第七十九話 脇役の精神
――ここは夢の中なんじゃないかと思った。
それほどまでに異次元な戦いが繰り広げられていた。
互いの攻撃を相殺し、互いに自前の翼を持って天高く舞ったアドルフォスと泥女は大規模魔術をぶつけ合う。オレが直撃すれば即死するレベルの魔術だ。
アドルフォスが白銀の拳を無数に生み出し、それに対応して泥女が無数の泥の足を生み出す。空中でそれらが炸裂し、轟音が響いたと思ったらいつの間にかアドルフォスがオレの隣に立っていた。
「前に戦った時より魔力が回復してやがる。
どこの誰だ。俺の結界を破り、窯から野郎を出したのは……!」
「ナニモンだよ、あの泥の奴」
泥女は正面遠くの大木の先に立ち、愉快気にこちらを見下ろす。
「再生者、泥帝“アンリ=ロウ=エルフレア”。
お前の師が20年前に封印して、つい最近復活した奴だ」
「再生者!?」
屍帝と同じ、人類の敵――!
「触れた物体を泥にし、操る力を持っている。無論、不死だ」
「なるほど。状況は飲めた。
アンタはあの窯に泥女を詰め込んで捕縛していた。そんでオレをここに呼んで改めて完璧な封印をさせようとした」
不慮な事故で泥帝は抜け出したみたいだがな。
「理解が速いな。さすがはバル翁の弟子だ」
「アンタこそ、単体で再生者を捕まえるなんて、さすがは爺さんのラストパートナーだな」
アドルフォスは両手で一度前髪をかきあげ、魔力を体中に漲らせた。
「封印術師。この戦い、お前にバル翁の代わりを任せるぞ。
俺がアイツを弱らせる。お前は――」
「隙を見て奴を封印する」
首を鳴らし、戦闘態勢に入る。
「タイミングを逃すなよ……!
――行くぞ!!」
と言ってアドルフォスは空に飛んだ。
「え……?」
あの……アドルフォスさん、『行くぞ!!』と言って空に飛ばれても、ついていけないんだが。
「この前のような油断は無いわ! アドルフォス=イーター!!」
「お前、どこで俺の名を聞いた?」
「忌々しい顔をした素敵なおじ様よ!
私の枯れ果てた魔力――アナタを取り込んで回復する! アナタの持つ魔力を取り込めば、この大陸全てを泥沼に変えられるわ!!」
泥帝もアドルフォスの動きに反応して飛び上がった。
上空で空中戦が繰り広げられる。
8の字に飛び、交錯する破壊と破壊。
空を飛び交うアドルフォスが一瞬止まってオレに視線を送った。
「ここだ!」
「……。」
なんだ、『ここだ』って。
今、封印するタイミングがあったのか? 動きが速すぎて何も見えなかった。
「今だ!」
「……。」
再び視線を送ってくるアドルフォス。
しかしシール=ゼッタは何が起きてるかわからない。
「ここだぁ!!」
「――どこだよ!!」
思わずオレは叫んだ。
アドルフォスは風の魔術で泥帝を吹き飛ばし、オレのとこにリターンした。
「おい、タイミングを逃すなと言っただろう。
バル翁ならもう百度は封印している」
「タイミングがシビア過ぎなんだよ……!
あと、一応言っとくけど、オレは空を飛べない」
「空を……飛べないのか?」
「普通の人間は飛べないんだよ!!」
コイツ、ちょっと天然入ってるな……。
泥の匂いが鼻孔を貫く。
周りを見ると木や岩、水が全て泥色に変わっていた。
泥女は遥か先で、地に両手を付けている。
「アイツ、マジで大陸を沈められるんじゃないか!?」
「気を付けろ封印術師。
さっきも言ったがあの女は泥を自在に操れる。泥は全て凶器だと思え」
周囲の泥から泥玉が放たれた。
「――ッ!?」
速く、広範囲。駄目だ躱せない。
赤魔で体を固めるのが限界――!
体が宙に浮き、景色が一瞬で変わった。
いつの間にかオレはアドルフォスに抱えられ、大木のてっぺんから湿地を見下ろしていた。
「体内に泥を侵入させてみろ。お前ぐらいの魔術師だと内側から泥に破壊されるぞ。掠り傷でも致命傷だ」
大木の枝の上に足を付け、景色を見渡す。
様々な色が混じっていた湿地が次々と泥色に統一されていた。
「お前、魔術を習って何年になる?」
「半年とちょっとだ。それがどうした?」
アドルフォスは組んでいた腕を解き、オレの方を向いた。
その瞳には多少の動揺が見えた。
「……もう一度聞くぞ。魔術を習って何年になる?」
「半年とちょっとだよ」
そういうことか。とアドルフォスは呆れた。
「封印術の習得には最低10年かかるんじゃなかったのかよ、バル翁……いや、よくよく考えれば、お前が10年前にバル翁に師事していたなら色々と矛盾があったか」
なんとなく合点がいった。
封印術の習得に10年かかったと、爺さんも言っていた。きっと、封印術とはそれぐらいの期間費やさないと習得できないのが常識なんだ。だから多分、アドルフォスは封印術を使えるオレの魔術歴を10年以上と見ていたのだろう。だからこの戦いにオレがついて行けると思ったんだ。
しかし、仮にあと9年魔術を訓練したところで、このレベルについていけるとは思わないんだが……。
「悪かったな」
アドルフォスは空を飛び、オレに背中を見せる。
「お前を熟練の魔術師だと勘違いしていた。
お前は前に出なくていい。安全な所で身を隠していろ」
「一人で戦う気か? あれは単体でなんとかできるレベルじゃないだろ……!」
オレが乗っている大木を除いて、湿地のほとんどは既に泥に変わっていた。
規模が違う。次元が違う。これが、全力の再生者の力……! 屍帝と段違いの制圧力――否、アイツも全盛期はこれぐらいのことができたんだ。
爺さんもアドルフォスも、こんな化物共を相手にしてたのか……!
「無理だ。地形が不利すぎる!
こうも泥ばかりの場所じゃあの女の独壇場だ!」
「――簡単な話だ」
泥帝は間違いなく化物だ。
オレはまだわかっていなかった……目の前の男が、さらにその上を行く化物だということを。
「不利な地形なら、地形を変えればいい」
アドルフォスは腰から杖を抜き、右手に構える。
「ヴァナルガンド……!」
アドルフォスは杖に無量の魔力を込め、液体を発生させる。
「この匂い……油か?」
広がる泥の倍の量の油を形成し、その塊を泥の中心へ落とす。油と泥が混ざりあったところで、アドルフォスは顔を竜へと変貌させ、口元で火球を作った。
「“業炎砲火”ッ!」
炎のブレスを油と泥の塊に放つ。
炎は一斉に湿地全体に広がり、泥を焼き尽くした。
炎は油を吸って拡大し、火の海を作り出す。
「うおっ!?」
足元の大木の根が炎に焼かれ、崩れる。
オレは大木から飛び降りて炎に囲まれた大地に着地する。
暗雲が空を覆い、景色が暗く染まっていく。
アドルフォスはオレに目もくれず、焼けた大地に立つ泥帝の方へ飛んでいった。
「完全な足手まといか……いやいや、規模が違いすぎるって」
遠くなる背中。爺さんの背中がアイツの隣に見える。
――なぜだろう、少し腹が立った。
ジッと、アドルフォスが再生者を連れてくるのを待つ。それが最善の行いだ。
わかっている。わかっているが、ここで止まって甘えてしまうと、一生あそこには立てない気がする。
爺さんの隣には――
「……ただ待つってのは、退屈なんだよ」
炎の壁を避けながら走り出す。
泥帝は遥か格上、到底オレが敵う相手じゃない。
次元が、格が違う。この戦いで……オレは主役にはなれない。
できることを考えろ……主役ではなく、脇役に徹するんだ。
相手を倒す術ではなく、
相手が嫌がる術を考えろ。脇役らしく、雑魚らしく。オレが今できる最善の嫌がらせを考えるんだ。






