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第188話 本当の気持ち

「お前、それ本気で言ってるのか?」


 山野が心の底から呆気にとられているのは、その冷然としたひと言からはっきりと伝わってきた。


「どういう意味だよ」

「言葉の通りだ。お前は正気かと聞いているんだ」


 同意を得ようと思っていたのに、呆れられるどころか妙なことを逆に問われるなんて予想していなかったぞ。なんなんだ、こいつは。


 俺はむっとしたくなる気持ちを抑えたが、目頭の辺りが強張ることまでは抑えられそうになかった。


「正気じゃなかったら、こんなかったるい部屋の片付けなんてしねえよ。俺に喧嘩を売ってるのか?」


 俺は作業の手を止めて山野を睨んだ。


 山野は正面に向かず、首だけを俺に向けて一瞥した。感情の起伏がないこいつの表情は、今もまったく変化がない。


 俺はこいつからの反論をいくつか考えて、その返答をあれこれと考えていた。しかし何もしゃべらずに見つめられると対処に困ってしまう。


 だがここで目を逸らしたら負けを認めたことになってしまう気がして、視線を動かすこともできなかった。だから夜の部屋で男同士が見つめ合うという、傍から見たらそっち系の人たちなんじゃないかと勘違いされかねない状況になってしまった。


 やがて山野が降参して、茫然と天井を見上げた。肩を落として、はあと嘆息する。


「俺は弓坂の好意にまったく気づけなかった人間だ。だから、正気じゃないとお前を責められる資格はない」


 よくわからない感想を今度は語り出したが、お前は気でも触れたのか? それ以前に、どうして弓坂の話が出てくるんだ。


「なんで急に弓坂が出てくるんだよ。話の脈絡がねえ――」

「だが、こんな状況になっても的はずれなことを考えているお前を見ていると、皆の前で恥をかいたあいつが不憫でならない」

「皆の前で恥をかいた……?」


 こいつが何を言いたいのか、意味がまったく理解できない。恥をかいたって、どういうことだっ。


 山野が身体を向けて俺を正視する。


「自分のことを棚上げするのは、非常に見苦しいが……いや俺の立場なんて重要ではないのだから、何も気にする必要はないな。あいつの本心を俺がこの場で代弁してしまってもいいのかわからないが、もうそろそ――」

「だからっ、なんだんだよ! さっきから、あいつが不憫とか、恥をかいたとかっ。無駄に代名詞ばっか使うから、意味がわかんねえじゃねえか! それ――」

「まだわからないのか? あいつは――上月は、お前のことが好きなんだよ」


 ……は?


 山野の唐突な宣言を、俺は正しく認識することができなかった。


 上月が、俺のことを好き……だと?


 なんで、そういう結論に達するんだよ。唐突すぎて、それこそ話の脈絡がまったくないじゃねえか!


「ちょっと待てっ。どうしてそういう結論になるんだよ!? そもそも俺たちが論じないといけないのは、あいつが、いや上月が、急に泣き出した、原因――」


 言いながら、俺はあることに気づいてしまった。


 妹原だ。俺は妹原に近づくことばかり考えていて、上月のことなんて見向きもしなかった。


 山野のさっきの宣言が仮に正しいのだとしたら、上月は残酷な光景を目の当たりにしたことになる。


 いや、何をバカなことを考えてるんだ。あいつは俺の気持ちを知っているはずじゃないか。それなのに、どうして今さら俺と妹原が仲良くしていたことにショックを受けるんだ。おかしいじゃんか。


「いや待て。山野、お前の考えは間違ってるぞ。だって、おかしいじゃんか。あいつは俺の気持ちを知ってるんだぞ。それなのに、俺のことが好きだなんて意味がわからない」

「恋愛感情というのは、両思いじゃなくても発生するものだ。それは弓坂が身をもって証明している」


 山野の間髪を入れない反論は、ひと言で俺を黙らせられるほどの力をもっていた。


 弓坂は、そうだ。こいつへの想いが一方通行だったことに気づいてしまったから、文化祭のときに大泣きしたんだ。


 あのときもこんな感じだったな。弓坂がいきなり泣いて、かなり困ったもんだ。三ヶ月くらい前の出来事だけど。


 上月が、俺のことを、好き……なのか? まさかあいつが、そんな……。


 状況証拠や類似するケースまで挙げられたのに、それでも山野から突きつけられた言葉を信じることができない。膝の力が抜ける。


 だって上月だぞ。あいつはいつも俺の近くにいて、くだらないことで喧嘩ばかりして、意地悪とか悪口もたくさん言ってくる。そんな女だ。


 俺とあいつの関係性をひと言で言うと何かと聞かれると、なかなか答えづらいものはあるけど、どちらかというと友達というか、兄弟や姉妹に近かったんじゃないかと思うんだ。


 俺があいつの恋愛対象になるなんて、想像できるわけがない。俺だってそうだったから、入学してすぐに妹原を見つけて好きになったんだ。


「かなりショックなようだが、お前がそんなだから、あいつは我慢しきれずに泣いたんだぞ。というか、こうなる兆候は何度も見られただろう?」


 兆候だって? そんなものは俺は知らないぞ。


 ――いや違う。あった。あいつが泣く兆候というか異変は何度も見てきた。文化祭の後あたりから、あいつは急によそよそしくなったんだ。


 妹原のことも避けていたみたいだから、妹原から相談された。今日だって妹原と上月はひと言も会話していなかった。


 俺も妹原も、あのときは全然わからなかった。あいつがどうして豹変してしまったのか。


 でもあいつが自分の気持ちを抑えて、俺と妹原のために身を引いたのだと考えると、豹変した理由がすべて説明できる――。


「やっと理解したようだな」

「待てっ。ちょっと待ってくれよ」


 俺は意味もなく右手を突き出してしまった。


「山野、よく考えてくれよ。あいつが好きなのは、年上でスポーツ万能で、背も俺なんかより全然高いイケメンなんだぞ。俺とお前がいたら、どっちかというとお前の方があいつの好みなんじゃないかっていうくらい、俺はあいつの好みに合致していないんだ。それなのに、やっぱりおかしいじゃんか」


 俺は胡坐あぐらをかいて頭を掻きむしる。あいつが俺をそんな目で見ているなんて、やっぱり理解できない。


「俺は、中学――いや小学校に通ってた頃からあいつを知ってるが、あいつから好意を感じたことなんて一度もなかったぞ。むしろ気持ち悪がられていたくらいだ。それなのにお前は、あいつの証言もなく俺のこれまでの人生や過去を全否定するのか? 俺のこれまで思いつづけていたものはどこへ行けばいいんだ」


 頭が錯乱する。これまで感じてきた思いと最近になって感じた思いが何度も交錯して、幾重もの二重螺旋を構築する。何が現実でどれが幻なのか、わからなくなってきた。


 山野もゴミ袋を置いて床に座った。


「お前が鈍感になっている原因は、どうやらお前たちの過去にあるようだな。俺は小学校や中学のときのお前らを知らないから、その辺に関しては何も言えないが、お前のその考えには重大なものが抜け落ちている。人の気持ちは変化するということだ」


 人の気持ちは、変化する――。


「小学生のときは、お前とほとんど話したこともなかったと上月も言っていたから、そのときは恋愛感情なんて芽生えていなかったのだろうな。だがお前の母親が亡くなって、お前と上月の距離は急に近くなった。今まで気づかなかったお前のよいところなんかに気づけば、充分に気持ちが変化する可能性はある」


 山野の淡々とした言葉が部屋の静寂を貫く。


 ふたりで過ごしているうちに、あいつの気持ちが変わっていたというのか。そんなことが、まさか……。


「お前は本当に気づいていなかったのだから、目眩めまいが起きそうな感覚だろうな。だがこれは真実だ。あいつは、うちの高校に入ったときから――いや入学する前から気持ちなんて変わっていたんだろうな、きっと」


 もう何も言い返す気力がなかった。


 テーブルを挟んだ向こうの空間から、ふうと息を吐く音が聞こえた。


「今すぐにすべてを理解しろというのは無理があるな。今日から冬休みだから、考える時間はたくさんとれる。今日はもう休んで、明日ゆっくり考えてみろ。それでもダメだったら俺に電話しろ。ハンバーガーくらいなら奢ってやる」


 そう言って山野が立ち上がるのがわかった。


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