第147話 雪村を説得してみる?
妹原のふとした疑問を聞いて、ひとつの解決方法が思い浮かんだ。
「雪村を説得してみるというのは、どうだろうか」
すると上月と妹原がそろって顔を見合わせた。
「説得って、どういうこと?」
「あんた、まさか彼女を利用して、エロメガネを振らせようと思ってるんじゃないでしょうね」
上月の思いがけない警告に一瞬だが、どきりとしてしまった。
「そんなことは思っていない。人聞きの悪いことを言うなよ」
「じゃあ説得ってどういう意味よ。くわしく教えなさい」
説得するという言い方が間違いだったな。俺は右手で頭を掻いた。
「俺たちは山野と弓坂の気持ちを知っているが、雪村の想いは知らないということだ。そして文化祭で楽しそうにデートしていたけど、彼女には山野を振って海外へ留学しているという事実がある。俺はそこに賭けてみようと思うんだ」
「雪村さんの想いを山野くんに伝えて、雪村さんのことを諦めてもらうの?」
「そういうことだ」
妹原は理解が早いから助かる。俺は深くうなずいた。
「山野には残酷なことをさせちまうが、俺はだれになんと言われようと弓坂の力になってやりたい。だから、できることなら、あいつの気持ちを弓坂に向けさせたいんだ」
弓坂のあんな姿は、もう見たくないからな。
「それに、山野は過去の恋愛に執着しているけど、そういうのって、あんまりよくないんじゃないかと思うんだよ。なんとなくだけど」
俺に彼女がいたことなんてないから、くわしいことはよくわからない。俺の考えはもしかしたら間違っているかもしれない。
「でも終わったものにいつまでも縛られて、前に進めないでいるのは、やっぱりいいことじゃないよな。それはたぶん雪村にも言えていることなんだと思う」
俺は拳をにぎりしめた。
「だから、できることなら山野に前を向いてほしいんだよ。最後はあいつらの気持ち次第だけど、俺たちもその、友達として今の状況を収めたいからさ」
微妙に臭い言葉がところどころに散りばめられているような気がする。俺の顔からほのかに湯気が出ていたら相当気持ち悪いぞ。
しかし上月は俺のそんな言葉を真剣に聞き届けてくれて、
「そうね。過去の恋愛に縛られてるのはよくないわね」
「うん。八神くんの言う通りだよ」
妹原も俺の意見に賛同してくれた。どうやら女子の視点でも俺の考えは間違っていなかったようだ。
「でも他人の恋愛に首を突っ込むのってルール違反じゃない? そういうのは平気なの?」
第三者が当人たちの恋愛に意見するのは差し出がましいことだと思う。
「そこはなんとかしてみるさ。俺はふたりの意見を聞くだけで、余計に口を出したりしない。それなら問題ないだろ?」
「そうね。まあ、あんたも空気だけは一応読めるから、うまくやりなさいよ」
一応読めるって、ずいぶんな言い方だな。空気はかなり読めている方だろ。そんなどうでもいい小言はともかく、
「上月と妹原は、引き続き弓坂のそばにいてやってくれ。あいつはまだ精神的に不安定だから、変なことを仕出かすかもしれないからな」
「わかってるわよ」
「うん。未玖ちゃんのことはまかせておいて!」
妹原が小さくガッツポーズをして賛同してくれた。
スマートフォンの時計を見ると、午後の三時をすぎていた。だいぶ長い時間を三人でしゃべっていたみたいだ。
肉体的にも精神的にも疲労が蓄積されていて、風邪を引く一歩手前くらいの状態になっている。そろそろ家に帰ろう。
上月も俺の気配を察知して帰りの支度をはじめたが、妹原は茫然と窓の向こうを眺めていた。
「どうした、妹原?」
「雫、そろそろ帰ろう」
「うん」
妹原が少し寂しそうな顔で苦笑する。
「雪村さんって、自分の夢を叶えるためにドイツに留学してるんだよね。山野くんの想いまで振り切って」
「あ、ああ」
妹原は何を言い出そうとしているのか。俺の考えに内心では反対したいのだろうか。
俺が椅子に座り直すと、空の容器を捨てていた上月も戻ってとなりに座った。
「雪村さんは、すごいよね。親に強制されたからじゃなくて、ドイツに行くことを自分で選んだんだもんね。中学生のときに。数十年も先のことを見据えて」
妹原は、俺や山野たちのことではなくて、雪村本人のことを考えているんだな。
――うちの高校へ入学したばかりの頃、山野が言っていた。音楽を志す学生は、オーケストラ奏者になるべくいずれヨーロッパへと留学して技術を磨くのだと。
妹原は将来的にオーケストラ奏者となるべく、自宅での音楽のレッスンを毎日こなしている。
今の目標は音大の受験に合格することなんだろうけど、音大に入って卒業したら、次に待っているのは海外留学なのだろう。
海外留学という妹原にとって遠い先の夢を、雪村はすでに叶えているのだ。十五歳という若さで。
妹原はきっと海外留学をまだ漠然としか考えていないのだろうから、雪村の存在がある種の異様なものに思えてならないんだろうな。
俺と上月が返す言葉もなく絶句していることに妹原が気づいた。空の容器をとって席を立った。
「ごめんね。いっしょに帰ろう」
* * *
早月駅で妹原と別れて、上月とそろって帰路に着く。
駅の構内と電車内では相変わらず会話をせずに、場所も少しはなれるのが暗黙の決まりだ。
さっきまでカフェで一時間以上もしゃべっていたんだから、今さらよそよそしくしたって意味なんかないのだが、ルール化が定着された行動パターンをあえて壊すのもなんだか違う気がするのだ。
だってルールを壊して帰宅時間にあいつと会話するということは、以前よりも仲良くなっていることを自ら肯定していることになるじゃないか。
そんなことを考えると、顔からまた火が出てきそうだった。
上月も同じことを考えているのか、なんだかすごくおとなしい。
最寄の黎苑寺駅に着いて、今は上月がとなりを歩いている。静かにしているこいつを見ると、不覚にも可愛いと思ってしまう。
やばい。なぜか知らないが妙に意識してしまう。
今日はなんだかおかしいぞ。疲労にくわえてストレスが俺の脳を弱らせているんじゃないかっ。
ダメだ、ダメだぞ八神透矢。俺が好きなのは妹原であって、こいつではない。
そうだ! 妹原は今日も可愛かったじゃないか。今朝は俺の喧嘩を仲裁してくれて、さっきだってカフェでたくさん話ができたじゃないか。
それなのに俺は、なんで急にこんな微塵も可愛くないやつのことを――なんていう煩悩に苦しみながら駅間のコンビニを通りすぎたときに、
「透矢、その……」
か弱い声で名前を呼ばれてしまったから、不覚にも俺の心臓がどきっと動いてしまった。
「あ、ああ。なんだ?」
「昨日の、ことって……」
昨日こと? それがどうかしたのか?
上月は両手で鞄の紐をつかんでもじもじしている。かなり言いづらそうだけど、どうしたんだよ。
昨日は何をしたんだっけ。今日も立て続けにいろんなことが起きたから、記憶が曖昧になってきているぞ。
昨日は、そうだ。学校に行こうとしたらあのくそ親父があらわれて、俺はぶち切れて学校をさぼったんだよな。
その後は――どうしたんだっけな。本格的に思い出せなくなってきちまったぞ。
すると俺の尻にいきなり衝撃が走り、俺の口から変な声が漏れてしまった。上月が鞄ではたきやがったのだ。
「いってえな! 何すんだよ、いきなり!」
「うるさいわね! なんでもないわよっ」
なんでもないってなんだよ。話を切り出してきたのはお前だろ。
上月はなぜか知らないが不機嫌になって、赤面しながら口をとがらせている。いつもの性格の悪い野郎に戻ったか。
普段だったら理由もなく殴られて、不平のひとつでも漏らしたい気分になるが、今日は逆に助けられたな。これで妙な気分にならずに済む。
こいつが何を言おうとしたのか、気にはなるけど、問い質したところで明白な回答なんてもらえるわけがない。だから俺はほっと息を吐いて上月の後に続いた。




