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第186話 妹原とわかりあえたが……

「根暗でもいいじゃねえか」


 口がひとりでに動いてしまう。


「俺も、性格はそんなに明るくねえけど、大事なのって暗いとか明るいことじゃないと思うんだよ。友達とか、クラスの連中を大事にすることが、一番大事なんじゃねえか」


 俺はなんという大それたことを言ってるんだ。妹原に説教じみたことを口走ってしまうなんて。


 でも、ここで話を止めるのは不自然だ。喉がからからした。


「妹原は、その……いいやつだから、心配いらねえよ。俺も、その……妹原のそういうところ、すげえいいと、思うしっ」


 友達思いのきみのそんな素敵なところが、好きだ――なんて絶対に言えない。顔が燃え上がりそうなくらいに熱くて、今すぐ寝室へ隠れたかった。


 いつもよりも人の多いリビングで、みんなの笑い声とゲームの音楽が流れる。テレビのスピーカーの音量は最大値まで達しているんじゃないかと思うくらいに大きくて、普段だったらとても耐え切れないかもしれない。


 俺の好意は、完全に気づかれただろうか。いや、ふたりでデートしてるんだから、好意なんてとっくにばれてるだろ。


 それなのに、心臓の鼓動は最高潮まで高鳴っていて、緊張感は学校で全校生徒に発表するときよりも半端ない。


 ああ、今すぐに窓を全開にして叫び出したい。


「八神くんは、ほんとに優しいね」


 妹原がぽつりと言った。


「八神くんみたいな人は、生まれて初めて。わたしのことを、いつも優しく肯定してくれる人」


 もう絶対に気づかれてる。下げた頭が怖くて上げられない。


「わたしは、お父さんやお母さんに怒られてばかりいるから、今のままでいいんだよって言われると、どうしたらいいのか、わからなくて」


 妹原は今のままで絶対にいい。この気持ちは紛れもなく本心だ。


「でも……でも、本当はね、もう怒らないでほしいんだって、気づいたの。毎日がんばってるのに、つらいことばっかり言わないで、わたしのことを認めてほしいんだって、八神くんに褒められて気づいちゃった。わたしの心が渇望してるのは、だれかに認められたいからだったの」


 心が渇望している、か。


 なんだか、わかる気がする。親父と喧嘩したときなんかは、俺も同じような気持ちだったと思う。


 俺は顔を上げてまたテレビの画面を見やった。桂や弓坂はフットサルのゲームで遊んでいる。


「八神くんは、すごいよね。お母さんを亡くして大変なのに、辛い顔を見せないで、学校でいつもみんなに気配りして。……わたしには絶対に真似できない」


 俺は、そんな大それた男ではない。アニメで言えば名前も与えられないモブキャラクターのひとりでしかない。


 でもそう言いたいのに、渇いた喉がうまく動いてくれないから、普段みたいに声を出すことができない。赤面した顔の熱も下げられなかった。


「わたしは、八神くんが羨ましい。友達がたくさんいて、いつもにこにこ笑っていて、毎日が楽しそう。自然体で、無理したりキャラを演じたりしていないのに、山野くんや桂くんから慕われてる。そんな人にわたしはなりたかった」

「俺は、そんな――」


 頭が真っ白になりそうだった。


 俺は、絶対にそんなすごいやつじゃない。いろんなやつと無難に会話する才能を、妹原よりも少しだけ多く得ているだけなんだ。


 それを彼女に、伝えたい。きみが見させられているのは、過度に美化された幻想で、きみのとなりにいるのは、しがない男子高校生のひとりにすぎないのだと――。


「いよっしぃ! 俺たちの勝ちだぜえ!」


 フットサルの勝利を宣言する桂の間抜けな声が響く。桂と弓坂のペアが、木田と松原のペアに勝利したようだ。


「きみの勝利じゃなくて、ゆ、弓坂のっ、勝利じゃねえかっ」

「そうよ。あんたはコートの隅っこでわけわかんない動きしてただけでしょ」


 木田と松原は負け惜しみを吐くが、勝利に酔っている桂には届かない。こいつのうるさい笑い声ですぐにかき消されてしまった。


「麻友ちゃん、見てみてぇ。あたしたち、勝っちゃったんだよぅ」


 一方の弓坂は状況を上月に伝えたいみたいだ。木田の言葉には気づいてすらいないらしい。


 上月はリビングの隅で三角座りをしていた。ゲームにまったく興味がないのか、ぴたりと閉じた膝に顔をうずめている。


 あいつの機嫌は夜になっても治らなかった。あいつのこんな剛情さに弓坂以外のみんなは嫌気が差して、今では触れずに放置している。


 だが弓坂だけは昼間からあいつをずっと気遣っていて、あいつから返事がなくても諦めずに声をかけつづけていた。だけど――。


「ねえねえ、麻友ちゃんってばぁ。見てよぅ」


 無視されつづける親友と、親友を無視している姿を見るのはつらい。弓坂は上月の肩を揺するが、それでも上月は応じてくれなかった。


「上月はどーせ俺たちにはきょーみないんでしょー。だあったら、放っときゃーいいじゃん」

「弓坂、もうその辺にしておけ」


 空気の読めない上月に桂や木田が露骨に嫌な顔をし出したので、山野が止めに入る。弓坂は目をうるうるさせて、今にも泣き出しそうな顔を山野に向ける。


 能天気で騒々しかったリビングの空気が、静かになってしまった。


 俺も何かをしなければ。そう思うのに、腰が重くて動かない。緊張で疲れた頭はアイデアひとつ出してくれない。


 俺はソファに座ったまま、ただただ上月を見守ることしかできなかった。


 上月の身体はかすかにふるえさせていた。上下に小刻みに、我慢できない何かを懸命に抑えているかのようなふるえ方だった。


 俺ははたと気づいてしまった。ももにわずかな力が入って、尻が少しだけソファから浮いた。上月に起きてしまった危殆きたいをみんなに教えたかった。


 弓坂が俺の異変に気づいて、きょとんと目を瞬いた。すぐにはっと顔色を変えて、上月に振り返った。


「まっ、麻友ちゃん!? どうしたのぉ!?」


 ゲームの音楽が流れるリビングに弓坂の悲鳴が響いた。


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