第176話 なぜか口を噤む山野
どうして上月に怒られたのか、訳もろくに説明してもらえないまま、俺は釈然としない頭を抱えて帰宅した。
上月は、あいつはむかしから気分屋で、突拍子もなく切れることは以前にもあった。だから、今回も切れることに大した理由なんてないのかもしれない。
でも、どうしてなんだろうな。いつもはあいつに切れられてもイラつくだけだが、今回は妙な胸騒ぎというか、焦燥感が胸中にあふれているのだ。
俺は何かとてつもない失態を犯してしまったのだろうか。そうなのだとしたら、どうやって上月を説得したらよいのか。
……わからねえ。リビングのソファに寝っ転がって考えても、妙案はひとつとして浮かんでこない。視線の先に白い天井が広がるだけだ。
来週は妹原とデートできるけど、ばかみたいに浮かれてる場合なのかな。しかし上月に理由もなく謝ったところで、状況は何も好転しないよな。
テーブルからぶるぶると振動が聞こえてくる。テレビもパソコンもつけていない室内は、だれもいないように静かだ。
テーブルに置いたスマートフォンのバイブがなかなか切れない。だれかが俺に電話してきたのか。
ひょっとして、上月がさっきのことを詫びるために電話してきたのか? わずかな期待を込めてスマートフォンをとったが、黒い画面に表示されていたのは、山野の名前だった。
「もしもし」
『もしもし、八神か? 今、電話してもだいじょうぶか?』
電話の向こうにいるのは間違いなく山野だ。そういえば、何かを話したそうだったな。
「ああ。もう家に帰ったから平気だぞ」
『そうか。帰るの早いな』
「さっきはすまなかったな。何か話したいことでもあったのか?」
『ああ。例のクリスマスパーティの件でな。お前んちで開催することが正式に決まったみたいだから、伝えておいてくれとたのまれたのだ』
山野の用件はそんなことか。今はそれどころじゃないから、いちいち伝えなくてもいいよ。
『なんとなくというか、ノリでお前んちでやろうという流れになってたけど、お前んち以外で気軽に集まれる場所がやっぱりなかったんでな。後でお前にごねられても困るから、念のための確認だ』
クリスマスパーティなんて、盛り上がってるのは妹原や弓坂だけで、山野は大して興味がないんだと思ってたけどな。なにげに開催する気満々なんだな。
「念なんてわざわざ押さなくていいよ。弓坂や妹原を呼ぶのは大歓迎だし、同中のやつらなんかもしょっちゅう呼んでるからな」
『そんなことを言いながら、本心では妹原を呼びたくて仕方がないんだろ?』
「う、うるせえっ」
さらっと俺の本心を言い当てるな。クリスマスの前に妹原とふたりでデートすることは、こいつに黙っておこう。
『じゃあお前んちで決定ということでオーケーだな。弓坂に伝えておくぞ』
「ああ、そうしてくれ」
クリスマスで一番張り切ってるのは、弓坂なんだよな。あいつはどちらかというと、自分から前に出ないタイプだけど、今回は違うんだよな。
妹原にしても上月にしても、女子の考えていることはわかんねえな。
『それと、今日の帰りに上月とひと悶着あったみたいだが、そっちの方は平気なのか?』
受話口から棒読みのような口調で山野が言う。上月と喧嘩したところをこいつにも見られたのか。
「あ、ああ。平気というか、俺もよくわかんねえんだけどな」
『よくわからないということは、喧嘩の原因に心当たりがないということか?』
「ああ、そうだよっ」
ちょうどいいから、今の悩みを山野にぶつけてみよう。
「最近なんだが、俺と妹原が上月に距離を置かれてるんだよ」
『お前と妹原が?』
「ああ。昨日、妹原に相談されてなあ。俺が上月に嫌われるのはいつものことだけど、妹原はかなりショックを受けてるみたいで、なんとかしてやりたいと思うんだよ」
俺の正直な気持ちを吐露すると、受話口から『そういうことか』と相づちが打たれた。
『妹原が好きなお前としては、なんとしても力になってやりたいということか』
その通りだけど、そんなにはっきり言うな。
「俺のことは別にいいだろっ。問題なのは、上月が何を考えてるのかわかんねえということだ。なんであいつが妹原を避けてるんだよ。意味が全然わかんねえよっ」
『わかんねえか。なるほど』
山野からの返答は、意外と冷ややかだ。その態度が心に引っかかった。
「なんだよそれ。お前なら原因がわかるのかよ」
『そんなことは思っていない』
「じゃあなんだよ。隠さねえで俺に教えろよ」
俺が強気の姿勢で尋問すると、山野の返答がしばらく止まった。そして、
『まあ、つまりだ。あいつは――』
そう言いかけて、あいつの言葉が変なところで止まった。
「つまり、なんだよ」
『今はやめておこう。部外者の俺が言うべきことではない』
クラスメイトなんだから部外者ではないだろ。
「わけのわかんねえこと言わないで、早く教えてくれよ。俺と妹原はマジで困ってるんだぞ」
『すまないが、他を当たってくれ。どうしてもと言うのなら、上月をがんばって説得するんだな』
「いやだから、それをさっきやって――」
俺が必死に説得していると、あいつから通話を切られてしまった。会話が途切れてリビングにまた静寂が訪れる。
「ちっ、なんで勝手に電話を切るんだよ。まだ話し途中だったじゃねえかよっ」
たまらなくなってスマートフォンの液晶画面へ毒づくが、そんなことをしたところで山野が考えを入れ替えないことは百も承知だ。
頭にきたので山野に電話をかけなおそうかと思ったけど、あいつのアドレスを眺めて気持ちが少し落ち着いてきた。
あいつの言う通りだ。これは俺や妹原が抱える問題であって、直接的に関与しない山野は部外者なのだ。そのあいつに八つ当たりするのは、友人として行ってはならない行為だ。
あいつは何かを知っていそうだったけど、思慮深いあいつにも何かしらの考えがあるのだろう。それはきっと俺たちを気遣った上での考えなのだ。
スマートフォンをテーブルに戻して、俺はまたソファに寝っ転がった。明日は試験の最終日だけど、勉強する気が起きねえな。
今日一日の勉強をさぼったくらいで成績が急激に落ちるわけでもないし、今日はもうずっとだらだらしていようかな。テレビのリモコンをとって電源ボタンを押すと、午後のワイドショーが画面に映し出された。




