第196話 妹原は上月の気持ちを知っていた
「なあ。俺はどうしたらいいと思う」
弓坂に聞いてはいけないことだけど、言葉がぽろりと出てしまった。
『あたしには、わかんない。雫ちゃんも、大好きだから』
「そうだよな」
『雫ちゃんもね、あたしがつらかったときに、いっぱい相談に乗ってくれたの。ヤマノンのこと、諦めようとしてたんだけど、雫ちゃんが思い留まらせてくれたんだよぅ』
俺が山野や雪村と話をしている裏で、妹原も弓坂のためにがんばってくれてたんだな。知らなかった。
『だからね、そのときにね、雫ちゃんのこういうところが、ヤガミンは好きになったのかなあって、思ったの。雫ちゃんもぅ、麻友ちゃんに負けないくらい、優しい人だから』
俺は妹原に一目惚れしたのだから、最初のころは深く考えてなかったんだけどな。でも弓坂の言葉は核心をついている。
一目惚れは衝動的なものだったけど、妹原のことを知っていくうちに彼女の性格の良さがわかって、彼女のことを本当に好きになった。この気持ちは偽りのないものだ。
『どうしたらいいか、わかんないよね。だってヤガミンは、雫ちゃんのためにぃ、ずぅっとがんばってきたんだもんね』
「そうなんだよな」
『でも麻友ちゃんもぉ、大事だもんねぇ』
弓坂に相談しても答えは出ないか。仕方がないことだけど。
「山野は、後悔しない方を選べって言っていた」
『後悔しない方?』
「ああ。妹原を選んでも上月を選んでも、俺は結局後悔する。だから、なるべく悔いが残らない方を選んだ方がいいんじゃないかって言ってたんだよ」
『そうなんだぁ』
弓坂が静かに相づちを打ってくれる。
「こんな選び方でいいのかな。女子の考えとしてはどう思う?」
『うーん。どうなんだろうねぇ。難しいことは、あたしにはわからないけど』
山野の考え方は堅苦しくて難しいんだよな。根拠や理論を立てた考えではあるのだが。
『あたしはぁ、直感で選べば、いいんじゃないかなあって、思うかなぁ』
「直感?」
『うん。麻友ちゃんと雫ちゃん。ヤガミンが、一番好きな人を選ぶの。難しいことは、考えてもよくわからないからっ』
直感で選ぶ、か。
突拍子のない提案に思えるけど、直感は心の底にある感情から発せられるものだから、すごく理に適っていると思う。
『ふたりといっしょに付き合うことは、できないから。悲しいことも、あるけど。でもぅ、それは、仕方がないんだよぅ。ヤガミンが、ふたりと付き合ったり、ふたりともごめんなさいしちゃうのは、見たくないから』
ひとりを悲しませることになっても、男としてちゃんと決断しろということか。
『これが、ええとぅ、女子の意見、かなっ』
「そうだな」
『こんな感じで、いいのかなぁ?』
「ああっ。すっげえ参考になったぞ」
『あっ、ほんとぉ?』
弓坂のほんわかした笑い声が聞こえてきた。
『ヤガミン、すっごくつらいと思うけど、がんばってねっ』
「ああ。サンキュー」
その後は山野のことや他愛もない雑談を交わして電話を切った。弓坂は話し好きだから、一時間以上も通話してしまった。
国際電話って普通の電話よりも通話料金が高いんじゃなかったっけ? しかし今日の通話料はきっと弓坂の親父さんの財布から支払われるのだろうから、何も気にしなくていいだろう。
リビングに再び静寂が訪れる。テレビ局やまわりの友達は新しい年に浮かれているのに、この空間は寂れた神社や仏閣のようだ。
そういえば、今晩の夕食を何も買っていなかった。コンビニで弁当でも買ってこよう。重い身体に鞭を打ちくれてクローゼットへ向かった。
* * *
一月四日に妹原からメールが届いた。妹原からメールしてくれるのは生まれて初めてだ。
かつての俺だったら、もう有頂天になって歓喜していたんだろうけど、今はとても複雑な気分だ。
メールしてくれて嬉しい気持ちと、どんな会話をすればいいんだろうという戸惑いが心の中ではげしく葛藤している。葛藤が焦りを生んで、脇の下から大量の汗が流れているような気がした。
妹原のメールには新年の簡単な挨拶と、クリスマスパーティで後片付けをせずに帰ってしまったことへの謝罪が綴られていた。
あのときはとても複雑で状況の見極めも難しかったのだから、妹原は何も悪くない。そうメールで返信すると、妹原から電話がかかってきた。
スマートフォンの液晶画面に表示される、妹原のフルネームと電話番号。俺の心が、緊張と恐怖でふるえているのがわかった。
「や、やあ」
『あ、うん。あの、明けまして、おめでとう』
「あ、ああ。おめでとう」
新年の挨拶はメールで済ませているはずだけど、妹原はきっと緊張しているのだから、細かいことで責めてはいけない。
『急に電話して、ごめんなさい。メールだとたくさん送らないといけなくなっちゃいそうだから、電話の方がいいかなって思ったの。あ、今は電話してもだいじょうぶ?』
「ああ、だいじょうぶだ」
彼女の丁寧な心遣いが胸を打つ。電話の向こうで、『ありがとう』という声が聞こえた。
『クリスマスパーティのときは、ごめんなさい。みんなで後片付けをしないといけなかったのに、先に帰っちゃって』
「気にするなよ。あのときはみんないっぱいいっぱいだったから、仕方ねえって。片付けも山野と適当にやっておいたから、妹原は何も気にしなくていいぞ」
『……うん』
今日の妹原はいつにも増して元気がない。クリスマスパーティのあのときの打ちひしがれた様子が目に浮かんで、胸が苦しくなる。
『わたし……麻友ちゃんに、ひどいことをしちゃった。……麻友ちゃんの気持ち、わかってた……はずなのにっ』
スマートフォンの受話口から、妹原のすすり泣く声が聞こえる。
『わたしは、最低だ。……麻友ちゃんは、大事な、友達……なのに。……気持ち、知ってた、のに……』
妹原は、上月の気持ちを知っていた……?
あいつの気持ちを知っていたから、妹原はあえて身を引いていたのか?
うちの学校へ入学したときから、俺の片思いは妹原に届かなかった。
ゴールデンウィークの前に妹原の家で告白じみたことをしてしまったときには、告白を軽くスルーされて、その後も顔を合わせるために上月と付き合うことを推された。
俺がこんなにアプローチしてるのに、妹原はなんで俺の気持ちに気づいてくれないんだ。妹原はなんでこんなに鈍感なんだと、怨みたくなるときもあった。
だけど実は妹原は俺の気持ちに気づいていて、親友である上月を気遣って身を引いていたのだとすると、俺は妹原を長い間苦しめていたことになってしまう。
なんということだ……。身体の全身から魂が抜けて、天井の裏まで飛んでいってしまいそうな感覚に陥る。
「妹原は、あいつの気持ち、知ってたんだな」
妹原は電話の向こうで泣きじゃくっている。とても話ができる状況じゃないけど、俺は右手でスマートフォンを持ち続けるしかなかった。




