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第163話 カットモデルはもう嫌だ

 体育祭の終わったある土曜日の夜に、俺は山野がはたらいている美容室へ行った。「店の先輩がカットモデルを探しているから、来てくれないか?」と突然に懇願されたのだ。


 あの冷血無表情フェイスに詰め寄られるのはいつものことだが、カットモデルというのは、なんだ? まさかと思うが、パリコレのようなおしゃれファッションショーに出るわけじゃないよな。


 山野の拙い説明ではよく理解できなかったが、とりあえずわかっていることは、無料で髪を切ってもらえるらしい。店に何も貢献していない――というより俺は来店すらしたことないのに、こんな手厚いサービスが受けられるなんて、すごいラッキーじゃないかっ。


 だが知らない美容室へひとりで乗り込むのは勇気がいるので、俺はジミーズの木田と桂を連れていくことにした。――美容室の名前は、忘れたな。


 七割の恐怖と三割のひそかな期待を秘めて行ったが、考えてみればこれが不幸のはじまりだった。



  * * *



「おいっすー! きみたちがシュージンのマブダチ?」


 美容室の無駄にエレガントっぽい待合室にあらわれたのは、モヒカンの毛に何かのパーマをかけた、同じ日本人とは到底思えない宇宙人だった。


 顎には無精髭が生えて、左右の耳にはリング状の太いピアスがいくつも刺さっているぞ。薄い眉毛もひと昔前のモデルやアイドルがしていたような、針金みたいに細く尖っていた。


 街角ですれ違ったら間違いなく道を譲りたくなる人だ。ジミーズの俺たち三人は店に入る前から雰囲気に呑まれていたが、このハデーズ宇宙人の登場で完全に白旗を揚げてしまった。


「は、はあ」

「あんれー? シュージンのマブダチなんか元気なくねー? まっ、シュージンもいつも元気ねーけど!」


 ハーデス宇宙人がげらげらと笑いながら俺の肩を叩く。シュージンというのは、おそらく山野の本名である柊二からとったあだ名なんだろうな。


「約束通りに来てくれたのか。ご足労かけたな」


 気づいたら山野がハーデスさんの後ろに立っていた。山野の今日の服装は、黒を基調としたTシャツとスラックスというあっさりしたものだったが、身体が細いからまるでモデルみたいだ。


 いやシュージンくんの描写など気にしている時と場合ではないっ。


「この人が俺の先輩で、今日お前の髪をカットしてくれる安弘やすひろさんだ」

「YASUHIROです、よろしくー!」


 このハーデス宇宙人はとあるダンスユニットのメンバーだったのか。いや、パフォーマーというのか? ――がまた爆笑しながら俺の肩を叩く。


 何が面白いのか皆目検討がつかないが、宇宙人の感覚はわれわれ日本人とだいぶかけ離れているんだな。日本の宇宙開発事業が遅れるわけだ。


 宇宙人の安弘さんが無駄な笑顔――だが鼻のピアスが見えて怖いんだが――で、


「早くカットしてあげたいんだけど、まだ営業終わってないからさー。ちょーっとそこで待っててくんねーかなー。そこのミネラルウォーターとか、店長に言わなくても無料で飲めっからさ!」


 と言って店の向こうへと去ってくれた。


 暴風のような人がいなくなって、俺たち三人は同時に息を吐いた。


「山野が美容室でバイトしてると聞いていたが、あいつ、よくこんなところでバイトできるな」


 木田がふるえる唇を懸命に動かして強がる。


「ライト、あんな人にこれからカットされんの? なんかやばくねやばくね?」


 桂は横から木田に抱きつきながら悲鳴をあげるが、やばいところに来てしまったことは重々承知している。


 カットモデルなんて安易に受けるんじゃなかったぜと今さら後悔しても遅い。だがこんなものはまだ不幸の序章にすぎないのだ。



  * * *



「おまっとー。それじゃ、カットはじめっぜー」


 待合室で三十分ほど待ってから、安弘さんに店の奥へ案内された。店の真ん中にあるカット台に腰かける。


 カットモデルというのは、この人の練習台になることだったんだなと、そのときにやっと気づいた。


「今日はどんな髪型にすんのー?」

「あ、ええと、その――」

「えっ、なんでもいい? なんでもいいの? それじゃYASUHIROスペシャルにしちゃうよー」


 いや校則に引っかからないように普通にカットしてほしいんですが――と言う間すら与えてもらえず、YASUHIROスペシャルという謎の宇宙人カットがはじまった。


 木田と桂が固唾を呑んで見守る中、俺のカットがゆっくりと進んでいく。たのむから、お揃いのモヒカンヘアにするのだけは勘弁してくれ。


 だがこの安弘さんという人、言動はちゃらいけどカットの手さばきは意外と慎重だ。カットがはじまると、無駄なおしゃべりが急に止まった。


 どんな髪型にされるのか、ハラハラドキドキしながら手前の鏡に映った自分の頭を凝視しているが、髪は普通に切りそろえられているだけだった。これはこれで面白くないな。


 だが自分の髪型に面白さなど追及しなくていいのだ。そういうのは目立ちたいロックミュージシャンや、無名の若手芸人あたりにまかせておけばよいのだ。


 俺はだれにも注目されず、地味な高校生活を適当に送りたいだけだから、その辺に歩いていそうなフツメン――普通メンズの略だが、そんな現代語はなかったか? ――と思考を巡らせていると、


「なんかさー、つまんなくねー?」


 怖い顔で俺の髪をつまんでいた安弘さんがいきなりつぶやいた。


 いや、つまらないかもしれないけど、普通にカットしてくれるだけでいいんですよ。そうすれば俺は自宅に帰還できるんですからと、鏡越しに目で訴えたのに、


「カラーは校則違反ですよ」


 横で待機している山野が話を微妙に広げやがった。


「ええっ、カラーダメなの? シュージンはカラー入れてるじゃん」

「カラーやってるやつもいますけど、基本的にはダメなんですよ。八神はカラーやりたくないよな」


 俺は全力で首を縦に振る。金髪になんぞされた日には、妹原に確実に嫌われてしまう。


 それでも安弘さんは納得しなかったのか、カットの手を止めて、


「でもさー、普通にカットしてるだけじゃつまんねーじゃん。俺はさー、もっとこう、すっごい作品をつくりたいわけ」


 いや、すっごい作品なんかにされた日には、俺は校則に引っかかって登校できなくなっちまうんだぞ。高校の事情も考慮してくれよ――と心中で必死に懇願するが、


「シュージンさー、なんかないのー? すっごいやつ」

「じゃあ、ツイストでもかけてみます?」


 山野が俺の心の声を無視してなんか提案しやがったが、ツイストとはなんだ? おいしそうなパンみたいだが、パンみたいな髪型にされるのか?


 背中に嫌な汗が流れまくってるのをびんびんに感じている裏で、安弘さんが顔が朗らかになった。


「いいねー! じゃ、ツイストにすっか」

「えっ!? ちょ、ちょっと待――」


 俺の悲鳴になんて耳を貸さず、安弘さんと山野が店の裏へ消えてゆく。この時点で俺は、今回の依頼を軽い気持ちで引き受けてしまったことを後悔したが、時すでに遅し、だよなぁ。



  * * *



 二時間後――。


「なぁーんか、違くね?」

「そうですね」


 険しい表情で鏡を見る安弘さんと山野の前に、作品となった俺のスペシャルヘアが聳えている。


 両サイドの髪は短めに刈られて、頭頂部のみ長めに残されている。だが形状はまっすぐではなく、陰毛みたいにちりちりしている。


 ひと昔前のバスケットボールの漫画に出てきそうな、ソフトモヒカンヘアにされてしまったのだ。


「ま、まあ、いいんじゃないっすか」


 となりで見守っていた木田が青い顔でうなずく。桂は唇をぴくぴくとふるわせて、言葉すら発することができないらしい。


「これさー、ツイストいらなかったんじゃね?」

「そうですね」


 安弘さんの意見に山野が同意するが、このツイストパーマをかけると提案したのはお前だぞ。責任とってくれるんだろうな。


「じゃあストパーでもかける?」

「髪はだいぶ痛みますが」


 そう言葉を残して、安弘さんと山野がまた店の裏へ消えていった。



  * * *



 さらに二時間後――。


「髪がゴムみたいになってね?」

「ゴムみたいになってますね」


 俺の後ろから無責任な言葉が飛び交う。


 ストレートパーマをかけたことで髪はまっすぐになった。だが強力なパーマ液を連続して使用したため、髪が金髪ギャルのように痛んでしまった。


 ソフトモヒカンで髪は不自然なくらいにまっすぐ。痛みまくっているので艶はなく、禿げる寸前の人みたいになってしまったが、この髪型で俺は登校しないといけないのか?


 下手人である安弘さんを恨めしい目で見ると、安弘さんは顔を引きつらせて笑った。


「まっ、けっこーイケてんじゃね? 最近じゃダメージヘアが流行ってっからさー」

「そんな髪型初めて聞きましたが」


 山野が絶妙なタイミングで突っ込むが、お前だって傷口を広げた共犯者だぞ。どうしてくれるんだよ!?


 結局、店長さんが見かねてカットを替わってくれたが、すでに切られた髪と痛んだ髪を修復することはできず、ひどいソフトモヒカンを少しマシにしてくれるだけだった。


 カットモデルなんて二度と引き受けねーぞっ。


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