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第154話 透矢の親父のとんでもない提案

 翌日に俺は親父を家に呼び出すことにした。


 俺から電話すると、親父は喜んで家に行くと言った。


『透矢なら、お父さんのお願いを聞いてくれると思っていたよ。ああ、よかった』


 俺は話をしてやると告げただけで、親父の要求をすべて呑むとは言っていないが、その辺りは明日にはっきりさせておいた方がよさそうだ。


 上月に、親父との面会に立ち会ってもらう約束をしていたので、上月にもメールで連絡した。上月も二つ返事で立ち会うことを約束してくれた。だが、


「それで、なんで急にお父さんと話をしようと思ったのよ」


 次の日の朝。水玉模様のおしゃれなワンピースを着た上月から開口一番で疑われてしまった。玄関で仁王立ちして、偉そうに腕組みしながら。


 一昨日は親父を突っぱねて、昨日雪村と会うまで、親父と会う気すらなかったのだから、上月が怪しむのは無理もない。


「昨日、雪村が言ってたんだよ。親父にも、海外に行ってやりたいことがあるんだろうからって」

「雪村さんが?」


 上月がミュールを脱いで部屋へとあがる。


「あんた、雪村さんとなんの話をしたのよ」

「いや別に、山野の話をしてたけど、話の流れで海外留学の話になったから、それで俺の親父のことを話しちまったんだよ」

「ふうん」


 上月はリビングに向かわずに和室のふすまを開ける。母さんの仏壇に線香でも上げるのだろうか。


 あんなやつでも母さんの死を悼んでくれているし、一応は俺の客人なわけだから、麦茶くらいは提供してやるか。


 俺がダイニングに向かうと、上月が和室から出てきた。すたすたとリビングへと歩いてソファに腰かけて、


「雪村さんは、ドイツだっけ? に留学してるから、透矢のお父さんの気持ちがわかるんでしょうね」


 上月が吐き捨てるように言い放つ。


「そんな、単純な話じゃないのに」

「そう言うなよ。あの人の意見は、何も間違っていない」


 麦茶を入れたコップを置くと、上月がソファのクッションを抱えた。


「まあ、あんたがそう思ってるなら、いいんじゃない? 仲直りできることに越したことはないんだし」

「仲直りできるかなんて、わからねえよ。あいつだって、俺に挨拶するためだけにわざわざ帰国してきたわけじゃないんだろうからな」


 自分のコップに入れた麦茶をくいっと飲み干す。朝の九時をすぎているから、朝ご飯を食べ終えている時間だが、ご飯をのんびり食べている雰囲気じゃないな。


 上月も俺の様子を見て、自分の麦茶を少し飲んだ。


「そういえば、昨日、雫から連絡があったわよ。木田とあんたんちに来たいんだって」

「妹原と木田が?」


 妹原と木田って、かなり変わった組み合わせだな。しかも俺の家に来るなんて。


 妹原は、俺のことを心配してくれているのだろうか。木田は月曜日のことを謝りたいのか。


「木田がいきなり電話してきたんだけど、それを雫に伝えたら、わたしもふたりが心配だから行きたいって。よかったじゃない」


 いや、これは素直に喜んでいいのか? 木田とまた口論になったら、ひどい場面を再度妹原に見せてしまうことになるんだぞ。


 親父と面会するだけでも大仕事なのに、もうひとつの大仕事が入ってしまった。


 十時をすぎたくらいに、部屋に取り付けられたインターフォンから呼び出し音が鳴り出した。親父が一階のオートロックの前にやってきたのか。


 インターフォンについている小さな液晶画面を覗き込む。親父の正面の顔が映っていた。


『透矢、私だ。オートロックを開けてくれないか』


 本意ではないが、インターフォンの解錠のボタンを押した。マンションのオートロックが開いて、親父がその間を抜けていく。


「お父さん。本当に来たんだね」


 となりでインターフォンの画面を覗き込んでいた上月がつぶやいた。


 数分が経って、呼び出し音が鳴った。玄関のドアを開けると、そこに親父が立っていた。


「透矢。今日はありがとう。父さんは――」

「入れ」


 玄関で長々と挨拶をされても困る。すみやかに親父を家に入れることにした。


 俺は和室の襖を開けて親父に振り返った。


「先に母さんに線香をあげていけ」

「あ、ああ。そうだな」


 親父が困惑しながら和室へと入っていく。


 親父が仏壇の前に腰を降ろして、壁の上に取り付けられている母さんの遺影を見上げる。


 親父は数秒間、母さんの遺影を感慨深げに見つめ、三本の線香を手にとった。


 俺の役割はこれで果たすことができた。神や仏なんて信じていないが、死んだ母さんもこれで少しは報われるだろう。


 親父が和室から出てきてリビングの隅に腰かける。俺と上月はソファに座った。


「透矢。いきなり帰国して、お前を驚かせてしまったと思う。話というのは、父さんの事業のことなんだ」


 親父が背を正して俺を正視する。


「父さん、前は上海シャンハイで働いていたんだが、今はシンガポールで働いているんだ」


 前は上海で働いていた? 俺はベトナムで働いていたと聞いていたが。


「前はベトナムで働いてたんじゃないのか?」

「ベトナム? ああ、それはだいぶ昔の話だな。上海に渡る前はベトナムにいたんだよ」


 ベトナムから上海に渡ったのか。海外のいろいろな場所を渡り歩いてるんだな。


「透矢。母さんが亡くなって、お前が日本でひとり暮らしをしていると聞いた。……つらかっただろう。お前を苦労させているのは、一重に父さんの責任だ」


 この人が俺のことをそんな風に思っているなんて、知らなかったな。インターネットで検索したら、すぐに見つかりそうな台詞だが。


 しかし今さら父親面をされても、俺はどう対処すればいいのかわからない。


「父さんは、お前のことを引き取りたいと思っているんだ。透矢、父さんといっしょに、シンガポールに来ないか?」

「えっ、シンガポールに……?」


 上月が驚いて声を漏らす。俺たちを驚かすには充分すぎるほどの提案だった。


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