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第156話 木田と透矢の和解

 お昼をすぎた頃に妹原から電話があって、黎苑寺駅に着いたからこれから向かうと告げられた。


 妹原がうちに来るだけでも緊張するのに、この間に喧嘩したばかりの木田をうちに招いてもだいじょうぶだろうか。あいつと顔を合わせて、また喧嘩にならないだろうか。


 上月もスマートフォンで通話を終えるなり、俺を傲岸と見下ろして、


「いい? 雫もあんたんちに来るんだから、木田と喧嘩なんかしちゃダメだからねっ」

「わかってるよ」


 頼みもしていないのに、しっかりと釘を刺されてしまった。


 それから二十分くらいが経過した頃に、部屋のインターフォンの呼び出し音が鳴った。部屋のインターフォンなんて、普段は上月が来るときくらいしか鳴らないのに、今日は大活躍だ。


 インターフォンの液晶画面を上月と覗き込む。真ん中に映っていたのは妹原でも木田でもなく、桂の顔だった。


「えっ、なんで桂がいっしょにいるの?」

「わからねえ。あいつも誘ってたのか?」


 困惑する上月と顔を見合わせて、俺は通話ボタンを押した。


「わざわざ来てくれてサンキューな。遠かっただろ」

『えっ、あ、ああ。そうかなぁ』


 桂が虚ろな視線を微妙にずらして挨拶する。いつもは寒いギャグばっかり言っているどうしようもないやつだけど、気が弱いんだな。


 後ろには妹原と木田が神妙な面持ちで立っている。ロビーでずっと待たせるのは申し訳ないな。


 俺はすぐにオートロックの解錠ボタンを押した。


「妹原とトップもサンキューな。中に入ってくれ」

『あ、ああ。サンキュー』


 オートロックの扉が開いて、桂たちが扉の先へと入っていく。


 桂までうちに来るのは想定外だったが、あいつはあいつなりに俺たちのことを心配しているのかもしれない。


 少し経って、部屋の呼び出し音が鳴った。玄関のドアを開けると、桂たち三人が立っていた。


 先頭の桂が右手を少し上げて挨拶する。


「よ、よお」


 桂の右隣にいる妹原が優しく微笑んでくれる。木田は、うつむいて口を閉ざしていた。


「今日は来てくれてサンキューな。中に入ってくれ」


 三人を部屋へ招いて、リビングへと案内する。


「未玖ちゃんから聞いてたけど、八神くんのおうちって、きれいだね」


 親父を呼ぶから、昨晩に念のために部屋を掃除しておいて正解だったぜ。妹原にさっそく部屋を――と浮かれている場合ではないな。


「弓坂はまた要らないことを妹原に話してたんだな」


 弓坂の名前に木田の肩がぴくりと動く。


「あ、うん。……未玖ちゃん、話したがりだから」


 妹原が俺を見て苦笑する。そしてリビングのソファでたたずむ上月を見やって、


「麻友ちゃんも来てたんだ」


 妹原が駆け込んでいくと、上月が妹原の手をとって笑った。


「あんな、むさ苦しい男どもしかいない部屋に雫ひとりで居させられないからね」

「なによ、それ。八神くんは変なことしないって」


 ああ、俺ってなにげに妹原に信頼されてるんだなあ。嬉しいような、ちょっと悲しいような――いや、だから浮かれてる場合じゃないっていうのに。


 木田がリビングの廊下に近い場所に腰を降ろす。口はむすっと閉ざしたままだ。


 桂は唇を少しふるわせながら俺と木田を交互に見やる。そして木田のとなりに申し訳なさげに座った。


「あたし、お茶でも淹れるね」

「あ、わたしもっ」


 リビングのぴりぴりとした空気に圧倒されたのか、上月と妹原がすぐに席を立った。


 木田は今もうつむいているが、身体のまわりから殺伐としたオーラが迸っている。交渉が失敗すれば、喧嘩の再発は避けられないかもしれない。


 俺は固唾を呑んで木田と向き合った。


「ラ、ライトって、本当に独り暮らしをしてたんだな。冗談だと、思ってたけど」


 桂がきょろきょろと辺りを見回してつぶやく。


「ああ。うちは親がいねえからな」

「そうだったんだな。……はは、羨ましいぜ」


 独り暮らしなんて羨ましい要素はあんまりないと思うけど、黙ってうなずいておく。


 桂と会話しても、木田は会話に交じろうとしない。じっとうつむいたまま、テーブルの柱の一点を見つめている。


 桂がほとほと困り果てて木田に泣きついた。


「トップぅ。ライトに謝りに来たんだろぉ。なんかしゃべってくれよぉ」


 木田は軟弱な見た目と違って剛情なやつだ。中学生のときにも一度喧嘩をしたことがあるけど、そのときも仲直りするまでに時間がかかったからな。


 今日は仲直りするのは難しいかもしれない。けど、それも仕方がない。そう思っていた矢先――。


「お前が、弓坂と付き合っていないっていうのは、本当なのか?」


 木田が顔の向きを変えずに口を開いた。


「上月から聞いたのか?」

「いいから答えろ」


 木田の厳しい口調に桂があたふたし出したが、俺は桂を制して言った。


「ああ、本当だ。俺は弓坂と付き合っていないし、これから付き合う予定もない」


 文化祭の二日目にふたりでゲームセンターで遊んだ後に、あいつから直接言われたから、間違いない。


「じゃあ、文化祭のときにふたりで仲良くデートしてたっていうのは、どうなんだ」

「き、木田くんっ」


 キッチンから妹原が駆けつけてきたが、俺は妹原を制して返した。


「仲良くデートしてたわけじゃないけど、ゲーセンに行ったりしてたのは本当だ。クラスのみんなが文化祭でがんばってはたらいていたのに、弓坂と抜け駆けして、すまなかった」


 俺と弓坂にどんな事情があったとしても、俺たちが文化祭を抜け駆けして遊んでいたことに変わりはない。それは木田を含めて、クラスのみんなに謝らなければならない。


 俺が頭を下げると、桂が声を裏返して止めに入った。


「な、なんで、ライトが謝ってるんだよ! いきなり殴ったトップが悪かったんだろ!?」

「いや、こいつを怒らせた原因は、俺の身勝手な行動にある。だから、いいんだ」

「な……で、でもよぉ」


 桂は納得できないのか、何かを言いかけたが、おとなしく引き下がった。


「いや、俺の方こそ、すまなかった」


 俺が顔を上げると、木田が頭を下げているのが見えた。


「俺さ、なんかよくわかんねえんだけど、お前が弓坂と仲良くデートしてたって聞いて、頭がおかしくなっちまってよお」

「ト、トップぅ」

「あとで上月から聞いたら、お前と上月で弓坂をなぐさめてたんだろ? 弓坂が模擬店で忙しくて泣いてたから。……ライトは何も悪くねえのに、はは。何やってるんだろうな」


 木田は視線を下へ向けたまま、力なく笑っていた。辺りを取り巻いていた敵意のオーラは、すっかりと消えていた。


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