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第119話 雪村旺花という女

 バスケットボールは先生がランダムで指定した五人でチームを組んで五対五の試合を行う。


 一回の試合にかける時間は五分で、コートはひとつしかない。だから別々のチームが試合している間は待ち時間ができる。


 うちのクラスにもとなりのクラスにもバスケットボールの経験者が何人かいるので、そいつらと運よくチームを組めたら、その日の試合は概ね勝てるというのが常識だ。


 だがうちの場合は山野の独壇場で、あいつのうまさは経験者の中でも群を抜いている。はっきり言って月とすっぽんほどの差があった。


 山野のするどいドリブルやシュートは速すぎるので、他の経験者でも止めることができないのだ。


 俺もさっき試合したが、山野は素人の俺が相手でも手を一切抜かない。俺の顔も見ずに神速の動きであっさり抜いて、スリーポイントシュートを鮮やかに決めていた。


 山野はやっぱりすごいな。あいつのことが好きだという女子はけっこういるらしいという噂を上月から聞いたが、女子が惚れる気持ちはわかるぜ。


 運動神経が抜群で背も高く、美容師志望でさらにイケメンだからな。俺と山野を並べたら、世の中の女子の大半は間違いなく山野を選択するだろうよ。


「お前はやっぱすげえやつだな」


 試合が終わって山野に声をかけてみる。試合の後はみんな息が上がっているのに、こいつだけは何事もなかったように澄ましている。


 山野がメガネのブリッジをいつもの動作で押し上げて、


「そうか? 俺は経験者だから、お前より多少のアドバンテージがあるだけだと思うが」


 俺を抜いたことを気にも留めずに言い捨てやがったが、こんなにも技術力的な格差が開いていて、多少のアドバンテージがあるだけで済ませるなよ。


「簡単に言ってくれるな」

「お前がゲームうまいのと同じだ。ボールを触っていた時間がお前よりも長いだけだから、特別でもなんでもない」


 他のクラスのやつが山野のところへやってきた。どうやらとなりのクラスのやつで、山野の同中の仲間のようだ。


 俺がいたら会話の邪魔になるから、俺は手短てみじかに挨拶してその場をはなれた。


 木田は試合中だから、他に話し相手になってくれそうなのは桂くらいしかいないな。そう思って桂のいる方に行くと、


「そういやさぁ、俺、この前、雪村ゆきむら旺花おうかを見たんだよぉ」

「えっ、マジかよ」


 桂の口から雪村さんの名前が出てきたから、俺の心臓が飛び出しそうになった。


 桂、なんでお前があの人のことを知ってるんだよっ。


「雪村って、プロにスカウトされてヨーロッパに行ったやつだろ?」

「そうそう。なんかさー、この前、すぐそこの川のそばで絵を描いててさあ。あのだっさいメガネをかけててさあ。ぜぇんぜん変わってなかったぜぇ」


 桂が両手の親指とひと指し指で丸をつくって両目にあてる。雪村さんの真似でもしているのか、同中のやつとげらげら笑っていた。


 同中の名前の知らないやつがふと笑いを止めて、山野の方を向いた。


「でもよぉ、雪村って、あれだろ」

「そうそう。あの山野の元カノ――」


 桂の口からいらない言葉が飛び出す前に、俺は桂の首根っこを腕で抑えた。


「あれ、ライトっちゃん。どうしたの? 怖い顔して」

「いいから、ちょっと来い」

「えっ、ええ!? ちょっとぉー」


 俺は桂の首根っこをつかんだまま、体育館の隅へと引っ張っていく。桂の同中がぽかんと口を開けていたが、そいつのことは知らないので無視だ。すまないな。


「ライトっちゃん、どうしたのぉ。いきなり怒ってさぁ。俺、ぜぇんぜん意味がわからねえよ」


 桂を解放すると、桂は困り果てた様子で俺を見上げた。


「お前、なんであの人のことを知ってるんだ?」

「へっ? あの人って、雪村のこと?」

「そうだ」


 俺がうなずくと、桂は間抜けな顔で、


「なんでって、あいつと同中だったからだけど?」


 怪訝そうに首をかしげられてしまった。


 俺における桂の存在意義を席替えを期に失ってしまったので、こいつの過去をすっかり忘れていた。お前は山野と同中だったんだっけな。


「っていうか、なんでライトっちゃんが雪村のことを知ってんの?」


 桂にしてはめずらしくするどい問いが返ってきたので、俺は返す言葉が思いつかなかった。


「俺のことは、気にしなくていい。雪村は有名だったのか?」

「えっ、ああ。もう有名有名。超有名人だったよぉ。だって、絵が超うまいし、キャラが超変わってたから、中学で知らないやついなかったもん」


 桂が機嫌をとり戻して俺にぺらぺらと解説していく。指を一本ずつ立てて雪村の特徴を数えながら。


「プロにスカウトされるし、あの変なメガネをかけてたし。それにおまけに山野と付き合ってたんだからさぁ!」


 山野と雪村が付き合っていたのは、本当だったのか。俺の心にガラス玉のような何かが落ちて崩れる。


「プロにスカウトされたっていうのは本当か?」


 俺が問うと、桂は軽そうな頭で何度もうなずいた。


「ああ、本当本当! あいつ、超がつくほどの変人だったけど、絵はマジで超がみっつつくくらいうまかったからさぁ。プロでも通用するレベル?」


 この前に山野に話してもらった内容が、なんの修飾もしないで桂の口から出てくる。


「でも、イギリス? フランス? だかに、中学を卒業してから行っちゃったらしいんだけどさ。この前、そこの川の近くで絵を描いてたんだよね。そっくりさんだったのかなぁ」

「さあな」


 桂は雪村のくわしい情報まで知らないようだ。少しほっとして胸を撫で下ろした。


「あっ、わかった! ライト、山野から聞いたんだろ? 俺の彼女は変人だったんだぜぇって!」


 桂がしたり顔で指をさしてきたので、俺は呆然とうなずいた。


「あ、ああ。そうだ。山野に彼女がいたなんてな。驚きだ」

「そうだろぉ? あいつだったら、どんな女とでも付き合えると思うけどさぁ。まさか、あんな変なやつが好みだったなんて、いろんな意味で笑っちゃうよなぁ! 妙な性癖でも持ってるんじゃねえの?」


 桂がまた山野をバカにしだしたので、俺は桂の首根っこを抑えて顔を近づけた。


「やっ、ライトっちゃん。また怒った?」

「怒ってねえよ」

「や、でも、顔が怖――」

「山野と雪村のこと、他のやつらには言うなよ」


 約束を守る上月と違って、こいつはどうしようもない軽口をぺらぺらと他のやつらに話すやつだ。こいつの口だけはなんとしても封じなければならない。


「えっ、なんで? 別に――」

「なんでもだ。言ったらお前、ゲーセンでぼこぼこにするからな」


 ドスの利いた声で脅すと、桂がふるえあがった。


「ひぇぇ。ライトっちゃんの神技でぼこぼこにされたら、俺もう生きていけないよぉ」

「だったら、余計なことはしゃべらないことだな。そうしたら、また新しい技を教えてやるよ」

「えっ、ほんとほんとぉ!? あのミラクルバック転三角蹴り地獄よりもすんげえハメ技があんのぉ!?」

「ああ、あるある。じゃあ、この話はこれで終わりな」


 桂が俺の言うことを聞いてくれたみたいなので、俺は桂をはなしてやった。ちなみにミラクルバック転三角蹴り地獄というのは、桂がはまっている格闘ゲームでバック転しながら敵に三角蹴りを浴びせまくるという、えげつないハメ技だ。


「ちなみにさあ、トップに言うのはダメなの?」

「ダメだ」

「文化祭の出し物に組み込むのも?」

「ダメだ」


 っていうか、文化祭の出し物に組み込むってなんだよ。あのふたりのネタをどうやって異世界なんやらに組み込むんだよ!?


 俺は脱力して桂に言った。


「とにかく、あのふたりの問題は、とても繊細な問題なんだ。だから、絶対に他言するなよな」

「へえぇ。繊細な問題とか、ライトってなんだか大人あ」


 ダメだこいつ。なんで他言してはいけないのか、まるでわかっていない。


 その後も桂が意味不明な言葉でからんできたが、相手するのがだんだんと面倒になってきたので俺は適当にあしらった。


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