい気持ちでもなんでもないんだぞ。
俺は自分に対する言い訳を色々と考えつつ、逸る気持ちを抑えてメッセージを返信する。そして都合よく盛り返した執筆の意欲にまかせて、小説の続きを書くことにした。




