第111話 上月の対山野レーダーが反応?
スーパーに行く前に一旦自宅に戻って私服に着替える。
俺は着替えるのなんて面倒くさいから、制服のままで買い物に行ってもかまわないのだが、上月が嫌だと言って聞かなかったのだ。
買い物に行くときの服装なんて、別になんだっていいだろ。女っていう生き物はファッションばっかり気にするよな。何を着てたって、大して変わらないのに。
「今日は本当にハンバーグをつくってくれるんだろうな」
うちからはなれた国道沿いのスーパーに向かう。歩き慣れた歩道を進みながら上月に聞きなおす。
「うるさいわね。ハンバーグくらいつくってあげるわよ。あんたはいちいちしつこいのよ」
上月はまわりを飛びまわる蚊をたたき落せずにいらいらしているときみたいに悪態をつく。こいつの今日の私服は……説明するのがいい加減に面倒になってきたから、もう描写しなくてもいいか。
「お前がころころと考えを変えるから、仕方なく念を押してるんだろ。っていうか、しつこいのはお前だろ」
「あたしがいつあんたにしつこくしたのよ。被害妄想するのも甚だしいんですけど」
被害妄想なんてしてねえよ。さっきから山野のことを散々と問い質してきてるくせに、自分のことを棚にあげるな。
けれど、こんな反論をしたらまた滝のように責め返してくるから、俺は歯を食いしばって口を閉ざした。
スーパーでハンバーグ用の合いびき肉と卵、玉ねぎや牛乳などを買って俺たちは帰宅した。どうやら公言した通りにハンバーグをつくってくれるようだ。
食材の入ったビニール袋を上月にわたして、俺はリビングのソファに腰を降ろす。夕飯の前になってやっと休憩することができたぜ。
テーブルの上に置かれたリモコンをとってテレビの電源をつける。画面に映し出されたのは夕方のニュース番組だ。
ニュースなんて好きこのんで観たくないけど、裏番組もどうせニュースしかやっていないので、チャンネルをまわさずにリモコンを置いた。
「それで、あの絵を描いていた人は、エロメガネのなんなわけ?」
上月の声がセミオープンキッチンの向こうから聞こえてきた。
「なんなわけって言われたって、知らねえよ。俺が聞きたいぐらいだ」
「いいから、あんたの知ってることを洗いざらい話しなさいよ」
洗いざらいって言われても、何を話せばいいんだよ。雪村さんのことなんて何も知らないんだぞ。
返答に窮して押し黙っていると、「もう」という不満がキッチンの奥から聞こえた。
「あの人の名前とか、聞いてないの? あとは歳とか」
「名前? ああ。名前は雪村さんって言うらしいぜ。歳はたぶんタメだ。山野の同中らしいからな」
「ふうん。……で、その雪村さんは、どんな人だったの?」
「どんな人?」
「だから、見た目とか、性格とかよ」
そのくらいだったらまだ話せそうか。
「見た目は、なんかレンズの度がきつそうなメガネをかけてたぞ。ガリ勉みたいなやつ」
「ガリ勉? あの人って画家なんじゃないの? なんでそんなメガネをかけてるのよ」
セミオープンキッチンの向こうから、ひき肉を混ぜる音が聞こえてくる。
「そんなこと言われたって、知らねえよ。単純に目が悪いんだろ」
「ま、それでいいわよ。それで、性格はどんな感じだったわけ?」
「性格は、そうだな。人があんまり得意じゃなさそうだったな」
ぐっと伸びをして、ソファの背もたれに身体をあずける。雪村さんと会話したときの様子を思い起こしてみる。
雪村さんは俺を見ると、慌てて顔を最高潮まで赤らめていた。肩や唇をわなわなとふるわせて、アニメのキャラでいうドジっ子のような挙動で俺に怯えていた。
俺が絵を見たときだって、耳たぶまで赤くして恥ずかしがっていたしな。県でトップになれるくらいにうまいのに、自信なさげでシャイだったな。
「人が得意じゃないって、ひと言もしゃべれない感じとか?」
「しゃべれなくはないけど、すごい早口で、何をしゃべってるのか全然わからない感じだったな」
「ふうん」
そんな会話をしながら夕飯ができるのを待っていると、ハンバーグの調理が終わったみたいだ。上月に呼ばれてハンバーグやサラダの乗った皿をダイニングへと運ぶ。
メインディッシュ用の白い皿には、きれいな小判型のハンバーグが乗っかっている。内側からふっくらと小さな風船のようにふくらんで、表面には焦げない程度に焼き目がついている。
ハンバーグにかけられたデミグラスソースの香りが食欲をさらにそそる。輪切りにされた人参やスイートコーンまで丁寧に添えられているから、彩りもばっちり申し分なしだ。
フレンチやイタリアンの高級レストランに出してもなんら遜色のない、完璧な仕上がりのハンバーグだ。上月の料理の腕にはいつも驚かされるが、今日も星三つを迷わずにあげてしまうほど上手だ。
「じゃ、さっさと夕飯を食べちゃいましょ。透矢、ご飯よそって」
上月がしゃもじを差し出したので受け取る。ご飯をよそったりするのは俺の担当だ。
ふたつの茶碗にご飯をよそって、最後に味噌汁を注いだお椀をおけば今晩の夕食の準備が完了だ。
顔の前で静かに両手を合わせて、いただきます。これからまた山野の話になるから、テレビの電源は消しておいた。
「気になるのは、エロメガネと雪村さんっていう人の関係だよね。あんた、本当に何も聞いてないの?」
上月が白米をぱくりと食べながら聞いてきた。
「ああ。聞いてねえよ。聞いてたって、お前にしゃべる義理はねえけどな」
「なによ、それ。人にハンバーグまでつくらせておいて、大事なことは話せないって言うの? そのハンバーグとりあげるわよ」
「とりあげるな」
俺は自分のハンバーグの乗っかった皿を手前に引いた。上月が「ふんっ」とそっぽ向く。
「なあんだ。せっかく面白そうな話題にありつけると思ったのに、がんばって損しちゃった。あたしに無駄骨を折らせたんだから、あんた、慰謝料払ってよね」
「なんで俺が慰謝料を払わないといけないんだよ。っていうか、山野のことを話すなんて、俺はひと言も言ってないだろ」
「いいじゃない。別に減るものでもないんだし。けちけちしてると、雫に嫌われるわよ」
上月を茶碗と箸を持ったまま、わざとらしく肩を竦める。箸の先についたデミグラスソースがテーブルに飛ぶだろ。
ハンバーグを食べながら、俺の脳裏にひとつの可能性が過ぎっていた。山野には以前に付き合っていた彼女がいたということだ。
雪村さんは、山野の同中で、しかもかなり親しいようだ。山野の豹変ぶりから洞察しても、あの人が山野の元カノであった可能性は高いかもしれない。
しかし――あの挙動不審なメガネ女子を彼女になんてしたいか?
人を見た目で判断するのは、よくない。よくないが――でも、あの人はいくらなんでもダメだろ。いろんな意味で。
まず山野と雪村さんがデートしているところがシュールすぎてイメージできないのだが。
だって彼女ということは、あのふたりが手をつないで遊園地とかに遊びに行ったりするんだぞ。あの超絶あがり症の人と、片や校内一の人造人間と言われてもおかしくない山野が。
ふたりが仲むつまじくデートしているところを想像すると、おかしさが腹からこみ上げそうになった。
「まあ、普通に考えたら、ないよな」
「何が、普通に考えたら、よ」
まずい。俺の思考が口から漏れていたようだ。俺は黙って白米を掻き込む。
「あんた、やっぱり何か知ってるんでしょ」
「だから、何も知らねえって」
「うそばっか。じゃあ、さっきのは何よ。観念してあたしに白状しなさいよ」
上月はなんとしても山野と雪村さんの関係を聞き出したいようだ。そのやる気を少しは勉強に向けてくれたら、学年ビリの成績も多少は改善されるっていうのに。
俺は味噌汁を一気に飲み干した。
「とりあえず、あの人と山野がしゃべってたことは、妹原や弓坂にしゃべるなよ? そんなことされたら、あの山野だって切れるかもしれないからな」
「わかってるわよ。あたしをだれだと思ってるのよ。っていうか、あんたの方がべらべらしゃべるんじゃないの? 木田とか、あの手のきもい連中に」
うっ。その可能性は充分にあり得る。よく噛まずに飲み込んだスイートコーンが喉につまって、俺は二回くらい咽せてしまった。
上月は咳き込む俺をジト目で凝視していたが、空になった茶碗を置いてうすら笑いを浮かべた。
「ま、エロメガネの女関係なんて、すぐに割り出せるでしょ。面白そうなものをせっかく見つけたんだから、絶対に暴いてやるからね。そうしたら、あいつはあたしに二度と逆らえなくなるのよ。ふふっ」
「……鬼だな、お前」
「なんとでも言いなさい。あいつ、いつもかっこつけてるから、吠え面をかいているところを見てみたいのよ。あんただって興味あるでしょ? エロメガネがあたしに泣きついているところ」
山野が泣きついているところは多少興味があるな。――いやいや、大事な友人をそんなひどい目に遭わせてはいけない。
だが正面に座ってハンバーグをほうばっている悪女は、すっかり山野の弱みをにぎる気のようだ。
こいつの罠に引っかからないように、山野にこっそりと注意喚起のメールでも送っておこうかと思ったが、そんなことをしてもおそらく意味はないので、俺は黙って白米を平らげた。




