第九十五話 名前
奴がやっていることは法に触れているわけじゃない。奴隷は道具であり人間でも無ければペットでもないというのが共通の認識。いくら雑に扱おうが罪に問われることはない。死ぬまでこき使おうと、誰も文句は言えない。
奴は罪を犯しているわけじゃない――
「でも」
いくら法や万人が許しても、
それでもオレは、奴の所業に対して、
――封じきれない怒りを抱かずにはいられなかった。
「うわあああああっ!!」
少女奴隷が氷のかぎ爪を形成し、振るってくる。
かぎ爪を頭を下げてよけ、少女奴隷のがら空きの頬に右拳を当てる。
「烙印……!」
続いて右からおっさん奴隷の拳が飛んでくる。
拳を避けず、敢えて頭で受け止める。頭が痛みの信号を飛ばすがお構いなしに怯まず前に進み、左拳をおっさん奴隷の顎に当てる。
「烙印」
二人に印を付けたところで大きく飛び退き、思考を巡らせる。
――作戦は一択、奴隷二人を封印する。
字印は付いた。だが封印の条件に必要な物が一つ足りない。
対象の名前だ。オレはあの奴隷二人の名前を知らない。見たところ、体の自由はないようだが言葉を発するぐらいの抵抗はできているみたいだ。
でもあの状態じゃ、オレの言葉を聞き入れるほどの余裕はないだろう。
「考えろ……」
氷の破片が放たれる。
屈んで避け、迫るおっさん奴隷の攻撃に備える。
おっさん奴隷は右拳に黒い魔力を灯した。
「黒魔ッ!?」
防御不可。回避しかない。
しかし相手は黄魔の補正を受けている。躱すのも困難――!
「――嫌だ」
おっさん奴隷の動きが止まる。
「嫌だ……! 殺しだけは……」
だがすぐに動き出す。
一瞬止まったおかげで、振り下ろされた拳を後ずさって躱すことが出来た。
おっさん奴隷の拳を受けた地面は割れることはなく、拳が当たった部分だけが塵となって消えた。
「……どうしたシール=ゼッタ。
まだ名案が思い付かないのかよ!」
自問し、考える。
あの微量な黄魔で全身をあそこまで細かく動かすのは難しいはず……どうやって奴はあれだけの精密な操作ができている?
奴隷が纏う黄魔を観察する。
違和感が一つ生まれた。なぜか、足から頭にかけて黄魔が濃くなっている。
――そうか。
手や足をいちいち黄魔で動かしているわけじゃないのか。人体の司令塔を支配し、操ってるわけだな。
奴隷二人の脳、そこに黄魔をぶち込んで操っているに違いない。
流纏が使えれば脳にある黄魔を消せるかな。見様見真似でやってみるか?
――落ち着け。
できないことはできない。
自分の手札を思い出せ……!
「流纏……流纏か!」
そうだ、あるじゃないか。流纏に似た性質を持つ術が。
来た、キタキタ! 名案が来た!!
あるぞ。一つだけ、突破口ッ!
「雷印、解封!」
オレは札から雷印――雷の矢を放つ弓を解封し、装備する。
緑魔を込め雷矢を形成し、5本の矢を奴隷商に向かって発射する。
「――封印」
すぐさま雷印を札に封印。
新たに空札を二枚手に取る。
「雷印? そんな玩具で……!」
雷の矢は煙でガードされたが雷光を散らした。奴隷商の視界が雷光で閉ざされ、奴隷たちの動きも一斉に止まる。
今、奴隷を動かしているのはアイツだ。アイツさえ止めれば操られた二人の動きも止まる。
全員が静止している間に距離を取り、空札に五角形の字印を描く。
準備完了――
「言え」
オレは両手に一枚ずつ札を持つ。
「教えてくれ! アンタらの名前を!!」
走り出し、おっさん奴隷に向かっていく。
おっさん奴隷は素早い動きで黒い左拳を出す。拳はオレの頬を掠り、頬の皮を塵にする。怯まず、左手を出しておっさん奴隷の額に札を当てた。
「……封印」
五角形の字印をおっさん奴隷の額に当てる。
「ぬわああああああああああああっ!!?」
バチッ! と青白い光が走る。
札におっさん奴隷の頭にある魔力が吸い込まれていく。
魔力封印。
直接頭にぶち込んで、おっさん奴隷の頭の中にある魔力を吸いだす――!
「出ていけ!」
――おっさん奴隷の動きが止まった。
目に生気が宿る。
体は震えているが、成功したようだ。
「名前を教えてくれ……そうすりゃ助けられる」
「私は……商品№021――」
「番号じゃねぇ……あるだろ、大事な人からもらった名前が!
アンタの魂に刻んだ名前が!!」
ひゅん、と何かが横を通り過ぎた。
背中に気配を感じる。オレは後ろを見ずに、体を開き、右手を出してオレの背後を取った少女の頭に札を押し付けた。
「きゃあああああああっっ!!?」
おっさん奴隷と同様の反応を見せ、彼女の動きも止まる。
「お前もだ! 名乗れ! 道具じゃない証拠を叫びやがれ!!」
オレの訴えに、二人の奴隷は涙を地面に垂れ流し、口をパクパクと動かし始める。
「俺は……俺の名前は! エイデン……エイデン=ホワードだ!!」
「わた、私は……ベイズリー=ホワード……!」
よし。とオレが笑うと同時に、煙の波が迫って来ていた。
前を見ると、すぐそこまで奴隷商が近づいて来ていた。
「ゴタゴタと、なにをしてやがるっ!!」
これまでで最高密度の煙の塊が腹を穿つ。
口からあらゆる色の液体が混ざって飛び散る。オレの体は奴隷商が小さく見えるぐらい打ち上げられ、草の剥がれた土の地面に落ちた。
「――ッ!?」
痛い……背中から痺れと激痛が後頭部に昇ってくる。
頭がボーっとする。よく、景色が見えない。呑気に空を飛ぶ雲だけがやけにはっきり見える。
立ち上がれ。
立ち上がれ……!
腰のベルトに括り付けられた筆を取り、予備の空札に名前を書き込む。
――エイデン=ホワード。
――ベイズリー=ホワード。
名前が書きこまれた札は、青く光った。
「封印」
奴隷商の側に立っていた二人が服と首輪のみを残し、札に吸い込まれていく。
「なんだと!!?」
封印、完了。
奴隷二人が消えたのを見て、奴隷商は驚いた様子を見せる。
「テメェ、一体なにを――」
奴隷商はオレの顔を見て口を閉じた。
多分、奴を見るオレの顔は、酷く歪んでいただろう。
「名前ってのは大切なモンなんだ。かけがえのないモンなんだよ」
――『シール。明日からシール=ゼッタと名乗ることを許可する』
いつかの日、師に名を貰った時のことを思い出しながらオレは言葉を並べる。
「どれだけ辱めを受けようが、決して忘れはしない。大切な人からもらった、愛情であり人としてのプライドなんだ。
それを変なレッテルで上書きしやがって……!」
頭に血が溜まっているのがわかる。血管が目の下に浮かんでいるのがわかる。
冷静に、オレは自分の心境を分析する。
――ああ、オレ、今、結構ぶちキレてるな。
「覚悟しろ奴隷商ッ!!
テメェは全ての手札で仕留める!!!」
ビク! と奴隷商はオレの怒声に圧され、体を震わせた。
もう障害はない。加減はいらない。全力で叩きのめすだけだ。
オレは真っ先に“死”と書き込まれた札をポケットから出した。
「まず一つ目……“オシリスオーブ”……!」
ここからは戦いじゃない――処刑だ。
札入れと筆を付けられるベルトは看守長に貰いました。
実は第一巻の加筆でベルトを貰うエピソードがありまして……。WEB版では後書きでつじつま合わせさせてください。
フルカードではなくフルコースなのは何となく語感がいいからです。






