第九十三話 銀髪の悪魔
目が覚めると、刺青女は両手両足を虹色の魔法陣に挟まれていた。
ひざをつき、両手はバンザイ状態だ。手錠代わりに転移門が手首足首に付いている。
頭を起こし、前を見る。
白髪の少女、レイラは無表情で刺青女を見下ろしていた。
「質問。仲間の数がやけに少なかったけど、どこ行ったの?」
淡々と言葉を並べる少女に対し、刺青女は諦めたように言葉を返す。
「……アンタらが洞窟に巨人を匿っているのは知っている。残りの連中は全員そっちに送り込んだ。アタシとリーダーと他数人は念のためアンタらを足止めすることにした。なんらかの誤算で、薬を女巨人が手に入れたらそのまま海へトンズラこかれるからね」
「どうやって場所を突き止めたの?」
「一人、ずっとアンタらの後を追わせた。尾行に特化した魔術を身に着けた奴だ。アンタの仲間に鼻の良い奴が居たみたいだが、そいつは匂いを消して後を追える」
「……もう一つ、リーダーの名前をフルネームで教えて」
「――ルークだ。ルーク=ランググルフ」
刺青女は嘘を言った。
目の前の少女がなぜ名前を求めるかはわからない。わからないからこそ、嘘をついた。想定外の被害を恐れたのだ。
レイラに真偽を確かめる手段はない。ならば、安全を取りに行くまで。
「嘘だね」
レイラは言い切った。
刺青女は表情に焦りを出さない。しかし、内心は焦っていた。
「わたしはね、嘘を見抜くことができるんだよ」
レイラは新たに転移門を二つ、空に描いた。
片方は川の中へ、もう片方は刺青女の頭上に設置された。
「……嘘は、言っちゃダメでしょ?」
子供に言い聞かせるように、レイラは人差し指を自分の口に当てて言う。
「待て――なにをする気だい!?」
刺青女はレイラの魔術についてわかりはじめていた、魔法陣と魔法陣を繋げる魔術だと。魔法陣が一つ自分の頭上へ、もう一つは川の中……レイラがやろうとしている拷問を、刺青女は知っていた。
レイラは転移門を繋げる。女の頭上に川から流れ込んだ水が浴びせられた。
「待て、待て――!」
レイラは転移門を下ろし、女の首から上を川底へ転移させ、転移門を絞める。
鼻から、口から、なだれ込む水。濁っていく景色――頭の中の思考が『苦しい』で埋められていく。絶望の闇が心臓を掴む。
良く知っている拷問だった。
奴隷の調教によく使っていたから。
水責め――単純且つ簡単で、耐えがたい拷問の一つ。人の心を容易に折る悪魔の所業。
息が切れ、水が喉を通過していく。腹に、胃に、水が満ちていく。そこでようやく景色が明るくなった。
「ぶはっ!」
転移門が上がり、転移門の機能が停止する。
水から解放され、口の中の水をすべて吐き出す。レイラは刺青女の腹を蹴り、さらに水を吐かせる。数秒の呼吸困難を越えた後、刺青女の口は今までの人生の中で一番速く動き、その名を口にした。
「キリアン=ドロフクス!
キリアン=ドロフクス!!
キリアン=ドロフクス!!!」
「それがリーダーの名前?」
「そうだ! だから、水は……水はもうやめてくれ! 素直にアタシをぶっ飛ばしてくれ!!」
媚びるように、涙を流して、刺青女は懇願する。
自分が調教してきた奴隷たちと同じ顔を作る。
レイラは――首を横に振った。
「嘘だね」
「――――え?」
レイラは言い切った。刺青女は本当の名を口にしたのに、レイラは再び転移門を繋げた。
――水責めは繰り返された。
刺青女は水から解放される度、名を口にした。
何度も何度も何度も、途中で違う名を口にしても、水責めは繰り返された。何度も何度も何度も何度も……意識がなくなるその時まで。
刺青女の意識が沈み、気絶した後でレイラは頷いた。
「……五個ぐらい名前出たけど、多分、一番数の多かったキリアン=ドロフクスが真名かなぁ」
――レイラは最初から、女の意識が沈むまで水責めをやめる気はなかった。
レイラに嘘を見抜く能力などない。
だから自分は『嘘がわかる』と嘘をついて、拷問を繰り返す。途中まで相手が嘘をついていても、見破られたと勘違いし続ければいずれ本当の名を出すだろう――と。
拷問の目的の半分は名前を聞き、シールに教えてギルドリーダーを封印可能にするため。
もう半分は――値踏みされた仕返しである。
---
レイラが大樽を持って森を抜けると、吐く息が途端に白くなった。
「なに、これ……」
氷雪地帯に来たのかと錯覚するほどの寒さ、視界に広がる氷の景色。
氷漬けにされた人間がそこら中に居た。剣を構えていたり、防御の態勢を取っていたり、逃げ出そうとしていたり、色んな恰好で停止していた。
洞窟の前で、この景色を生み出した張本人は寝そべって欠伸をする。
「あー、おかえりレイラちゃん。
僕はもう暇すぎて暇すぎて眠っちゃいそうだったよ」
「これは、ソナタさんがやったんですか?」
「うん」
「さ、さすがですね……」
レイラはソナタの側を通り過ぎ、洞窟の中のバリューダの元へ向かう。
---
女巨人の右手の掌に乗せられ、シュラは女巨人の額を治療していた。
白魔を両手に宿し、塗るように浴びせていく。
「アンタも馬鹿ね。ルールを破ってこんなところまで来るなんてさ」
シュラの言葉には里の掟を破り、別の大陸まで来た自分への自虐も含まれていた。
「……妹の命とルール、どちらかしか守れないなら、私は妹の命を取る。それだけの話だ」
「――そうね。私がアンタと同じ立場なら、きっと同じことをするわ」
「それでも未だに驚いている部分もある。
私は生まれてからずっとルールは絶対だと思っていた。なのに妹の命がかかった途端、なりふり構わず飛び出してしまった」
「そんなもんよ」
「全ての人類を縛れるほど、ルールや掟は上手くできてはいないのだな」
「ルールや掟に全員が従うぐらい人類が殊勝なら、人類はルールも掟も作ってないわ」
「お前の言う通りかもしれないな……」
二人の空間にレイラは足を踏み入れる。
レイラは大樽を置き、息を切らしながら、
「薬、取って来たよ!」
レイラの口から吉報を聞き、バリューダは瞳に涙を溜めた。
「……お前らには感謝してもしきれないな……」
レイラは報告を終えるとすぐに出口の方へ足を向ける。
「どうしたのよ? そんな慌てて」
「シール君が滝で遭ったギルドマスターの……強そうな人と戦ってるの!
だから加勢してくる!」
「あ、ちょっと!」
レイラは走り、洞窟から外へ出た。
シュラは背中を見送り、「わかってないわね」と呟く。
シュラの頭には朝のシールの言葉が残っていた。
――『心配しなくてもオレは命懸けで守るよ。シュラも――お前もな』
「……シールがあんな奴に負けるわけないじゃない」
誰にも聞こえないようにボソッとシュラは呟いた。






